« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月の投稿

2012年5月26日 (土)

ブログ記事のRT頻度で選んだベスト10(全カテゴリーから)

 ブログを始めたのは「3・11」の最初の取材からだ。私の場合は写真がメインだが、取材内容をより早くより広範に発信しなければという気持ちからだった。おかげさまで、今日までのアクセス数は82000人。最近一月の一日平均アクセスは359人、実際の読者は230人。多いのか少ないのかは分からないが、それまでは2003年に開始したホームページ上の雑記帳が私のブログだった。どの記事がとの程度読まれているのかは全く分からずに続けていた。ブログの利点は、訪問者数だけでなく、どの記事が読まれているのかなどが分析できる点だ。県別のアクセス分布もわかる。Twitterユーザーからの反応がわかり易いのも嬉しい。14ヶ月が経ち、ブログの頻度も月に4度5度と増えてきた。そこで、これまでの記事で最もRT(リツイート)された記事のベスト10を選んでみた。一つには、まだ読んでもらっていない過去の記事を見てほしいからでもある。◯◯◯RTの◯がRT数になる。

1:210RT。2012年2月19日:「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3

2:183RT。同2月8日:毎時275マイクロシーベルトの双葉厚生病院玄関口。警戒区域の現実1(双葉町)

3:174RT。2011年9月25日:反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(90歳)のこと

3:174RT。2012年3月31日:若狭原発銀座で元原発作業員(下請け労働者)・斉藤征二さんの話を聞いた

4:173RT。2011年6月30日:大震災被災地で読経し、原発廃止が死者の真の回向と実感した日本人僧

5:129RT。2012年2月20日:写真で見る「脱原発杉並有象無象デモ

6:117RT。2011年12月13日:警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん

7:108RT。同5月10日:南相馬市と浪江町津島:ちょっと遅れた20㌔圏外取材ルポ

8:97RT。同12月18日「ツイッター有志による脱原発デモ」(12月17日)

9:92RT。2012年3月5日:除染:国の怠慢を見るに見かねて除染ボランティアを始めた住職

10:90RT。同2月10日:毎時121マイクロシーベルト。原発北西方向はやはり高い浪江町。警戒区域の現実2

 せっかくだからベスト11~15も並べて見る。

11:84RT。2012年4月25日:「止まった時間」・解除された南相馬市の警戒区域

12:67RT。2011年7月1日:高すぎる放射能汚染の非日常を日常として生きるほかはない住民たち

12:67RT。同4月19日:写真で見る被災地の放射線量比較

13:66RT。同11月6日:「もんじゅ」「ふげん」命名の経緯と永平寺シンポ

14:61RT。同6月11日:6・11反原発100万人行動 in 新宿

14:61RT。2012年4月30日:警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part1

15:60RT。2011年12月29日:どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量

 まだ読んでいない記事があったら覗いてみてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月14日 (月)

「永遠の永遠の永遠」草間弥生展(埼玉県立近代美術館) YAYOI KUSAMA Eternity of Eternal Eternity

(写真はクリックすると拡大します)

 長野県松本市が輩出した世界的アーティスト、草間弥生展に行ってきた。立体のオブジェクトはほとんどが撮影自由となっていたので、好き勝手に撮らせてもらった。説明などの必要もないので写真だけお見せしたい。会場は埼玉県立近代美術館で、5月4日に入場者2万人を達成したとある。

 ちなみに草間さんは1929年生まれ。83歳になる。水玉模様にとりつかれたようなオブジェクトの作品群が一つの特徴だ。作品制作を紹介するビデオには、「精神病院を生活の拠点に」とある。もちろん仕事場で作品の制作に熱中するわけだが、寝泊まりはどこかの精神病院なのだということらしい。

◯草間さんの若い頃の活動の一部(ご本人の公式webから引用)
 「1957年渡米、巨大な平面作品、ソフトスカルプチャー、鏡や電飾を使った環境彫刻を発表する。1960年代後半にはボディ・ペインティング、ファッション・ショー、反戦運動など多数のハプニングを行う」

_aaa0013
_aaa0268
_aaa0224「ヤヨイちゃん」
_aaa0252_2
_aaa0027
_aaa0233
_aaa0104
_aaa0107
_aaa0071「大いなる巨大な南瓜」
_aaa0111
_aaa0079

