若狭原発銀座で元原発作業員(下請け労働者)・斉藤征二さんの話を聞いた(former nuclear power plant worker who suffered thyroid gland,,a cardiac infarction and otherdisease.)
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「大飯原発の再稼働を許してしまうと、なし崩し的に他の原発の再稼働に繋がってしまう。第2のフクシマを続発しかねないという大きな危機感を抱いている」(グリーンピースのWebから引用)
こうした危機感から、25日から福井県庁で断食の抗議活動に入った中嶌哲演住職(小浜市明通寺)の紹介でお会いできたのが元原発労働者(被曝労働者)の斉藤征二さんだ。斉藤さんにお会いして話を伺ったのは先月末。原発の元下請け労働者として全国で初めての原発下請け労働者の組合を1981年に設立し、仕事を失った斉藤征二さん(71歳)の話の要点を自分用メモとして書き出しておきたい。(反原発40年の中嶌哲演住職についてはこちらのブログでどうぞ)
斉藤さんは岡山県生まれ。配管工として原発の仕事に10数年従事した。全国で初めての原発下請け労働者の組合を1981年に設立した。斉藤さんの原発での最初の仕事は美浜原発1号機の基礎工事(1967年)。原発関連の仕事を始めたのは、1964年に大阪の鉄工所で配管工事の仕事を始め、親方が「原発配管で通用したら世界で通用するぞ、腕を試してこい」といわれて福井県の原発建設の仕事を求めてきたのが経緯だったという。美浜原発1号機では基礎工事、配管埋設工事、一次系二次系配管も手がけた。通常、原発1碁建設には3~4年かかるが、その間に担当する専門分野の工事が終わると原発ではない別の工事現場に移るという仕事のパターン。敦賀市には東洋紡の工場もあったのでそちらの仕事もした。
斉藤さんがこれまでに働いた原発は美浜原発1号機と3号機、敦賀原発1号機、高浜原発1号機と2号機、大飯原発1号機、玄海原発2号機。組合設立後に浜岡原発5号機の基礎工事をやったという。「敦賀原発の1号機だけが東芝日立のGE。ほかは全部三菱系」。「浜岡は砂丘ですよ。ビックリしたのは、あそこには岩盤がない」
斉藤さんが組合を設立したのは1981年5月。原発下請け労働者の組合で、全日本運輸一般労組原子力発電所分会の分会長となった。下請け労働者の抱えるピンハネと雇用不安の問題を訴え、組合参加を募るために全国キャラバンで福島第一原発にも女川原発にも出かけていってチラシをまいたという。
組合設立の最大のきっかけは敦賀原発1号機での被曝しながらの「違法修理」が発覚し、原発の稼働が止まって何の保証もないまま仕事を失ったところにあるという。「違法修理」といっても、修理の指示は敦賀第一原発を運転する日本原電が子会社の関電興業に出し、下請(孫請)の武田鉄工から斉藤さんの親方に仕事が来るルートでの要請だった。原電の「ちょっと見てくれんか」(直してほしいの意味)の指示で実際に現場に入って動いたのは親方と二人だけ。蒸気発生器にピンホール大の穴が開いていて蒸気洩れが起きていた。穴をふさぐ応急処置として斉藤さんはハンマーで鉄を叩いて延ばして穴をふさいだ。全面マスクで作業した。(ここで重要なのは、応急修理の指示を出す原電からは具体的な修理方法についての指示はないという点だ)。応急処置が終わると、二人は事務所に呼ばれてビール1ダースが「ごくろうさん」と目の前に出されたという。後でわかったのは、ビールを飲んで汗や小便を出すことが除染の早道だと聞いた。
斉藤さんの1980年~81年の被曝管理手帳。「関電興業敦賀営業所 廃棄物処理兼設備定検工事」「配属 武田鉄工所」が読みとれる。
約3ヶ月後、応急処置したところがひび割れたので、今度は肉厚のゴムと鉄板で二重に覆うようにして再び応急修理をしたという。だが、その後に洩れて原電による事故隠しが発覚し稼働停止となった。蒸気発生器の修理は本来は原発を止めて作業しなければいけないのに違反したことや、放射性物質を含んだ水が垂れ流され、コバルトが出たり、図面がないなど、様々な杜撰な管理が露呈した大騒ぎとなったという。重要なのは、こうした作業で斉藤さんの被曝量は半年で22.6ミリシーベルトに達したことだろう。
