« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月の投稿

2012年2月20日 (月)

写真で見る「脱原発杉並有象無象デモ」

(写真はクリックすると拡大します)
 
 2月19日に杉並区内で開催された脱原発杉並デモ(副題は自由)を撮影した。主催者によると5000人から6000人の参加者という。過剰警備によって細切れに分断されたものの、参加者数はかなりにのぼった。ところが、新聞テレビ報道は、日本共産党機関紙の「赤旗」のみがしっかりと掲載しただけだった。一体どうしたことだろう。全国紙の都内版にベタ記事でも掲載するのがごく普通の報道機関の果たすべき役割ではないのだろうか。などと愚痴ってもはじまらないので、ネットメディアの役割を果たすだけだ。なにしろ、ブログに掲載するだけでも、大手メディアでさえも否定できない事実として残されるわけだから、逆にネットメディアの責任は重い。

 ということで写真による脱原発デモの報告をご覧下さい。もちろん、ここに掲載する写真は全体のごく一部でしかありません。ブログという限られたスペースと撮影者の主観で選んでいるだけです。また、主催者のwebはこちら→脱原発杉並(副題は自由)
 
 _aaa0039自分でも笑ってしまった写真。集会場で登壇したのが鈴木邦男氏(一水会代表)。参加者の固い表情。社民党、新社会党、日本共産党の政党旗がはためく集まり。鈴木氏は中沢新一氏らが立ち上げた「グリーンアクティブ」発起人の一人として参加しているので、驚くことではないが、それにしても右から左の左までの集まりだったのは確かだ。(東高円寺駅前の蚕糸の森公園)

_aaa0017_2「この国に米軍基地の広さほど並べてみたし太陽パネル」「責任を誰が負うのか半減期数十万年の核の危うさ」

_aaa0104「全電力を人民に!! POWER TO THE PEOPLE !!」

_aaa0177オシャレなプラカードのひとつ「核などいらない」「ついでにマイナンバーとかも拒否ですだよ」

_aaa0116「反核上等」 作った女性の弁:「パンダが好きだから」

_dsc6414「NO NUKES」ヘアバンド

_aaa0260明治42年(1909年)に杉並で生まれた102歳の藤原フミさん。4月には103歳になるそうです。脱原発デモの最高齢者ではないだろうか。「渇っ!」をいただきました。
_aaa0169乳母車の赤ちゃんも、「原発いらない」の風船を手に参加?

_aaa0183別の若い夫婦が赤ちゃんとともに参加。手にしていたあやし用玩具に「原発 ダメ 不要」と。

_dsc6375

_aaa0337「もう一基爆発したら日本はどうなる」

_aaa0368「直接請求」「原発 都民投票」

_aaa0328いよいよ有象無象の登場か?
_aaa0333怪しい屋台「なんとかBAR」

_aaa0324カラオケトラック

_aaa0210中東関係の方とシャボン玉の関係???

_dsc6393「STOP 許すな! 原発再稼働」「2・19 NO! NUKES」 存在感を示す年期の入った高齢者集団(といっては失礼か)

_aaa0278

_aaa0352「東電燃やす」「FUCK ALL」 スゴイ人形使いの若者。

_aaa0376警戒区域の残されたネコも涙目で恨めしそうに参加?「どうしてボクたちおきざりにされたの?」 

_dsc6442警察官(機動隊?)脱原発デモ隊???(そんなわけないか。ただし心の中はわからない)
_dsc6464

_aaa0440先頭を歩くキッズ班。

_aaa0414「原発いらない」の首飾りをさげた女の子。ちょっと歩き疲れた様子。

_aaa0293「ACT 3・11 JAPAN 廃炉」

_aaa0382「ダメ!ゼッタイ!再稼働ダメ」

_aaa0314汚染地域から子供を解放 集団移住 未来への責任

_dsc6568いつもみかける「脱原発」の大旗。腕力を鍛え抜いている方でしか担ぎとうせない技。

_dsc6522「福島県浪江町です。原発から14㌔地点。あの爆発音を二回聞きました。浪江町はもう人も住めない、帰ることもできない、まさにチェルノブイリです」 一気に通行人とデモ参加者の関心を引き寄せて熱弁をふるう吉沢正己「希望の牧場」代表。デモ隊がJR阿佐ヶ谷駅に着こうとする手前に街宣トラックを止め、感情込めて叫んだ吉沢さんは、3月18日に東電本社に単身乗り込んで、直接抗議した強者。吉沢さんの牧場の現状はブログでどうぞ