“~~~命の限り無限の生と死のかがやきをもって200年も500年も生きながらえて 平和と人間愛の行き着く所への不滅の志を持って闘っていきたい。 そして地球の人々へ告ぐ 未来は原爆や戦争を止めてかがやいた命を永遠の永遠の永遠の~~~”(大きな黄色い南瓜の前に掲げられた一遍のメッセージの一部を引用)

_aaa0197
_aaa0173
_aaa0179「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」

_aaa0208
_aaa0215
_aaa0258
_aaa0275

 ここに紹介した作品は、あくまで写真撮影可能なもので、展示の中心は100点あまりの特大絵画シリーズだ。もちろん、これらの作品は撮影禁止。公式webでは10数点が紹介されているのでご覧ください。作品サイズは半端ではありません。釘付けになること請け合いです。素晴らしい。圧倒されます。

◯以下は公式webにある「見どころ・展覧会紹介」文のコピー:
《世界的な現代美術家として活躍する草間彌生の、最新の創作活動を紹介します。
半世紀以上にわたって、水玉や網の目の作品を作り続けてきた草間は、2009年から、驚異的な創作意欲を傾け、まったく新しい絵画の仕事に取り組みはじめました。それらは子どものように自由で楽しい想像力に溢れながら、人間の内面世界をえぐり出すような、これまでに見たこともない作品群となりました。この色彩豊かな新作と対照的なのが、50点からなる『愛はとこしえ』の連作です。草間が2004年から3年間で一気に描き上げたモノクロの線画作品は、無限に湧き出る連鎖的なイメージを、魔法のような筆使いで描き出したものです。さらに、初公開となる『南瓜』などの彫刻やインスタレーションも展示し、草間の分身としての創作世界を体感いただきます。
草間彌生という希有な才能をもった芸術家の、最先端の挑戦を、ぜひご確認ください。》

会期は5月20日(日)まで

草間弥生常設館のある松本市美術館の屋外展示作品(2007年撮影)
Dsc_0245


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 7日 (月)

写真ルポ【祝!原発ゼロ 脱原発杉並+原発やめろデモ:2012年5月6日】A celebration on a stormy day in Suginami for Zero NPP operation !

(写真はクリックすると拡大します)

_aaa0223

_aaa0204

_aaa0299

_aaa0226

_aaa0280

_aaa0333
_aaa0352
_aaa0444_2
_aaa0405

_aaa0439

_aaa0454

_aaa0465
_aaa0489

_aaa0495
_aaa0501

_aaa0517

_aaa0534

_aaa0522

_aaa0545

_aaa0568
_aaa0574

_aaa0585

_aaa0591

_aaa0599_2

_aaa0602

_aaa0615

_aaa0622

_aaa0651

_aaa0690

_aaa0713

_aaa0699

_aaa0729

_aaa0768

_aaa0740

_aaa0821
_aaa0810

_aaa0857

_aaa0855

_aaa0871

_aaa0024

_aaa0015

打ち止めです!みなさん、おつかれさまでした!
「脱原発日本、これからが正念場です、ね!」

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年5月 1日 (火)

警戒区域で生きる松村直登さんと子牛の石松の誕生Part2 Second Part of a photo reportage about Mr.Matsumura who stays in No entry zone in Tomioka-machi & a birth of a premature calf.

(写真はクリックすると拡大します)

 警戒区域の囲い込みで産まれた子牛の「石松」誕生物語。確かに感動的だったが、オッパイの出ない母牛とオッパイの位置を見つけられない未熟児の関係はそのままで夜が明けた。

 「石松」の続編に入る前に、松村さんが自宅で生活し続ける富岡町と原発との関係、富岡町がどんな町で被害状況はどうなのかを知らずには「石松」誕生物語の背景はわからない。というよりも、その背景を知らずに、石松のような未熟子牛がなぜ産まれてしまったのか、なぜ母牛が他の牛たちのイジメに合い、エサも満足に食べられずに痩せ細ったまま子牛を産まなければならなかったのかという現実を抜きに理解されかねない。その意味で単なる動物愛護だけの観点で「石松」誕生物語を捉えてほしいとは思わない。そこでまずは以下の写真を見ていただきたい。

_dsc8029富岡町の夜の森公園の桜並木はとりわけ有名。たまたま通りがかったら、大手メディアを入れた撮影日となっていた。

_aaa0320富岡第二小学校の桜も満開。校庭の空間線量は地上から50㎝ほどで5.7マイクロシーベルト/時。福島第一原発から9㌔。除染して子どもたちが通学し、校庭で遊べる環境だろうか?それ以前に若い世代が帰還して日常生活が送れる環境とは言い難いが。