(当時はフイルムバッジ。原電は5枚のフイルムバッジを使用。ところが下請けは3枚だけ。最も危険なアルファ線と中性子も計れる2枚がない。当時は5レム(50ミリシーベルト)が最高値。3ヶ月で30ミリシーベルト(3000ミリレム)まで。)
斉藤さんはコンクリートの寿命を問題視する。コンクリートから無数にぶら下がる金具で配管が止められていることを説明している。「コンクリートは老朽化して『アルカリ骨材反応』で石とセメントが分離して強度が低下する」。とりわけ、建屋には無数の配管類がぶら下がっているので、落下損傷して大事故になることを心配している。「コンクリートの耐用年数は30年。30年経った原発は廃炉にしないと」と斉藤さんが強調する理由の一つだ。
何の保証もなく仕事を失った斉藤さんは組合を設立して、同じ下請け労働者に向けたチラシではこう訴えた。
「被曝・雇用不安の解消をめざし 原発で働く仲間の皆さん、福井県民の皆さん、私たちはこのほど労働組合を結成いたしました。今まで私たちは、下請、マゴ請、そのまた下請といった、およそ時代の先端をいく職場にふさわしくない前近代的な状況の中で、労働者同士がバラバラで希望も権利もなし、あるのは被曝の危険と雇用不安だけというひどい実態です。私たちの場合は職場や企業が違っても、あなた一人だけでも加入できる個人加盟の組合です。あなたも運輸一般原電分会に加入して、労働者として希望と誇りの持てる生活とガラス張りの原発を築くために共に力をつくしてみませんか。心から歓迎します。 全日本運輸一般労働組合原子力発電所分会 分会長 斉藤征二」
組合設立には様々な妨害があった。夜中に無言電話がかかってきたり、石を投げ込まれて玄関のガラスが割られたり、公安がつきまとったり。組合設立後に斉藤さんは中央労働委員会に、日本原電と関電興業が団体交渉を拒否しているので申し立てをし、使用者責任やピンハネの実態を追及した。下請とは契約書もないし直接雇用していないので雇用責任はないが管理責任はある、ピンハネの実態も認めたという。組合設立による交渉の結果、労働環境とピンハネの実態の改善につながったようだ。ピーク時には200人が組合に参加したという。
斉藤さんは60歳の2000年に退職した。最後に関わった原発の仕事は浜岡5号機の基礎工事。この時は被曝とは無縁の建設仕事だった。原因が特定できない病気が続出したのは原発の仕事を止めて数年後のことだった。
2001年(61歳)に体調異変で背中に水がたまる病気になった。2003年(63歳)は甲状腺切開手術。ノドにピンポン玉より小さめな固まりができていた。2006年(66歳)には急性心筋梗塞で病院に運ばれ、胸部への電気ショックで息を吹き返した。「3分遅かったらアウトだった」というほど紙一重だったようだ。2008年(68歳)には腰部脊柱菅狭窄症手術をしている。2010年(70歳)では両目の緑内障手術をした。今年は白内障手術をすることになっている。こうした病気の連続により、斉藤さんはお年寄りのように腰が曲がってしまった。
「全ての原発を停止から廃炉にしないといけない。年内は絶対動かさないように。30年のものは全て廃炉に。それが私の今の運動です」
日本原電敦賀原発。左から1号機、2号機、ふげん(白い建屋)。敦賀市 2011年
関西電力美浜原発。右から1号機、2号機、3号機。美浜町 2011年
資料:「若狭の原発15碁の40年、そして今」(地元の反原発グループが発行した一目でわかるリスト)(データサイズを大きくしてあります。自由にコピーしてください)
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コメント
山本さん、いつも読ませていただいています。
細やかな、そして冷静な取材と、胸を打つ写真をありがとうございます。
この記事を、わたしのブログに転載させていただいてもよろしいでしょうか?
