「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3
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「警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん」(2011年12月13日 (火)のその後です。
杉並区の脱原発有象無象デモに飛び入り参加した吉沢さん。阿佐ヶ谷駅近くでデモ参加者に叫びかける。(2月19日)
「福島県浪江町です。原発から14㌔地点。あの爆発音を二回聞きました。浪江町はもう人も住めない、帰ることもできない、まさにチェルノブイリです。そういう汚染地帯になってしまいました。たくさんの牛たちがエサもなく水もなく死んでしまいました。僕たちの人生をめちゃくしゃにしてしまいました。福島県の米は売れない。野菜は売れない。東京電力のせいです。国のせいです。ぼくたちの町は人も帰ることのできないチェルノブイリになってしまった。町に帰る意味もないんです。故郷は放射能まみれです。東京のみなさんが使っていた電気を40年作って送ってきました。もう原発なんかたくさんだ。
東電の金儲けのために原発事故が起きてしまいました。町に帰る意味がないことをみなさんはわかりますか?絶望的な状況の中で町がなくなる。でもみなさんには暖かい家もあるし、帰ることのできる故郷もある。しかし、浪江町は二度と米を作るなど不可能だと思います。子どもや孫たちの世代までも放射能汚染に苦しむそういう世界になってしまいました。子どもの戻らない町にどうして親御さんが戻るでしょう。
私は牛たちの命を見捨て逃げるわけには行かなかった。私の牧場では、いまなお300頭の牛が生きている。経済的な価値のなくなった牛たちが生きています。私も牛たちも被曝しました。国は殺処分を命じています。命を大切にしない日本の世の中の縮図だと思います。たくさんのペットは救出されました。でもぼくたちの牛やブタはガレキのように扱われています。放射能に汚染されても生きる300頭の牛たちは、原発事故の生き証人です。真実の姿をみなさんに提供してくれます。絶望的な状況であっても必ず希望の灯火をもやしたいと思います。
僕たちの浪江町はチェルノブイリです。誰のせいだ、東京電力のせいだ。国のせいだ。東京電力の責任のみならず、首都圏のみなさんは電気代を倍払ってほしい。そのお金で福島県の被った損害をみんなの連帯責任でやってほしい。故郷はチェルノブイリだ。ぼくたちの未来はつぶされた。10万人の避難民は寒い仮設住宅で心が折れそうになっています。この胸のつぶれるような思いを東京で言い続けたい」
渋谷駅ハチ公前交差点で通行人に呼びかける吉沢正己さん。1月27日撮影 吉沢さんは阿佐ヶ谷と同様に絶叫していた。誰もが無関心と思えるハチ公前だが、カンパ箱に千円札を入れていく人が多いそうだ。中には1万円札も。
「希望の牧場」で300頭(おそらくこえているかもしれない)の和牛の世話をする吉沢正己さんは、都内の街頭に立ってゲキを飛ばす知る人ぞ知る、ある意味では「過激な」、ある意味では真っ当な畜産家だ。演説の内容は、核心をついているたけに、福島第一原発から遠く離れた大都会の喧噪をすいすいと泳ぐ都会人の耳には痛い内容かもしれない。
真冬の「希望の牧場」は一言でいって、生と死が凝縮した空間となっている。生き抜く力の強いものがより多くのエサを食べ、弱いものが痩せていくそんな厳しい世界。たくさんの子牛も生まれてくるが、生き延びることの叶わない生命も少なくない。母牛用の栄養価の高いエサが近所のある酪農家とのもめ事で入手できなくなったために、子牛が育つに十分なオッパイが出ないことも直接の原因のひとつだという。いづれにしても、たった一人の吉沢さんが、毎日朝晩エサをやり、管理し養うことが最低限にできる範疇をこえているとしかいいようがない。
加えて、毎週一度は囲い込みで捕獲された離れ牛の引き取りという、ほかの畜産農家がやろうとしない作業もある。実際、私の取材中に、4頭の「M牧場(希望の牧場の前身)」所属の離れ牛を囲い込み施設まで大型トラックを乗り付けて引き取った。捕獲や引き取りはケガしてもおかしくないほどたいへんな作業となるが、市や県、農政の現場担当者は捕獲された牛を引き取ってもらうことには協力的だった。
いま、「希望の牧場」は、春先に草がはえてくる時期までの試練の時を迎えている。
見ていると体格の良いものが押しのけてエサにかぶりつく。乾燥ロールは3~4ヶ所に置かれるので、早い者強い者勝ちだけの世界ともいえない。
相馬市のモヤシ工場に、エサ用のもやしカスを引き取りに行くのも仕事のひとつ。モヤシのカスは乾燥エサよりも牛たちが奪いあうほどうまくてよろこばれるそうだ。
モヤシカスを置いた途端に我先にと食べ始める和牛。いつもいつも食欲旺盛だ。
だが、母牛用の栄養価の高いエサが十分でないためか、冬を乗り切ることができずに息絶える子牛があちらこちらに。
寒風吹きすさぶ厳しい北風に耐えることができなかったのだろうか、死んだ子牛がここにも。
生存競争に負けたのか、エサ不足なのか、成牛も亡くなる厳しい季節。
12月の取材から約2ヶ月の間に、牧場で亡くなっていた牛は子牛と成牛会わせて10数頭。吉沢さん一人の手に負える状況をこえた、コントロールのきかない状況下に置かれた牛たち。生き延びるもの、死んでゆくもの。安全圏に住む私たちの感傷的な判断基準をこえた状況の中で、それでも牛たちはあと2ヶ月あまりの冬を何とか乗り切ることができるのではないだろうか。
春を迎え、夏、秋、冬と被曝した牛たちが生き延びることは、原発事故の生き証人を生かすことではないだろうか。ビキニ事件で被曝し、その隠された歴史を時代をこえて発信し続ける第五福竜丸を保存しつづけるように。
◯追記:「希望の牧場」はエサ支援などのサポートを歓迎している。詳しくは希望の牧場のwebでごらんください。
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コメント
地震の前牛の口蹄疫で日本の牛が何十万頭も薬殺されて埋葬されました、ただの一人この命の扱いに涙したのは飼育の方のみで国民のほとんどが何の関心もありませんでした。ある国のたとえでは地震は地下に眠る牛の寝返りで起こるという言い伝えがあるそうです。危ないなと思いきや、日本で大きなそれも千年に一度と言う未曾有な出来事でした何も東北の責任ではないのですが。何十万頭の牛の供養が日本人には必要ではないのでしょうか。ご活躍を念じて。
投稿: 南部義彦 | 2012年3月 8日 (木) 18:15