_aaa0360人口16000人弱の富岡町には東電福島第二原発4基がある。原発誘致に伴い、莫大な固定資産税や交付金が自治体収入となる。原発マネーと思われる箱物の一つがこの「富岡町健康増進センター リフレ富岡」。Webで見ると、温泉、プール、トレーニングジム、宿泊施設まで完備されている。富岡町役場も重厚な建物で、隣接する図書館を兼ねた「文化交流センター学びの森」も実に大きな箱物だ。
_aaa0868「文化交流センター学びの森」 2012年3月撮影

_dsc8183福島第二原発の建屋が海岸から見えた。福島県議会が脱原発決議をしているにも関わらず、東電は第二原発の廃炉を決定していない。この後に及んでもなお、国の出方を見てから判断するといっている。国民の税金でしか賠償金を支払うこともできない事実用倒産した電力会社ということと、事故を起こした責任を認識しようとしないのではないか。

_aaa0789海岸地帯の大津波による被害は甚大だが、警戒区域のために住宅の片づけは手つかず。後ろは第二原発の排気塔。この辺りの空間線量は0.7マイクロシーベルト強/時ある。

_aaa0707JR常磐線富岡駅周辺は壊滅的な被害を出した。駅舎はない。ガレキとなった自動車が駅周辺には何十台も残されていた。

_aaa0664原発から10㌔強にある畜産牧場は、牛舎で餓死した牛たちの死骸が全く片づけられないままだった。元々は養豚業を営んでいたと思われる牧場だ。狭いスペースに二頭が詰め込まれ飼育されてていたと思われる。事故前からの畜産業者の姿勢が問われる現場といえた。

_dsc8117野良犬となった首輪をつけた犬が死骸を食らっていた。放れ牛の多くが生き延びた一方で、水もエサもないまま、多くの家畜が息絶えていった地獄となっていたことがわかる。事故後の4月22日に警戒区域となった立入禁止区域は、原発事故が生みだした動物たちの地獄だ。人の都合で飼育され、棄てられた家畜もペットも哀れだ。住民さえも棄民する国だといえば驚いてもいられないが。

 原発事故当時、建設業に従事していた松村さんは常磐高速道路の建設工事中だった。地震で古い木造二階建ての家はペシャンコに崩壊したが人的被害はなかった。普段生活していた自宅には80代の両親がいたこともあり、近所のおばさんと4人での避難しない生活が始まった。停電だったが、プロパンガスで煮炊きができ、大型冷凍庫には食料が保存されていて、飲み水は沢の水を引いて間に合わせたという。老いた両親の手伝いをして作った米もたくさんあった。タラの芽などの山菜も、川魚も平気で食べたと話した。庭先のビワの大木に鈴なりとなったビワもたらふく食べたという、ほぼ自給自足の生活は、政府が20㌔圏内を警戒区域に設定する4月22日前後まで続けた。自分が寝泊まりできる仮設住宅は三春町に確保し、両親は県外に避難させた。

 松村さんの家だけ放射線量が低いはずもない。現に、庭先で計ると1.7マイクロシーベルト/時ある。仮設のある三春町ははるかに低いし、4月に帰村しはじめた川内村役場の線量と比しても5倍以上ある。どこへ行くにもマスクなしの松村さん。放射能の影響はもう考えないようにしていた。50代はじめという年齢からすれば、健康への影響は熟慮したほうがベターなはずだが、「希望の牧場」代表の吉沢さんと同様に、自らの被曝と引き替えに、どこかやぶれかぶれとなって国の指示に抵抗する生き方を感じる。

 事故後の4月。松村さんは東電本社に単身乗り込んでどなりつけたこともあるという。地震によって崩落した屋根を修理したくても住民も業者も立入できない現状に対し、東電が住民に代わって応急修理するべきだと実施させる結果につながったと話した。

 松村さんは、殺生は嫌いな性分から、残されたペットの犬やネコなどにエサをやり始めたが、今では富岡町に残る放れ牛の面倒をみようというプロジェクトを立ち上げ、NPO法人化する予定だ。正式名称は「福島の再生と未来を考える がんばる福島」となる予定。本人の思ったほどではないというが、寄付金が少しづつ集まっている。ちなみに、松村さんの遠い祖先は、檀家となっている近所の真言宗寺院の住職をしていたとのことだ。