◯解散地点が杉並区立杉並第一小学校の校庭には驚いた。
_aaa0720_2「今こそターニングポイント さようなら原発!」

_aaa0698警備のおまわりさんたちもフォークダンスの輪に入りたいのか???(そんなわけはないか)

_aaa0763

_aaa0739ラストショット。故人扱いの「バイバイ もんじゅ君」団扇。小学生くらいの女の子が手にしていた。

◯取材後記のひとこと:これほど多種多様、種種雑多、右左の有象無象らしき市民が集って民主主義を行使しているというのに、大手メディアはいったいどこで何を取材しているのだろうか?

◯共感できる主催者の呼びかけ文紹介
「原子力にたよらない世界をめざして、杉並を中心とした市民が立ちあがりました。 原子力発電所はもういらない! わたしたちは、その一点において、広くゆるくつながった「有象無象」です。世代も、仕事も、会社も、国籍も、組織も関係なし。ひとりひとりが自分の声をもつ、みんなちがって当たりまえの個人です。

自分たちの使う電気がどこから来るかに無関心すぎた、訴えてきたけれど力が足りなかった、あるいは、知っていたのに見て見ぬふりをしてきたことを悔やむ——ひとりひとりにそれぞれの理由があり、そこから「脱原発」を求めます。

わたしたちの子ども、孫、そのまた孫の未来を脅かしてはならない。放射能に家を追われた人、残ることを選んだ人、福島の原発事故現場で被曝しながら作業をつづける人たちを忘れてはならない。放射能で大地を汚すな。痛みを分かち合い、開かれた議論の場をつくろう! と、訴えたいことはたくさんありますが、全部ここでは言い切れない。」 つづく


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年2月19日 (日)

「希望の牧場」Part2:警戒区域内の「生と死の狭間」。警戒区域の現実3

(写真はクリックすると拡大します)

「警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん」(2011年12月13日 (火)のその後です。

_aaa0566杉並区の脱原発有象無象デモに飛び入り参加した吉沢さん。阿佐ヶ谷駅近くでデモ参加者に叫びかける。(2月19日)
_aaa0640

 「福島県浪江町です。原発から14㌔地点。あの爆発音を二回聞きました。浪江町はもう人も住めない、帰ることもできない、まさにチェルノブイリです。そういう汚染地帯になってしまいました。たくさんの牛たちがエサもなく水もなく死んでしまいました。僕たちの人生をめちゃくしゃにしてしまいました。福島県の米は売れない。野菜は売れない。東京電力のせいです。国のせいです。ぼくたちの町は人も帰ることのできないチェルノブイリになってしまった。町に帰る意味もないんです。故郷は放射能まみれです。東京のみなさんが使っていた電気を40年作って送ってきました。もう原発なんかたくさんだ。

 東電の金儲けのために原発事故が起きてしまいました。町に帰る意味がないことをみなさんはわかりますか?絶望的な状況の中で町がなくなる。でもみなさんには暖かい家もあるし、帰ることのできる故郷もある。しかし、浪江町は二度と米を作るなど不可能だと思います。子どもや孫たちの世代までも放射能汚染に苦しむそういう世界になってしまいました。子どもの戻らない町にどうして親御さんが戻るでしょう。

 私は牛たちの命を見捨て逃げるわけには行かなかった。私の牧場では、いまなお300頭の牛が生きている。経済的な価値のなくなった牛たちが生きています。私も牛たちも被曝しました。国は殺処分を命じています。命を大切にしない日本の世の中の縮図だと思います。たくさんのペットは救出されました。でもぼくたちの牛やブタはガレキのように扱われています。放射能に汚染されても生きる300頭の牛たちは、原発事故の生き証人です。真実の姿をみなさんに提供してくれます。絶望的な状況であっても必ず希望の灯火をもやしたいと思います。

 僕たちの浪江町はチェルノブイリです。誰のせいだ、東京電力のせいだ。国のせいだ。東京電力の責任のみならず、首都圏のみなさんは電気代を倍払ってほしい。そのお金で福島県の被った損害をみんなの連帯責任でやってほしい。故郷はチェルノブイリだ。ぼくたちの未来はつぶされた。10万人の避難民は寒い仮設住宅で心が折れそうになっています。この胸のつぶれるような思いを東京で言い続けたい」

_aaa0264渋谷駅ハチ公前交差点で通行人に呼びかける吉沢正己さん。1月27日撮影 吉沢さんは阿佐ヶ谷と同様に絶叫していた。誰もが無関心と思えるハチ公前だが、カンパ箱に千円札を入れていく人が多いそうだ。中には1万円札も。

 「希望の牧場」で300頭(おそらくこえているかもしれない)の和牛の世話をする吉沢正己さんは、都内の街頭に立ってゲキを飛ばす知る人ぞ知る、ある意味では「過激な」、ある意味では真っ当な畜産家だ。演説の内容は、核心をついているたけに、福島第一原発から遠く離れた大都会の喧噪をすいすいと泳ぐ都会人の耳には痛い内容かもしれない。

_aaa0486牧場ゲートの立て看板が新しくなった。(以下は2月初旬撮影)

 真冬の「希望の牧場」は一言でいって、生と死が凝縮した空間となっている。生き抜く力の強いものがより多くのエサを食べ、弱いものが痩せていくそんな厳しい世界。たくさんの子牛も生まれてくるが、生き延びることの叶わない生命も少なくない。母牛用の栄養価の高いエサが近所のある酪農家とのもめ事で入手できなくなったために、子牛が育つに十分なオッパイが出ないことも直接の原因のひとつだという。いづれにしても、たった一人の吉沢さんが、毎日朝晩エサをやり、管理し養うことが最低限にできる範疇をこえているとしかいいようがない。

 加えて、毎週一度は囲い込みで捕獲された離れ牛の引き取りという、ほかの畜産農家がやろうとしない作業もある。実際、私の取材中に、4頭の「M牧場(希望の牧場の前身)」所属の離れ牛を囲い込み施設まで大型トラックを乗り付けて引き取った。捕獲や引き取りはケガしてもおかしくないほどたいへんな作業となるが、市や県、農政の現場担当者は捕獲された牛を引き取ってもらうことには協力的だった。

 いま、「希望の牧場」は、春先に草がはえてくる時期までの試練の時を迎えている。

_aaa0657乾燥干し草のロールにむしゃぶりつく和牛。

_aaa0556見ていると体格の良いものが押しのけてエサにかぶりつく。乾燥ロールは3~4ヶ所に置かれるので、早い者強い者勝ちだけの世界ともいえない。
_aaa0588

_aaa0224

_aaa0051相馬市のモヤシ工場に、エサ用のもやしカスを引き取りに行くのも仕事のひとつ。モヤシのカスは乾燥エサよりも牛たちが奪いあうほどうまくてよろこばれるそうだ。

_aaa0958モヤシカスを置いた途端に我先にと食べ始める和牛。いつもいつも食欲旺盛だ。

_aaa0105牛舎では乳離れしつつある子牛たちが7~8頭寄り添っていた。

_aaa0804だが、母牛用の栄養価の高いエサが十分でないためか、冬を乗り切ることができずに息絶える子牛があちらこちらに。

_aaa0824寒風吹きすさぶ厳しい北風に耐えることができなかったのだろうか、死んだ子牛がここにも。

_aaa0962カラスにつつかれた子牛の屍も。

_aaa0921生存競争に負けたのか、エサ不足なのか、成牛も亡くなる厳しい季節。

_aaa0554生まれて死んでゆく子牛。

_aaa0905そして、毎日種付けできるほど元気な種牛。

_dsc5162母牛のオッパイを求めて離れない子牛。

 12月の取材から約2ヶ月の間に、牧場で亡くなっていた牛は子牛と成牛会わせて10数頭。吉沢さん一人の手に負える状況をこえた、コントロールのきかない状況下に置かれた牛たち。生き延びるもの、死んでゆくもの。安全圏に住む私たちの感傷的な判断基準をこえた状況の中で、それでも牛たちはあと2ヶ月あまりの冬を何とか乗り切ることができるのではないだろうか。
 春を迎え、夏、秋、冬と被曝した牛たちが生き延びることは、原発事故の生き証人を生かすことではないだろうか。ビキニ事件で被曝し、その隠された歴史を時代をこえて発信し続ける第五福竜丸を保存しつづけるように

