« 「さようなら原発1000万人アクション 2・11」 アピール力のある訴えは個人参加者のものか | トップページ | 「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3 »

2012年2月16日 (木)

仏教界に脱原発の動きはあるのだろうか?その後(自分用メモ)

 「仏教界に脱原発の動きはあるのだろうか???(自分用メモ)」(2011年11月21日 (月) のフォローアップ。

 昨年のブログに書いた時点で見逃していた曹洞宗の原発問題に関する公式見解(2011年11月1日)と全日本仏教会の公式宣言(同12月1日)の内容を以下にコピーしておきたい。

 一読すれば曹洞宗の公式見解が一気に後退してしまったことがよくわかるだけに、残念至極だ。一言でいえば、曹洞宗の見解は、曹洞宗が自ら掲げる「人権・平和・環境」のスローガンと完全矛盾していて、相容れないこと。永平寺がある福井県という原発立地自治体に配慮するあまり、原発作業員が被曝労働者であることと、原発の稼働も廃炉も被曝労働者を大量生産し続けることを全く考えていない。全日本仏教会の宣言にある、地球環境規模で原発問題と事故を捉えて思考していないことからも、アウトといえる。この見解に呆れ返っている曹洞宗の僧侶が相当いることも容易に想像できる。

浄土真宗大谷派でも、長年、原発の危険性を訴えてきた僧侶らが巻き返しにあっていると報道されている。
この反動的とさえいえる動きは、政権与党の民主党も、半世紀にわたって原発推進一直線の国策を遂行してきた自民党も、野田政権登場後は、脱原発志向から原発稼働思考に変わりつつある「俗界」と変わらないということだろう。

 加えて、仏教界だけでなく、世間の注目を浴びた永平寺のシンポジウム「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方~」(2011年11月2日開催)実施に中心的な役割を果たした西田正法布教部長に対する宗派内の様々な批判と圧力により、西田師がその職を辞めることになりそうだという情報をある方からいただいた。(現段階で布教部長職を辞したかとうかは未確認)

 永平寺布教部長を辞す必要がある理由が何なのかは、門外漢の私には特定できない。私の推測は三点。
一つは、シンポジウムの内容が曹洞宗の公式見解を逸脱し、脱原発が不可欠なことが参加者に共有された内容だったことに対する批判。
二つめは、「もんじゅ」「ふげん」の命名に永平寺が関与していたことを世間に周知させたことに対する批判。
三つめは、原発の菩薩名は、実は秦慧玉師(慈眼福海禅師1976年4月~1985年)が命名したという当時の事実を誤魔化した記者会見(西田師は不在。松原副監院が質疑応答)だったことに対する批判

 「もんじゅ」「ふげん」命名の経緯についてブログで書いてから、複数の曹洞宗関係者や読者の指摘で明らかになったことは、永平寺の秦慧玉禅師が自ら命名したというものだった。これは残念以外の何ものでもない。さらにいえば、曹洞宗関係者のみならず、日本の伝統仏教会関係者は、「もんじゅ」「ふげん」のネーミングについて今からでも遅くないから止めさせようと考える思考を持ち合わせていないことが何とも情けない。

 永平寺シンポジウムの報告ブログはこちら

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
曹洞宗は「原子力発電に対する曹洞宗の見解について」を次のとおり発表したいます。
原子力発電に対する曹洞宗の見解について(PDF)
2011年 11月 01日

原子力発電に対する曹洞宗の見解について

東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故は大量の放射性物質を拡散しました。
福島県ではたくさんの人びとが強制的に避難を強いられ、いつになれば自分の家に戻れるのか、その見通しすらついていません。また、避難された先ざきで差別や偏見にさらされ、さまざまな風評被害も生じています。
日本のエネルギー自給率を考えるなかで、CO2削減のためにその将来性を期待され、すすめられてきた原子力政策が、今回の事故で絶対的な安全はないということが明らかになり、ひとたび事故を起こすとその被害、影響は計り知れないものであることがわかりました。

しかし、現状において即時に全ての原子力発電を停止し、再生可能エネルギーに転換することは不可能であり、また、火力発電や水力発電にしても、CO2排出量の増加や、河川などの環境への負荷、建設地域の方がたの移転等、それぞれに多くの問題を抱えています。また、電力不足による経済の混乱、原子力発電所が立地する自治体の事情や、それにかかわる労働者の雇用問題など、解決しなければならない問題は多岐にわたります。
曹洞宗は「人権・平和・環境」のスローガンのもと、人権の擁護、平和の確立、環境の保全を目指し、これらの課題に真剣に取組んでいます。

今回の震災とそれにともなう原発事故の問題は、「人権・平和・環境」のすべてに関わるものであり、日本のみならず、世界規模の問題と私たちは考えています。もとより、すべてのものごとが互いに支え合って存在しているととらえ、どちらか一方の立場にとらわれることなくものごとに接していくことが、私たち曹洞宗の姿勢であり、それを具体化したものが、このスローガンです。

地震大国である日本の状況や地球環境を考えれば、原子力発電は速やかに停止し、二度とこのような被害や環境破壊を起こさないためにも、再生可能エネルギーに移行することが望ましいと思います。
しかし、直ちにこれを廃止する場合、前述のようなさまざまな問題を解決しなければならず、現時点で原子力発電の是非について述べることは非常に難しいのではないでしょうか。
私たちは、発電の背景には多くの問題や課題があり、それに携わるたくさんの人びとがいるということ認識しながら、一人ひとりが自分の問題として向きあうことが大切だと考えます。日々の生活の中で使う電気を無駄に消費していないか点検することもその一つです。

また、原子力発電を否定的に捉えることが感情的に行なわれ、原子力発電にかかわる人びとを傷つけることも心配されます。
すべての人びとの生活や苦悩といったものに正しく向きあい、支えあっていくことが、私たちの大切な使命であると考えております。
曹洞宗人権擁護推進本部では、被災地に赴き、避難されている方がたとの対話と交流を通じ、風評被害や人権に関わる被害の実態の把握に努めています。また、曹洞宗総合研究センターにおいても、10月24日に「東日本大震災をうけて いま、私たちに何ができるのかを考えるシンポジウム」を開催し、たくさんの方がたから貴重なご意見をいただきました。これらを通して、すべての人びとと思いを共有し、さらなる世界の平和と人びとの安寧無事を願い、祈り、諸活動を続けていきたいと考えます。                    

11年11月1日
曹 洞 宗


全日本仏教会ニュースリリース

宣言文

原子力発電によらない生き方を求めて

東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々はやり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。

広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。

日本は原子爆弾による世界で唯一の被爆国であります。多くの人々の「いのち」が奪われ、また、一命をとりとめられた人々は現在もなお放射線による被曝で苦しんでいます。同じ過ちを人類が再び繰り返さないために、私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして「いのち」の尊さを世界の人々に伝え続けています。

全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。

私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。

そして、私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言いたします。

2011(平成23)年12月1日

財団法人 全日本仏教会

河野太通会長からのメッセージ (Youtubeの動画です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私の情報ソースは偏っているので、他宗派の動きについての情報があればコメントしてください。

|

« 「さようなら原発1000万人アクション 2・11」 アピール力のある訴えは個人参加者のものか | トップページ | 「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3 »

ニュース」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

東日本大震災(原発事故・放射能汚染)」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 仏教界に脱原発の動きはあるのだろうか?その後(自分用メモ):

« 「さようなら原発1000万人アクション 2・11」 アピール力のある訴えは個人参加者のものか | トップページ | 「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3 »