以前、ラジオ放送での、作業員の方々のインタビューを文字起こしした際に、原発作業員という仕事の過酷さを声で聞き、我々にはまだまだ知らなければならないことがたくさんあると、思い知りました。
よろしくお願いいたします。
投稿: レアまうみ | 2012年3月31日 (土) 14:01
レアまうみ様
暖かいコメントありがとうございます。
転載は可能ですが、そっくりそのまま転載していただくことは控えてください。
それでは取材者に対して(ブログ作者は誰でも)失礼であり、お気軽すぎる態度と思います。
たくさんのネットユーザーに共有したいために情報発信をしているわけですが、著作権の侵害ということまではここでは言及しません。ご理解ください。
ですから一部を引用して、「つづきはこちらへ」というような方法でリンクを貼っていただきたいと思います。
ご検討ください。
投稿: 山本 | 2012年3月31日 (土) 14:22
初めてメールさせていただきます。というのも、斉藤征二さんには30年前に「臨界幻想」という演劇作品を上演する際に大変お世話になっており、今年「臨界幻想2011」という形でリメイクすることになったこともあり、ぜひ連絡をとりたいと思っていたところだからです。30年前に東京で、浪江で、敦賀で、各地で上演する時に、斉藤さんには本当にお世話になったのです。大変恐縮ですが、連絡先がわかればお知らせ願いますでしょうか。もちろん斉藤さんのご了解をいただいてのことであることは当然のことですが・・。
何とぞよろしくお願い致します。
秋田雨雀・土方与志記念青年劇場 製作部 福島明夫
電話03-3352-6922
新宿区新宿2-9-20 問川ビル4階
投稿: 青年劇場 福島明夫 | 2012年3月31日 (土) 14:37
福島さま
お問い合わせありがとうございます。
この件、まず斉藤さんに問い合わせてみます。それからご返事します。
少しお待ちください。
山本
投稿: 山本 | 2012年3月31日 (土) 15:15
福島さま
お問い合わせの件で斉藤征二さんに連絡しました。
青年劇場と千田さんのことをよく覚えていられました。
5月には新宿で上演することをお伝えしました。
連絡先はメールで送ります。
投稿: 山本 | 2012年4月 2日 (月) 11:21
初めてメールさせていただきます。浜岡原発の立地する静岡県御前崎市に居住している川上武志と言います。30歳代の頃、美浜原発、敦賀原発、四国の伊方原発、九州の玄海原発など、主に定期点検工事で各地の原発を渡り歩き、平成15年から5年間余り、浜岡原発で低レベル廃棄物の仕分け作業などを行なっていました。その体験を元にして、福島第一原発の原発震災があった年に、宝島社より「原発放浪記」を出版しました。
御前崎市に居住して原発反対運動の傍ら、浜岡原発の原子力館のガイドや講演などを精力的に行なっています。斉藤征二さんとお会いしたことはないのですが、私は斉藤征二さんと同郷の岡山県の出身です。ぜひお話を窺がうなり、メールのやり取りをしたいと考えています。取りついでいただけたら、ありがたいのですが。
川上武志より
投稿: 川上武志 | 2013年1月 8日 (火) 18:11
川上武志さま
ご連絡ありがとうございます。
長年の被ばく労働の現場での体験を本にまとめられたのですね。「原発放浪記」は斉藤征二さんのお話のように、心して読まないといけない本ですね。
斉藤さんには連絡を入れますので、1日2日後に連絡をしてみてください。
とても気さくな方で、原発の老朽化を本気で心配し、被ばく労働者の問題も訴えていられます。
とりいそぎまして
投稿: 山本 | 2013年1月 9日 (水) 22:59
管理手帳を広げている写真のうえの文章で「除選」となっていますが、変換間違いではないですか。
それにしても、堀江さんの本が出版されてから約35年、労働現場の過酷さや安全基準の出鱈目さは相変わらずかより悪くなっているみたいですね。
投稿: トランジロウ | 2013年1月15日 (火) 14:41
トラジロウ様
ご指摘ありがとうございます。
誤字ですので直します。
原発作業員とは「被ばく労働者」の大手メディアによるすり替えだということを斉藤さんの体験で実感します。
福島第一で収束活動に従事する現役の被ばく労働者は、実名で大手メディアに現場の実情や被ばく労働者の置かれた環境改善、待遇改善などを訴えることが今でもタブー視されていることからも、様々な問題が隠されていることがわかります。
投稿: 山本 | 2013年1月15日 (火) 20:24