◯追記:「希望の牧場」はエサ支援などのサポートを歓迎している。詳しくは希望の牧場のwebでごらんください。


| | コメント (1) | トラックバック (2)

2012年2月16日 (木)

仏教界に脱原発の動きはあるのだろうか?その後(自分用メモ)

 「仏教界に脱原発の動きはあるのだろうか???(自分用メモ)」(2011年11月21日 (月) のフォローアップ。

 昨年のブログに書いた時点で見逃していた曹洞宗の原発問題に関する公式見解(2011年11月1日)と全日本仏教会の公式宣言(同12月1日)の内容を以下にコピーしておきたい。

 一読すれば曹洞宗の公式見解が一気に後退してしまったことがよくわかるだけに、残念至極だ。一言でいえば、曹洞宗の見解は、曹洞宗が自ら掲げる「人権・平和・環境」のスローガンと完全矛盾していて、相容れないこと。永平寺がある福井県という原発立地自治体に配慮するあまり、原発作業員が被曝労働者であることと、原発の稼働も廃炉も被曝労働者を大量生産し続けることを全く考えていない。全日本仏教会の宣言にある、地球環境規模で原発問題と事故を捉えて思考していないことからも、アウトといえる。この見解に呆れ返っている曹洞宗の僧侶が相当いることも容易に想像できる。

浄土真宗大谷派でも、長年、原発の危険性を訴えてきた僧侶らが巻き返しにあっていると報道されている。
この反動的とさえいえる動きは、政権与党の民主党も、半世紀にわたって原発推進一直線の国策を遂行してきた自民党も、野田政権登場後は、脱原発志向から原発稼働思考に変わりつつある「俗界」と変わらないということだろう。

 加えて、仏教界だけでなく、世間の注目を浴びた永平寺のシンポジウム「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方~」(2011年11月2日開催)実施に中心的な役割を果たした西田正法布教部長に対する宗派内の様々な批判と圧力により、西田師がその職を辞めることになりそうだという情報をある方からいただいた。(現段階で布教部長職を辞したかとうかは未確認)

 永平寺布教部長を辞す必要がある理由が何なのかは、門外漢の私には特定できない。私の推測は三点。
一つは、シンポジウムの内容が曹洞宗の公式見解を逸脱し、脱原発が不可欠なことが参加者に共有された内容だったことに対する批判。
二つめは、「もんじゅ」「ふげん」の命名に永平寺が関与していたことを世間に周知させたことに対する批判。
三つめは、原発の菩薩名は、実は秦慧玉師(慈眼福海禅師1976年4月~1985年)が命名したという当時の事実を誤魔化した記者会見(西田師は不在。松原副監院が質疑応答)だったことに対する批判

 「もんじゅ」「ふげん」命名の経緯についてブログで書いてから、複数の曹洞宗関係者や読者の指摘で明らかになったことは、永平寺の秦慧玉禅師が自ら命名したというものだった。これは残念以外の何ものでもない。さらにいえば、曹洞宗関係者のみならず、日本の伝統仏教会関係者は、「もんじゅ」「ふげん」のネーミングについて今からでも遅くないから止めさせようと考える思考を持ち合わせていないことが何とも情けない。

 永平寺シンポジウムの報告ブログはこちら

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
曹洞宗は「原子力発電に対する曹洞宗の見解について」を次のとおり発表したいます。
原子力発電に対する曹洞宗の見解について(PDF)
2011年 11月 01日

原子力発電に対する曹洞宗の見解について

東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故は大量の放射性物質を拡散しました。
福島県ではたくさんの人びとが強制的に避難を強いられ、いつになれば自分の家に戻れるのか、その見通しすらついていません。また、避難された先ざきで差別や偏見にさらされ、さまざまな風評被害も生じています。
日本のエネルギー自給率を考えるなかで、CO2削減のためにその将来性を期待され、すすめられてきた原子力政策が、今回の事故で絶対的な安全はないということが明らかになり、ひとたび事故を起こすとその被害、影響は計り知れないものであることがわかりました。