_aaa0661停電対策にと、太陽光充電でランタンなどの充電ができる優れものも寄付された。

「初めは牛の面倒を見るつもりはなかった。イヌ、ネコだけにエサやりをしていたのが、今では生き残った牛も引き受けてしまった」と松村さんは話した。松村さんの活動は町から避難した友人が専用のブログ(「ときぶーの時間」)を立ち上げて発信するようになり、海外にも広まった。ペット用のエサが余るほど届いていた。インスタントラーメンや缶詰類などの食料と飲料水も一人では食べきれないほど届いていた。

_aaa0501私が伺った時期は、谷あいの細長い水田地帯に牛を囲い込む柵を設置するなどの作業で、自宅に寝泊まりして生活していた。昼はインスタントラーメン、夜はご飯に缶詰のおかずのパターンらしかった。夜はロウソクの灯りだけでも何とか生活できるようだ。長い夜にはアルコールも欠かせない。

_aaa0034二羽のダチョウもフェンスを作って飼う。一羽は車のあとを着いてきたといい、一羽は放浪しているところを捕獲して飼うようになったという。

_dsc8097野良猫を見つけると道路端にエサをやる。決まった家の倉庫などにエサを置く日課だが、カラスの目につくところに置いてもカラスに食われるだけだと、置き場所は限定している。
_aaa0093住民が設置した倉庫内のエサ筒にエサを補充する。

_aaa0287数匹のネコが集まる場所。松村さんが呼びかけるとどこからともなく寄ってくる。

_aaa0241野良牛の群れを見つけると餌づけして慣れさせる。捕獲して移動する作業は時間がかかる。

_aaa0477牛を囲い込むための柵は未完成だが、囲い込みで無用の繁殖を防ぐため、オスとメスを二ヶ所に分け約200頭を目処に収容することを考えていると話す。水田の雑草は牛たちがきれいに食べてくれるので、農地の荒廃を防ぐ狙いもある。当面の土地は両親や親戚が米作りをしてきた水田などを利用している。

現実には、警戒区域内で100頭の牛を生かすことも楽な取り組みではない。膨大なエサ代や運搬用トラックなどの機材に必要な資金と人材を確保して継続することは至難のわざだろう。しかも、松村さんはイノシシは飼っていたが、本業は建設業で畜産家ではない。松村さんが取り組もうとしていることは、殺生は嫌いだという感情からの東電原発事故の尻拭いとなりそうだ。
 本来は東電及び国が、生き残っている牛たちを殺処分せず、しっかりと保護し、被曝研究なり除染研究なりに活用し、生かす方策を考えるべきではないかと思う。原発事故は国策で推進され、「安全神話」のウソを言い続けた国と東電による人災事故だったのは明白だからだ。

◯「石松」のその後_aaa0400お産の翌日、母牛と石松は寄り添っていたがオッパイを飲んだ様子は伺えない。

_dsc8078石松は前日よりもしっかりと歩けるようになっていたが、母牛の気ままな移動に後を追うだけ。

_aaa0433松村さんは「石松」を抱きかかえて、出ないオッパイの代わりに赤ちゃん用の粉ミルクで代用することにした。

_aaa0533遠藤さんが入手してきた粉ミルクを、湧かした水を冷まして溶かし、石松に与える松村さん。ゴクゴクと飲み始めたら一気に飲み干した。

_dsc8114結局、母牛のオッパイを吸うこともできないため、石松は松村さんの自宅に運ばれた。被曝した牛たちを警戒区域の外に移動することは禁じられているため、獣医が来てくれない限り、獣医に見てもらうこともできないのが現状だ。毎日粉ミルクをたくさん飲ませて面倒みないと、未熟な石松が生き延びることは難しいだろうというのが実感だった。加えて、森に隠れたり、牛舎の隅に身を潜めたりと衰弱した母牛には死が迫っていると思ったほどだ。私が撮った「石松」の最後の写真がこれ。私は翌日の二本松市の取材があるため、4月19日の夕方には富岡町を離れた。

 その後、石松と母牛はどうなったのか?つづきは「ときぶーの時間」で読んでいただくほかはない。

◯最後に原発事故と原発に関しての松村さんのコメントを紹介しておきたい。
「事故前から放射能は何度も何度も洩れていたんだ。まだ事故が収束していないのに再稼働って。政府は何を考えているのか、あきれかえる。もう一度事故と起こしたら日本はもうダメだぞ。新しいエネルギー開発に取り組むべきだろうが」


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130


 


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »