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2012年7月11日 (水)

警戒区域に生きる・part1~富岡町の松村直登さんのその後 follow up story of Matsumura Naoto in Tomioka town within the No-entry zone.

(写真はクリックすると拡大します)

 原発から20㌔圏内の警戒区域で牛の殺処分を拒否し、牛たちを生かし続ける3人の畜産家を3回に分けて紹介します。うち、二回分はこれまでにその活動を紹介しているので続報です。Part1は原発から12㌔の富岡町の自宅で生活し続ける松村直登さん。前回は子牛の誕生悲話を紹介しました。前回のブログはこちら→「警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part1」

 富岡町の放れ牛の殺処分を止めさせようと、松村さんは放れ牛を捕獲して、水田を使った広い囲い込みに入れ、生かす計画はどうなったのかが気になって、6月下旬に再び取材した。NPO法人「がんばる福島」(代表松村直登は認可されていた。

_aaa7737自宅近くの水田数枚を単菅パイプ柵で囲い込んだ放牧地。水量豊かな清流が脇を流れ、手狭とはいえ、草もはえる時期となって牛たちはのんびりとしていた。生まれて日の浅い子牛の色つやも体型も良さそうだった。空間線量は毎時1.5マイクロシーベルト前後を示す。

_aaa7733田んぼにはえる草では不十分なため、乾燥エサのロールは欠かせない。囲いこんだ牛の一部が逃げだしたが、近くに留まっているために40頭あまりを確認した。

_aaa7712大雨で一部が壊れた川へのアプローチを遠藤さんが修復。

_aaa6901原発事故前は土建業と実家の農業に従事してきたが、畜産は素人の松村直登さん。全てが初めてで、常時手伝ってくれるのはNPO法人を立ち上げたばかりの遠藤さん(NPOガッツ福島)くらいだ。思った通りには事は進まない。放れ牛を捕まえ、囲い込みに移動することも順調とはいかないようだ。日々の地道な活動でようやく維持できているようだ。

_aaa7822松村さんはネコのエサやりは欠かさないで続けている。野生化したネコもあちこちにいるようだが、エサなしでも生きられるといい、イヌはほとんど保護されたようで姿がないという。
_aaa8018近所の家のネコ用にエサを補充する。

_dsc1123民間企業の「創生水」が実証実験用に囲い込んだ牛たちの生活環境は、遠藤さんの手によってかなり改善された。田んぼが数枚分拡張され、エサも定期的に与えられるようになった。とはいえ、それまでのエサ不足と競争によりはじきだされた弱いメス牛が出産した子牛が生き残る環境としてはまだこれからだろう。生まれてまもない子牛が痩せたまま、母牛と放れてしまった。空間線量は6~7マイクロシーベルトある。

_aaa7570一計を案じた遠藤さんと松村さんは、人工ミルクを与えるために自宅に連れていった。初めはゴクゴクとミルクを飲んだ子牛だったが・・・。ちなみに、松村さんの自宅の庭先での空間線量は、測定場所によりけりだが、毎時2マイクロシーベルト前後を示す。

_aaa7683子牛はダチョウのエサのトウモロコシの配合飼料を食べはじめた。翌朝、子牛はE枝につないであったヒモをつけたまま姿が消えていた。浪江町の希望の牧場代表の吉沢さんがよくいう表現だが、警戒区域で生き残った家畜だが「自然淘汰にまかせるほかはない」のだろう。

_aaa7948持ち主の牛舎の脇にあるビニールハウスで大柄な放れ牛1頭を捕獲したが、トラックにヒモをくくりつけてゆっくり引っ張って移動しはじめた矢先、木製の鼻環が壊れたために牛は逃げていってしまった。

_aaa7275電気のない生活が続く松村さんの夜は早い。牛たちを共に面倒みる仲間として頼りがいのある遠藤さん(右)と酒を飲み交わす。

 今回の取材でなぜ松村さんがこれほどまでに動物を生かそうとしてきたのかの一旦がわかった気がした。それは子どもの頃にシートン動物記を愛読し、生き物の生態に惹かれたことや、ウサギやネコや鳩などが常にいてよく世話をしたということだ。工業系高校を卒業後に上京して働いた初任給の半分に相当するお金で、松村さんはペットショップで見つけた孔雀3羽を思わず購入し、実家に持ち帰って育てたというエピソードは、原発事故後の生き方を理解する上でとても重要に感じた。

_aaa7100ポニーの持ち主で大工と農業をやってきた半谷さんの家からいなくなった「ヤマ」(8歳のオス)。殺処分が決まっている牛が収容される牛小屋のある家で松村さんが見つけた。一時帰宅をして松村さんたちのポニー移動作戦に合流した半谷信一(79歳)さんは大喜び。

_aaa7141軽トラの荷台に乗せて移動しようとしたが、ヤマが暴れて失敗。

_aaa7171松村さんが綱を引いてヤマを先導した。結局は遠藤さん運転の軽トラに綱をつないで、ヤマの歩調に会わせてゆっくりと移動した。

_aaa7231原発事故前から牛たちと同じ牛舎で生活していたポニーのヤマは、牛と一緒にいることが最も落ち着く場所ということで、松村さんの牛の囲い込みに放されることになった。