しかし、現状において即時に全ての原子力発電を停止し、再生可能エネルギーに転換することは不可能であり、また、火力発電や水力発電にしても、CO2排出量の増加や、河川などの環境への負荷、建設地域の方がたの移転等、それぞれに多くの問題を抱えています。また、電力不足による経済の混乱、原子力発電所が立地する自治体の事情や、それにかかわる労働者の雇用問題など、解決しなければならない問題は多岐にわたります。
曹洞宗は「人権・平和・環境」のスローガンのもと、人権の擁護、平和の確立、環境の保全を目指し、これらの課題に真剣に取組んでいます。

今回の震災とそれにともなう原発事故の問題は、「人権・平和・環境」のすべてに関わるものであり、日本のみならず、世界規模の問題と私たちは考えています。もとより、すべてのものごとが互いに支え合って存在しているととらえ、どちらか一方の立場にとらわれることなくものごとに接していくことが、私たち曹洞宗の姿勢であり、それを具体化したものが、このスローガンです。

地震大国である日本の状況や地球環境を考えれば、原子力発電は速やかに停止し、二度とこのような被害や環境破壊を起こさないためにも、再生可能エネルギーに移行することが望ましいと思います。
しかし、直ちにこれを廃止する場合、前述のようなさまざまな問題を解決しなければならず、現時点で原子力発電の是非について述べることは非常に難しいのではないでしょうか。
私たちは、発電の背景には多くの問題や課題があり、それに携わるたくさんの人びとがいるということ認識しながら、一人ひとりが自分の問題として向きあうことが大切だと考えます。日々の生活の中で使う電気を無駄に消費していないか点検することもその一つです。

また、原子力発電を否定的に捉えることが感情的に行なわれ、原子力発電にかかわる人びとを傷つけることも心配されます。
すべての人びとの生活や苦悩といったものに正しく向きあい、支えあっていくことが、私たちの大切な使命であると考えております。
曹洞宗人権擁護推進本部では、被災地に赴き、避難されている方がたとの対話と交流を通じ、風評被害や人権に関わる被害の実態の把握に努めています。また、曹洞宗総合研究センターにおいても、10月24日に「東日本大震災をうけて いま、私たちに何ができるのかを考えるシンポジウム」を開催し、たくさんの方がたから貴重なご意見をいただきました。これらを通して、すべての人びとと思いを共有し、さらなる世界の平和と人びとの安寧無事を願い、祈り、諸活動を続けていきたいと考えます。                    

11年11月1日
曹 洞 宗


全日本仏教会ニュースリリース

宣言文

原子力発電によらない生き方を求めて

東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々はやり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。

広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。

日本は原子爆弾による世界で唯一の被爆国であります。多くの人々の「いのち」が奪われ、また、一命をとりとめられた人々は現在もなお放射線による被曝で苦しんでいます。同じ過ちを人類が再び繰り返さないために、私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして「いのち」の尊さを世界の人々に伝え続けています。

全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。

私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。

そして、私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言いたします。

2011(平成23)年12月1日

財団法人 全日本仏教会

河野太通会長からのメッセージ (Youtubeの動画です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私の情報ソースは偏っているので、他宗派の動きについての情報があればコメントしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月12日 (日)

「さようなら原発1000万人アクション 2・11」 アピール力のある訴えは個人参加者のものか

(写真はクリックすると拡大します)

 大江健三郎さんや落合恵子さんらが呼びかけ人で昨年の9月19日からスタートした「さようなら原発 1000万人アクション」。都内開催3度目のイベントは、主催者発表では12000人の参加者があったという。朝日新聞が朝刊の一面に大きく脱原発デモの写真を掲載したのにはいくらか驚き、大歓迎。だが、内容的には、組織や団体ののぼりやワンパターンのスローガンが会場にあふれ、若干気持ちが萎えた。
 掲載した写真で一目瞭然だと思うが、市民の一般参加者と思われる個人や仲間が手にする独自で多様なアピール方法、スローガンの中身が参加者の熱意を感じさせ、説得力があることがわかる。

