あれから1年。被災地では何が変わったのだろうか?(A year after 3/11,has anything changed in the great tunami & Fukushima nuclear power plant disaster-hit area. ?)
(写真はクリックすると拡大します)
あれから1年が経ち、被災地にでもいない限り、国難の事態がつい昨日起きたことを私たちは忘れてしまいそうなほど、大震災前の日常を取り戻そうとしている。自戒をこめ、東日本大震災と原発事故から1年、現場で撮影した写真を通じて忘れてしまうことに抗いたい。
大津波と地盤沈下によっていわき市周辺の海岸線はどこも波が高い。広野町広野浄化センター前の海岸。3月7日
いわき市久之浜町末続の海岸。いわき市全体での死者行方不明者は347名。3月6日
死者行方不明者約60名といわれる、いわき市久之浜町久之浜 3月7日
Jビレッジスタジアムゲート。原発の南21㌔。空間線量は毎時0.5マイクロシーベルト。広野町 3月7日
3月1日、業務再開した広野町役場。除染された敷地内は毎時0.2~3マイクロシーベルトだが、周辺は0.5マイクロシーベルト平均ある。除染した小中校を再開するという。原発の南24㌔。3月7日
広野町の国道6号線警戒区域入口検問所。空間線量は毎時0.5マイクロシーベルトをこえる。3月7日
開店直前に被災したケーズデンキ富岡店。原発から南西に5㌔。3月8日
富岡町役場 敷地内の空間線量は3マイクロシーベルトだが、敷地外は6~7マイクロシーベルトの田園地帯が取り囲む。第一原発から南西に9㌔。3月8日
生け垣の剪定をする女性。自宅に帰って生活したい気持ちの表れなのだろう。原発から9㌔。富岡町 3月8日
水道管の破損状況を点検している作業員。原発から南西に9㌔。富岡町 3月8日
被曝研究のために囲い込まれた放れ牛。原発から南西に8㌔。富岡町 3月8日
「希望の牧場」でエサに食らいつく牛たち。原発から北西に14㌔。浪江町。3月9日
300頭をこす和牛がひしめく「希望の牧場」では、エサが与えられても厳しい冬を越せずに息絶える牛もいる。3月9日
南相馬市鹿島区、国道6号線脇に撤去されずに残る漁船。南相馬市の死者行方不明者は900名。3月10日
南相馬市鹿島区漁港 国道6号線まで流された漁船と浪江町請戸港から運ばれた漁船が修理を待つ。3月9日
諦めかけた酪農を再開し、原発事故前に近い出荷量までに戻した滝沢昇司さん。疎開先の郡山市の中学を卒業し、地元の高校に入学する息子は酪農を継ぎたいという。南相馬市原町区。3月9日
宮城県名取市閖上。本堂を残しほぼ壊滅的な被害を受けた曹洞宗東禅寺。名取市の死者行方不明者は966名。3月10日
宮城県南三陸町。南三陸町の死者行方不明者は845名。3月10日
岩手県大槌町の海岸地帯を1周忌法要の現場まで読経する僧侶たち。3月11日
岩手県大槌町役場。大槌町の死者行方不明者は1282名。3月12日
親戚の墓参りに来た大槌町の女性。大槌町で壊滅した曹洞宗紅岸寺の墓地。3月11日
大槌町吉里吉里にある曹洞宗吉祥寺での1周忌合同供養。200名近い檀家が亡くなった。3月11日
同吉祥寺での合同供養。僧侶約15名が全国から参加。焼香に来た人は1000名ちかかった。3月11日
2012年3月11日午後2時46分。吉里吉里湾で犠牲者の冥福を祈る遺族たち。3月11日
大熊町から避難して会津若松市の仮設住宅で暮らす木幡夫妻。郡山市で実施された3・11脱原発集会に友人たちを誘って参加した。背景は磐梯山。3月14日
村長が帰村宣言をした人口3000人の川内村。除染されたかわうち保育園。毎時0.3マイクロシーベルトは、平常時を0.04~05マイクロシーベルトとすれば、7倍に相当する。3月13日
大津波と原発事故による被災地を取材して感じるのは、1年の区切りが被災者にとってはあまり意味を持たないということだと思う。「あっという間の一年だった」。何度か取材してきた被災者の人たちからたびたび聞いた一言だった。被災者にとっては現在進行形でつづく大地震、大津波、原発事故との闘い。被災地から遠い私たちはどうしたら忘れずに助け合っていくことができるのだろうか。
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コメント
色々と画像有難うございます。
転載させてください。
動物家畜たち・・・
生かしたい、救いたい。
警戒区域内にはまだまだ多くの犬猫家畜が
残って、国民のボラさんが警戒区域内を突破してもっていく餌をたよりにまって居ます。
国や東電はほっぽり。
吉沢さん・松村さん、お寺の住職さん、他の色々な牧場主さん、多くの国民の支援で支えられて居ます。
でも、餓死する子も多いです。
戦時中じゃあるまいし・・・
いつも拝見して居ます。
有難うございます。
被災地の方たち、人も動物も家畜もみんな苦しんでます。
この現実を知ってください。
投稿: 夜空 | 2012年4月18日 (水) 19:59
大津波による被災地で、家族を失い、住まいも失い、収入源を失った多くの被災者が生活の再建を目指していることも忘れないで。
投稿: 山本 | 2012年4月20日 (金) 00:21