_aaa7244囲い込みの入口のパイプと留める半谷さん。やっと安心した。

_aaa7379一時帰宅して自宅の納屋で、トラクターを始動させて安心した半谷さん。すがすがしい表情だ。

_aaa7797牛たちの囲い込みで生活しはじめたヤマ。翌日にはケンカすることもなく元気がみなぎっていた。

 ちなみに、当初、松村さんと遠藤さんに協力を申し出て牛を救う活動をはじめたかに見えた二本松市のある寺が4月末に立ち上げた「絆牧場プロジェクト(概算見積り1億4千万円)」は、土地選定も富岡役場へのその後の相談もなく進展がないために、二人は寺院とは別れて地道に活動を続けている。ネット上に企画案はそのまま残るが、その後の情報更新はない。
 松村さんの活動は、「NPOがんばる福島」の事務局として活動する金子さんが更新するオフィシャルブログの「ときぶーの時間」でフォローできる。

 なお、福島民友紙には共同通信社が取材した松村さんの記事が掲載されたばかりである。同じく共同通信社が取材した動画もあるのでオススメだ。

 次回は「希望の牧場」の吉沢さんのフォローアップです。


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コメント

You restore my faith in the human race. You are a STAR and a HERO! Much love from Scotland xx

投稿: Susan Adams | 2012年7月11日 (水) 20:33

反原発運動の行事で福島県内に行く人の中には、危ないからと現地の食べ物には一切手をつけず、カロリーメイト等を持参する人もいるようです。科学的根拠はあっても、私はそういう事に共感を覚えません。このブログの写真を拝見していても、放射能の数値だけで人(動物も)の心を切り捨てることはできないだろうと思います。

投稿: 中野亜里 | 2012年7月11日 (水) 21:53

dear Susan Adams;
many thanks for your comment.
I will tell Mr.Matsumura what you
wrote.

He is not an expert on the caretaking of cows but he and his
buddy Mr.Endo are trying their best to save cattle in Tomioka town and make them useful cattle
by encircling them in former rice field that is covered by weeds.
Cattles clean up all the weeds and keeping the rice field clean.
that is the idea of economically no more useful cattles keep on living within no entry zone.



投稿: yamamoto munesuke | 2012年7月11日 (水) 22:39

中野さま

コメントありがとうございます。
写真だけ見ると、一見、放射能汚染の問題などまったく無いかのように見えるのは、実は危険なことであり、誤解をうみやすいのです。
そのために放射線量を目安として入れています。
警戒区域とその周辺の線量は、実に斑目で複雑で一言では何とも表現できません。
ですが、松村さんのような人は、初めから自らの被曝(外部被曝も内部被曝も)を覚悟の上で牛や生き物を生かす道を選択してきたので、全体状況の中せは極めて極端な事例かもしれません。
ですが、そうした生き方も、東電や政府の言いなりにはならないぞ、できる限りの抵抗は続けるぞという強い意思表示だと理解して伝えたいと思っています。

投稿: 山本 | 2012年7月11日 (水) 22:51

ツイッターから来ました。ありがとうございました。

投稿: 想風亭うさこ | 2012年7月13日 (金) 11:08

想風亭うさこさま

コメントありがとうございます。

投稿: 山本 | 2012年7月22日 (日) 10:49

 昨年副代表の金子さんから、周囲のエサを焼却処分されてしまい、「明日やるものがない」との情報を得ながら結果なにも出来ませんでした。
 月百万単位の維持費と調達方法をリタイヤしたサラリーマンには出来ません。又、福島はTV等で放射能の問題ばかり知らされて、希望が持てるものが有りません。一人の微力な人間が応援出来るような情報をお知らせ下さい。

横須賀の写真ボランティア

投稿: マスG | 2014年1月 9日 (木) 13:47

横須賀の写真ボランティア マスGさま

コメントありがとうございます。
「一人の微力な人間が応援出来るような情報」を今年は
少しでもお伝えできるように試みます。
よろしくお願いします。

山本宗補

投稿: 山本 | 2014年1月19日 (日) 11:49

Hi Munesuke Yamamoto-san,
I am not sure if this will reach you. I do not speak or read Japanese so I am muddling my way through sites hoping to connect with you. I understand you were in Tomioka with Naoto. I am planning a trip to Tomioko. First I must get my affairs in order. Do you have time to chat with me? I would be very grateful.

I would like to physically help Naoto and the animals. I would like to speak with him over email if at all possible.

Please advise,
Allison Lance

投稿: | 2015年3月24日 (火) 05:03

dear Allison Lance:

sorry to respond you late.
i just wonder when you are coming to Japan and
planning to visit Matsumura-san?

you already are in Japan?

I might help you to visit Matsumura-san.


投稿: yamamoto | 2015年4月 4日 (土) 15:54

Dear Munesuke Yamamoto-San,

I hope you are doing great. Your photographs are incredible! They provide a visual insight to the situation in Fukushima.

I am Himanshi Shah from India and I am currently volunteering with an animal shelter in Fukushima near Koriyama this month. I will be travelling to Tomioka to hopefully get in touch with Mr. Naoto Matsumura. I have tried various channels to find any information on his current location but I haven't found anything strong.

Would it be possible for you to somehow get me in touch with Mr. Naoto Matsumura? The reason I came to this region from India was because I was inspired by Mr. Naoto Matsumura's experience and efforts. I would love to meet him for a few minutes if possible!

Thank you so much,
Himanshi

投稿: Himanshi | 2017年4月 5日 (水) 13:55

Dear Himanshi-san:

many thanks for your comment. I wonder if you are living in japan of just visiting.
You know that what you are looking at this page is already 5 years old.
Situation aroung Mr.Matsumuma has changed alot although what he is doing is no changing as to
feeding 23 cows and one poney while living at his house in Tomioka town.
His house is where anybody can go in and out since April 1st after gov lifted regulations.

I wonder how much you are eager to go to vist him ?


投稿: 山本 yamamoto | 2017年4月 6日 (木) 00:18

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