_aaa0089呼びかけ人の一人、大江健三郎さんの開会のスピーチ。
_dsc5980前回は原稿が赤や青で校正されていたが、今回は校正あとは少なかった。

「ドイツは原発廃止の問題を倫理の問題として取り上げた。~~いま政治家や実業家や官僚たちが、原発をうやむやに再稼働させようとしている。こういう時に私たちは抵抗しなければいけない。抵抗は倫理である。日本人が原発を全廃することは倫理なのです。いかなる価値、経済的価値とか、政治的価値とか、国力がどうのとかを超えた、根本的に一番重要なのが倫理なのです」(大江健三郎さんのスピーチから)

主催者の「さようなら原発 1000万人アクション」はこちら

_aaa0040参加組織の幟が集会場を埋め尽くし、一般参加者が入りにくそうな雰囲気だった。

_aaa0053 「NO 原発」のストレートなうちわメッセージ。

_aaa0062 「東電は我が美しき故郷「福島」の自然を返せ!」このアピールも素晴らしく、唸った。
_aaa0292 「地震列島 日本に原発 危なすぎ」
_aaa0143_2 「フクシマの風下生きる我が狂気 堕ちよ滅びよ驕奢の時代(ゲンパツニッポン)」

_aaa0122_2 「野田政権による原発再稼働阻止! 全原発を即時停止・廃炉せよ! 日米安保教化・大増税を許すな! 革マル派」 まったく同感できる檄文だ。革マル派も最も大きく目立つ横断幕で堂々と参加。さまざまなグループが思想信条の違いをこえて参集している。

_aaa0032「原発はいらない!」 「ドイツにできた事は日本にもできる!」
_aaa0201「原発を止めろ!」 益永スミコさん(88歳)。戦争中に産婆となり、戦後も助産婦として長年務めてきた素晴らしい一人活動家。益永さんの生き様の記事はこちらに_aaa0176外国人男性も思わず写真を撮っていた。

_aaa0248 「原発止めよう!」「脱原発を実現し、エネルギー政策を転換! 六ヶ所再処理工場に反対し、放射能汚染を阻止する全国ネットワーク」
_aaa0232 「日本人はどうするのか? NO! NUKES! IF YOU WANT IT」_aaa0347呼びかけ人の一人、落合恵子さん。明るい人だ。

_aaa0530組織的動員で参加者が増えることに異論はまったくない。が、原発事故からもうじき1年が経とうとしている。独自に用意したスローガンやアピール方法による多様な脱原発の訴えがあって自然だろう。_dsc6272_2

_dsc6217 「原発ほうき」「原発再稼働 NO!」「NUKE IS OVER!」「NO MORE FUKUSHIMA」「エネルギー政策転換を!」「STOP NUKES FOREVER!」
_aaa0436 「核は人類には制御不能の魔物」 「原発に頼らぬ暮らしを」
_aaa0331 「都民が決める!」「原発住民投票条例? 作れるわけないし作るつもりないもん」

_aaa0630埼玉県で農業を営む若者のグループ。放射能によって目に見えない被害を受ける生物をきつねのお面でシンボリックに表現したという。

_aaa0396 「福島を返せ! 南相馬市に帰りたい! 故郷lを奪った国と東電を許しません!」
_dsc6152「(保安院 あんたら、ナメてるの?) 再稼働は災禍道! 廃炉こそ文明の選択です!」
_aaa0371個人的にこの日の一番のお気に入りスローガン。このスローガンと傘でのアピール、最高の組み合わせです。

「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし 田中正造」


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月10日 (金)

毎時121マイクロシーベルト。原発北西方向はやはり高い浪江町。警戒区域の現実2.

(写真はクリックすると拡大します)

 原発事故後の浪江町の一つの特徴は、生物の悲喜こもごもが集中していることではないだろうか。とりわけ、牛たちが懸命に生き延びている姿が目立つ。元々、町の山寄りの地域は畜産農家や酪農家が多く、水田や梨畑のような果樹園が展開する農耕地帯だったことがわかる。

_aaa0471牛の殺処分に断固として反対し、被ばくした和牛約300頭を原発事故の生き証人として生かし続けようと、国や東電、県や町の行政と闘ってきた「希望の牧場」(吉沢正己代表)又はエム牧場。原発から北北西に14㌔。屋外の線量は毎時4~5マイクロシーベルト

_aaa0727_2「希望の牧場」支援者の援助で購入したエサは朝夕の二回分け与える。浜通りは内陸と大違いで雪はあまり降らない。北風の吹き下ろしが体力のない生後間もない子牛の命を奪い取ることもある。

_aaa0893原発事故後に「希望の牧場」では子牛の出産ラッシュが訪れている。だが、栄養価の高いエサ不足により母牛のミルクの出が悪いことで子牛の命を奪うことにつながっているようだ。下の写真は懸命にミルクを飲もうとする子牛。生命力の強いものが確実に生き延びている
_dsc5309


_dsc4928_2原発の北西約10㌔に位置する山本牧場(山本幸男さん)でも、和牛を40頭あまり飼育しつづけている。エサが定期的に与えられるので、牛たちは放し飼いでも牧場周辺でまとまっているようだ。屋外の線量は毎時9マイクロシーベルトと高い。

_aaa0763牛舎でエサをやる山本幸男さん。

_aaa0787シイタケ栽培を手広くやっていたが、育ったシイタケは売ることもできない。奥さんに放射線測定のためにシイタケを取ってもらったが、相当に高い数値が出ることはまちがいない。

_aaa0312>「安心安全な米作り」の立て看板(北西方向の立野地区)。

_aaa0348_3梨畑を根城にしている離れ牛の群れ。近くには離れ牛を捕まえるための囲い込みの柵があり、エサが置かれている。

_aaa0213この牛たちは、持ち主が定期的にエサと水を与えるので、やはり放し飼いでも牛舎の近くで群れをつくって落ち着いた生活をしているようだ。

_aaa0273ある酪農家の牛舎だが、12月に撮影した時は、つながれたまま餓死してミイラ化した約40頭の乳牛が放置されていた。いつキレイに片づけられたのか知らないが、ミイラ化した牛たちは、原発事故の生き証人だった。ミイラ化した乳牛の写真はこちらのブログに→2011年12月13日 (火)「警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん」

_aaa0219したたかに生き延びているネコ。エサは与えられているようだ。

_aaa0387原発から10㌔のコメリ浪江町支店前は毎時6マイクロシーベルトをこえる。

_aaa0468浪江町大堀地区は国指定の伝統工芸品大堀相馬焼のふるさとで、たくさんの窯元が集中している。原発の北西方向約9㌔に位置することと、地震による被害の甚大さが、3月11日直後のような印象さえ残している。室内の線量は毎時4.5マイクロシーベルト。屋外は毎時10~15マイクロシーベルトと極めて高いままだ。

_aaa0517_2毎時121マイクロシーベルトの測定したのは、ある窯元の庭にある窪地だった。細かく測定すれば、こうしたスポットがあちこちに存在することが容易に想像できる。原発から大堀地区一帯上空を通過し、北西方向の先にあるのが更に線量の高い浪江町津島であり、その先が飯舘村だ。

_aaa04323月中に完成間近だった浪江町地域スポーツセンター。

_aaa0372どこにでもあるような普通の住宅街が手つかずで残っている。放射能さえなければ、すぐにでも帰宅して普段通りの生活を再開できそうな気さえする。

 原発事故以来、何度か足を踏み入れた20㌔圏内の警戒区域。無人街となったこうした光景を各地で目にするが、そのたびに、帰郷をあきらめきれない住民のみなさんの気持ちが痛いようにわかるような気がしてきた。地震で倒壊した古い家屋は別としても、これほどしっかりと町並みが残っていながら、帰宅して生活できないとは、誰にも思えないだろうし、思いたくないからだ。放射線の脅威さえ目に見えるように実感できれば、諦める決断をつける一助にはなるだろう。が、しかし・・・・だ。

_aaa0384「ふれあいセンターなみえ」のグランドが、近くの水田除染実験で取り除かれた土壌の仮置場となっている。空間線量は毎時0.6マイクロシーベルトと思った以上に低い。

_aaa0191_2国道6号線の道路工事現場で重機を運転する作業員。よく見ると防護服に身を包みながら、窓を開け、マスクをはずしたまま作業している、春先から本格的に始まる「除染」というある程度の被ばくを折り込み済みの作業現場の実態が想像できるのではないか。

_dsc5903請戸川に飛来した白鳥などの渡り鳥は、川も大気も放射能で深く汚染されていることを知らない。

_aaa0175南相馬市小高区浦尻一帯は、地盤沈下の影響か海水が引かずに湾になったように見える。線量は毎時0.10マイクロシーベルトと低い。だが、収束していない原発から11㌔北に位置する。

_aaa0227南相馬市小高区のJR小高駅手前まで押し寄せた津波の爪痕。自動車もガレキの撤去も手つかずのまま。原発から約17㌔北に位置。2012年3月11日から時間が止まっている。


◯取材後記:
 いぜんはゴーストタウンにしか見えなかった警戒区域内の街並。生まれ育った故郷と祖先伝来の土地や墓を守っていかねばと思う年輩者の心情も、前よりも実感できるようになった気がする。そうした住民の心情に重くて不条理な決断を迫る原発事故がもたらした放射能汚染の問題は罪深い。 


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年2月 8日 (水)

毎時275マイクロシーベルトの双葉厚生病院玄関口。警戒区域の現実1(双葉町)

(クリックすれば拡大します)

 政府は3月に予定される警戒区域や計画的避難区域の見直しに向けて、区域内の放射線量の全体像をつかむため、改めて地上から1メートルの放射線量の測定を行う予定。年間放射線量に応じた3区域に再編予定で、現時点の年間50ミリシーベルト以上は「帰宅困難区域」と定め、不動産の買い取りなどを検討すると報道されている。

 原発事故によりストロンチウムやプルトニウムが広範囲に飛び散っていることは文科省が昨年9月公表した既知の事実だが、地上1mの空間線量測定だけでなく、広範囲で徹底した土壌検査が改めて不可欠ではないだろうか。なぜならば、20㌔圏内には異常に高い線量の場所が私が測定しただけでもあちこちに存在するからだ。今回はテレビ新聞などの大手メディアが熱心に伝えようとしない警戒l区域内の現実を写真と線量データでみなさんと共有したい。なお、写真は1月末から2月はじめにかけて撮影したものです。

_aaa06341号機と2号機、3号機は見えるが、2号機は1号機のカバーの影になり、このアングルでは見えない。

_dsc5447第一原発の排気塔と1号機と5・6号機の建屋上部が見える。

_dsc5879原子力明るい未来のエネルギー」 双葉町厚生病院近くにある標語。

_aaa0816双葉厚生病院玄関。この場所は、原発事故後の3月13日に、JVJAの仲間4人と広河隆一デイズジャパン編集長の計6人で取材に入って以来なので約11ヶ月ぶりだった。医療ベッドが散乱した状態はそのままだった.。空間線量は毎時18マイクロシーベルト。地震でひび割れ陥没した玄関先の路面で測定してみると、何と毎時275マイクロシーベルトを超えた。昨年6月に使用中の線量計を入手後、最大の測定値となってしまった。
_aaa0829

 事故後の3月13日に、双葉厚生病院前での取材中の動画はこちらにあります。3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part2 3台の線量計の針が振り切れ、毎時1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)をこえてしまったシーンも収められています。ご覧ください。 撮影はビデオジャーナリストの綿井健陽氏。

 また、大震災発生後に初めて取材した写真はこちらのブログでご覧ください。「原発事故、放射能、地震、津波という未曾有の複合災害」

_aaa0837双葉厚生病院のはす向かいに建つ東京電力長塚第二独身寮。表札看板の高さでの空間線量は毎時13マイクロシーベルトだった。

_aaa0786双葉町役場手前の原発推進アーケード。「原子力郷土の発展豊かな未来」。

_aaa0806役場前に広がる水田はどこも外来種の雑草として悪名高いセイタカアワダチソウの天下となった。

_dsc5478_2JR双葉駅に近い、人気のない幹線道路。

_dsc4807請戸港近辺の船やガレキ撤去は手つかず状態。空間線量は毎時0.30マイクロシーベルトと低め。

_dsc4866二度と使用されることはないと思われる線路。

 確かに双葉町の海岸近くの線量は若干低めだが、野田首相の原発事故「収束宣言」に反し、いつまでも収束しない原発に近すぎるだろう。次回に取り上げる浪江町に取り囲まれていることからも、双葉町全体が除染すれば帰れるところだとは思えないのが実感だ。

 「警戒区域の現実2」は浪江町と南相馬市の取材を紹介します。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »