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2012年1月の投稿

2012年1月30日 (月)

第五福竜丸と大石又七さん・原発事故とビキニ事件のつながり

(写真はクリックすると拡大します)
(注:明日から福島県に取材に出るので、一部中途半端なまとめ方だが、取り急ぎ公開したい。取材から戻って追記したい)

 夢の島に展示公開されている第五福竜丸を先日見に行った。幸運にも、ビキニ事件によって米国の水爆実験による「死の灰」を浴び、被爆体験と長い間封印されていたビキニ事件の真相を語り、核兵器廃絶を願って講演してきた大石又七さんにお会いできた。

_aaa0028jpg東京都が運営する第五福竜丸展示館。2012年1月26日撮影

_aaa0336第五福竜丸船首部分。第五福竜丸は、長さ28.56m、幅5.9m、高さ15m、深さ3m、総トン数は140.86㌧。

_aaa0404jpg胴体部分。全長30mに満たないというが、50mはあるのではと実感する大きな船体だ。

_aaa0052jpg船尾部分。入口から入るといきなり現れるのが船尾。

_aaa0135jpg1954年3月1日午前6寺45分、マーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカ政府が実施した水爆実験「ブラボー爆発」の写真パネル。説明文には、広島原爆の約1000倍の破壊力を持ち、高さ35㌔に達したとある。写真は80㌔離れた場所から撮影されたものだ。

_aaa0202jpg第五福竜丸などの日本の漁船16隻が被ばくした場所を示した「死の灰」降下地図

_aaa0437第五福竜丸に降り注いだ「死の灰」がビンに入れられて展示されている。実験場から160㌔離れていた
「白いものが落ちてきた。当たっても臭いもないし、舐めても味がない。砂をなめているようにジャリジャリした。デッキを歩くと足跡がつくくらい。知らないから全然危険を感じなかった」(大石又七さんの講演での話)

_aaa0090jpg「死の灰」を分析した結果、ストロンチウム、ジルコニウム、テルル、ヨウ素、ウラン、ネプツニウムなど27種類の核種が検出されたことを示す表。

_aaa0124jpg第五福竜丸は3月14日に焼津港に入港したが、9月23日に無線長の久保山愛吉さんが40歳で死亡したことを紹介する展示パネル。

_aaa0235jpgこの日はたまたま大石又七さん(78歳)が、調布市西部公民館主催の成人学級の参加者約20名に対し、ビキニ事件の体験を話していた。2011年に大江健三郎さんと大石さんが第五福竜丸の甲板で対談するNHKの番組の見ていたので、大石さんとすぐにわかった。
_aaa0284jpg

「原発の原点、内部被ばくのはビキニ事件にあります。どういう形で原発が日本に導入されてきたのかを知らないといけない。導入に反対した人たちを無視して導入した人たちがいる。福島の原発事故は解決するには難問です。いま始まったばかり。これから病気が出てくる。政府はビキニ水爆実験の被害を隠したので、今回の原発事故も同じように過小評価している」(大石さんの話)

結婚して最初の子どもは死産でショックだったという大石さん。無事に生まれて育った娘さんが結婚する段になって、被爆者の子どもと結婚するなんてと反対し差別されたと悔しい思いを吐露した。肝臓がんで3分の2を摘出している。

_aaa0193「死の灰かぶった日本漁船」(アサヒグラフ1954年5月号より)。ビキニ環礁水爆実験で被ばくした船舶は865隻、1万人以上の乗組員が被ばくしたと指摘されている。

「アメリカの原子力委員会が魚の放射能は亜鉛65という放射能で人体に影響はないことを確認しましたと日本政府に通達します。日本政府はそれを鵜呑みにします」(大石さんの話)

_aaa0091焼津港に入稿後、めくられることのなかった日めくりカレンダー。

_aaa0104jpg当時使用された放射線量測定器。

_aaa0350「マーシャル諸島に二回行ってます。女性は甲状腺がんで首を切っています。みんな5年10年経ってから発病しています。目に見えない放射能が恐ろしいものであるかはわかるんです。ビキニ事件は奥の深い事件です。みんな知らないのです」。

_aaa0293jpg大石さんの講演後に調布市西部公民回成人学習参加者のみなさんとの記念写真。

「ビキニ事件と福島は繋がっているのです」と大石さんは話した。以下は大石さんの著書「これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏 第五福竜丸・乗組員が語る」(かもがわ出版、2007年)からの引用です。

「日本側は、このビキニ事件を原子力技術と原子炉を早急に導入するための格好の取引材料として使ったふしがある。アメリカの言う通りに太平洋での核実験には賛成、協力する。被害に対する膨大な賠償金も、わずかな見舞金でいい。その代わりに日本が求めている、原子力技術と原子炉導入を早く進めてもらおう。~~そしてアメリカは、七億二〇〇〇万円というわずかな見舞い金を議会に諮ることなく国際開発局(AID)から支出することができた。
ビキニ事件をわずか九ヶ月で決着させ、同年六月二一日、日米原子力協定がワシントンで仮調印され、翌年、一九五六年には、原子炉が茨城県東海村に送られてくるという早さだった。
日本の原子力発電はそこから始まる。つまり、ビキニの被災者たちは、日本の原子力発電の人柱にされたのだ

「ビキニ事件の表と裏」が出版された2007年までに、23名の乗組員のうち12名が死亡している(一人は交通事故死)。このうち8名が「肝臓がん」だったと大石さんは記録している。

 保存された第五福竜丸に触れ、大石さんのお話を伺い、著書を読み始めた私も、ビキニ事件の真相と原発事故との深いつながりが見えてくる恐ろしさを感じ始めた。

 広島の原爆の1000倍の破壊力を持つ水爆実験により被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」。夢の島の一角に置かれているだけだだが、その存在感は大きい。被ばくした無数の漁師や船員が、命の長さとともに語り継ぐことができなくなっても、船そのものが生き証人であり続ける。日本やアメリカの原発推進派が、第五福竜丸の保存を止められなかったことをいつか後悔する時がくるだろう

 脱原発を求める人も、原発を推進してきた人も、無料公開されている第五福竜丸を一度は見てほしい。大石又七さんの話に耳を傾けてほしい。大石さんの著書を読み始めてほしい。


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2012年1月17日 (火)

横浜脱原発世界会議・「原発のない世界のための横浜宣言」

(クリックすると拡大します)
(まえおき:半日しか取材していないので、ここに紹介するのは全体の一部でしかありません)

Dsc_0268横浜脱原発世界会議連帯デモに参加したハスキー犬の「STOP!原発」くん。1月14日には、脱原発世界会議に連帯する脱原発デモが開催され、約4500人が参加した。
_dsc0605主会場フロアでの子どもPRESS記者会見。聞き手はアワプラネットTVの白石草氏(1月15日、パシフィコ横浜)
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 「2012年1月14~15日、パシフィコ横浜にて「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」が開催されました。参加者は、海外からの約30カ国約100名を含め、初日6,000人、2日目5,500人、あわせてのべ1万1,500人に上りました。会議はインターネットで全世界に中継され、約10万人が視聴しました」(脱原発世界会議Webより)

Webに公開された脱原発世界会議 2012YOKOHAMA宣言文
「原発のない世界のための横浜宣言::Yokohama Declaration for a Nuclear Power Free World」

私たちは、次のことを呼びかけます。
1.東京電力福島第一原発の事故で被害をうけた人々の権利を守ること。避難の権利、健康対策、除染、補償を受ける権利、そして、2011年3月11日以前と同様の水準で生活する権利が保障されなければなりません。

Dsc_0171母親と参加した5歳の女の子

2.日本政府および東京電力は完全に情報公開し、説明責任を含むあらゆる責任を果たすこと。これまで行ってきた情報の隠蔽や矛盾した情報の提供を改め、公衆に情報を普及する独立機関を設置すること。

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3.人体、食料、水、土壌および空間における継続的かつ包括的な放射線測定とデータ収集を行い、住民の放射線被ばくを最小化するための緊急かつ必要な措置を公衆に知らせること。データ収集は数世代にわたって必要であり、省庁間連携による取り組みと国際社会による支援が必要です。原子力産業から利益を得てきた企業は、これらのコストを分担しなければなりません。

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4.ウラン採掘から廃棄物に至る核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発を廃炉にしていくための世界的な工程表をつくること。「安全神話」は崩れました。核技術はこれまでも決して安全ではなく、莫大な公的補助金無しには生き延びて来られるものではありませんでした。自然エネルギーはすでに立証されており、固定価格買い取り制度のような地域経済を支援する政策さえ実施されれば、地域において地方分権的な形で実施可能になっています。

Dsc_0188

5.現在稼働が停止されている日本の原発を再稼働すべきではないこと。法制化された固定価格買い取り制度を実施し、送発電分離などを通じて自然エネルギーを拡大すれば、日本のエネルギー需要は満たすことができます。

_dsc0627_2

6.アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパなどの途上国に対して原発やその部品を輸出することを禁止すること。

Dsc_0416

7.原子力に頼らない社会をつくるために重要な役割を果たしている地方自治体を支援すること。コミュニティを強化し地方分権とボトムアップを進め、経済、人種、性別に基づく差別のない社会をつくるために、地方自治体の長、地方議会および市民社会の間の連帯を強めましょう。

_dsc0657ドイツ語の「原発いらない」を手に、今日も元気に活動する益永スミコさん(88歳)

8.2012年3月11日に世界中で行動、デモ、セミナー、メディアイベントなどを行い、福島の人々が置かれている状況に抗議し、原発のない世界を呼びかけること。

_dsc0718「原発のない東アジアをめざして」のパネリストのみなさん。シンポジウムの最後に、核の危険のない世界を作るために協力しあうことを誓った。


◯写真で紹介する会議・展示・デモ
_dsc0745「ふくしまの部屋」の展示。
「僕たちはモルモットなんですか?」「来てみて今の姿を見てほしい」「子どもだけでもなんとかしてよ」「自分の県にも原発があって、未来を見ているような」「伝えられない温度差」「実はまだ、3・11に近い所で止まっている・・・」

Dsc_0294「NO NUKES ノーモア福島 ノーモア広島」(1月14日の脱原発世界会議連帯デモから)

_dsc0684シンポジウム「原発のない東アジアをめざして」 フー・タオ氏(中国の非営利メディア「中国発展簡報」編集者)の報告:4ヶ所で13基の原発が稼働中。11ヶ所で28基の原発が建設中。21ヶ所で102基の原発が建設準備中か計画中。

 福島原発事故の衝撃としてフー氏が挙げた6項目。1:建設開始承認の延期。2:設備安全検査を2011年10月までに実施。3:「意欲的に原子力を開発する」よりも、原子力発電の安全性が優先される。4:2020年までの原子力5カ年計画が低減される可能性。5:中国中部の原発予定地が地震の可能性によって見直される可能性。6:火力発電に依存する割合が高くなり、二酸化炭素排出削減への圧力がかかる可能性。
_dsc4648

 崔冽(チェ・ヨル)氏が代表を務める韓国環境財団が配布した資料によると、韓国で稼働中の原発は4ヶ所で23基、建設中は4ヶ所で5基、建設準備中は3ヶ所で6基ある。加えて新規に原発建設予定として二ヶ所が選定されている。

 モンゴルから来日したセレンゲ・ラグバジャブ氏(モンゴル緑の党元党首)は、日本、台湾、韓国の核廃棄物をモンゴルで貯蔵する計画が持ち上がった時に反対運動を展開した。その結果、海外からの核廃棄物の貯蔵は禁止することが決まったという。


◯閉会イベント
 「この会議をちゃんと報道しないメディアは許さないからね。ここにいる私たちが私たちの未来を決めます。一緒に行動しましょう」(上野千鶴子)

 「このままでは殺されてしまいます。世界中どこで原発事故が起きたとしても、その国の政府はウソをつくと思います。~~終わらせない方法はみなさんが立ち上がるしかないです。無関心の人たちの関心を少しでも向けてもらってつながることが重要ですよね。
 地元選出の国会議員事務所に電話しましょう。3つのことを問いかけてください。1:原発の即時停止を問う。段階的停止にはインチキも含まれますからね。2:高線量地域に住む子どもに対する政策を問う。避難の権利を今勝ち取らないと明日自分たちが同じ目にあいますよ。 3:放射性ガレキをどうするか。止めないといけませんよね。政治家のスタンスをはっきりさせて、ダメなら変えるしかないですよね」(山本太郎)

_dsc0779

_dsc0769盛り上がる閉会イベント(1月15日)

_dsc0818閉会後の主催者記者会見は困難な大イベントを成功させた達成感を感じさせる明るい雰囲気だった。左から川崎哲(ピースボート共同代表)、飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)、吉岡達也(実行委員長・ピースボート共同代表)、アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション代表)、渡辺 瑛莉(FoE JAPAN)、伴英幸(原子力資料情報室共同代表)、佐藤潤一(グリーンピース・ジャパン事務局長)の各氏(敬称略)

_dsc4801アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション代表)
2日間が夢みたいな感じたった。多くの参加者が行動のための手がかりと出会いを求めていた。若い人たちが主体性で動いていた。これで多くの人が活動する土台ができたと思う」(アイリーン・美緒子・スミス)

海外に原発事故の情報が十分にいっていなかったのではないかと感じた。今必要なのは行動して何かを獲得しないといけない。お上のやっていることだから仕方がないと思ったら何も変わらない。再稼働を止められたら、民主主義が変わる。行動することが政治を変える。佐藤栄佐久前福島県知事のいう『日本の民主主義の問題だ』と思う」(吉岡達也・実行委員長・ピースボート共同代表)

 ・このほか、韓国環境財団代表の崔冽(チェ・ヨル)氏が提案した「東アジア脱原発自然エネルギー311人宣言」 が公表され、日本から100人の署名者が集まった。詳細はリンク先へ。

詳細は脱原発世界会議のWebでどうぞ

◯蛇足
_aaa00392012年1月17日午後13時46分の新宿駅地下中央口。日中からまぶしいほどにライトアップされたNTTドコモの携帯電話CM。原発事故後であっても、こうした電力の浪費を見直そうとしない経済活動と日常生活を送るとことで、私たちが近い将来招く日本社会はこうなるかもしれない。↓↓↓↓↓↓↓↓

_dsc0821甲状腺を切開した手術跡がノドに残るガスマスクの少女。メインホールで上映された日本の近未来を暗示したショートフイルム。


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2012年1月15日 (日)

ビルマ(ミャンマー)は本当に変わるのか?

 在日ビルマ人民主化活動家さえも予想していなかった、主要な政治囚の釈放された。テインセイン大統領政権によると、アムネスティー=恩赦と呼ぶようだが。呼び方はこの際、どうでも良くて、釈放された民主化活動家の多さと釈放のタイミングが大きなニュースとして世界中を駆けめぐっている。私はビルマと呼ぶ、大手メディアはミャンマーと呼ぶタイの西隣、中国の南隣の国のことだ。(若い世代はどこにあるかも知らないようなので)
 
 では誰が釈放されたのか、ビルマ情報ネットワークから引用させていただく。
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昨年3月の新政府発足直後に逮捕・投獄された元陸軍大佐のネーミョーズィン氏も解放。

マンダレー刑務所から国民民主連盟(NLD)党員4人、サフラン革命に参加した活動家4人、僧侶6人などが解放。

1990年総選挙で当選したロヒンギャのチョーミン氏と家族、前述DVBのフラフラウィン氏と共に2009年に逮捕されたミンフライン氏が解放。

解放された僧侶ガンビラ師「今日までわれわれを解放しなかったとは一体どんな民主主義なのか」

88世代学生グループのコーコージー氏が解放、まもなくラングーンに着く予定。

全ビルマ学生会連盟のチョーコーコー氏が解放、条件はつかなかったとDVBに語る。

カレー刑務所からサイニュンルウィン、ミョーナインアウン、ティンユー、チョーアウン、チョーチョー、ソーヤザーピュー、ウェイピョー、ミンミントゥン、ナインリン、テーアウン、ネーリンアウンが解放。

かつての独裁者ネーウィンの孫らもインセイン刑務所から解放。[政治囚として数えられていたのかは不明‐ビルマ情報ネットワーク]

DVB記者ウィンモー氏がチャウピュー刑務所から解放。
DVB記者フラフラウィン(ララウィンとも表記)が解放。

シャン民族の指導者クントゥンウー氏がプータオ刑務所から解放。クントゥンウー氏「罪を犯していないのに人生の7年間を無駄にした」

ジャーナリストのゾーテットゥウェ氏がタウンジー刑務所から解放。チョーチョートゥウェ(=マーキー)氏もインセイン刑務所から解放とヴォイス誌。

テッルウィン、タンティン(=コージータン)、ピーピョーフライン、アウンアウンチョー、ゼヤーウー、パイッ、チョーズィンウィン、ドーポンネーネーが解放とウィークリー・イレブン誌。

パアン刑務所からブロガーのネーポーンラッ、ニープー、ナンダシッアウン、タンズィンアウン、チョーチョーナイン、ピーピョーアウン、ニャンリンが解放とヴォイス誌。

ブティダウン刑務所からスィトゥマウン、タンズィンミョー、チョーミン、トゥンニョー、テイチュエ、アウンゾーウー、ピェイチョー、ウンナパンタ、チョーウィンサン、マウンマウンラッが解放とウィークリー・イレブン誌。

ミンジャン刑務所からテッテッアウン氏など政治囚12人が解放。

キンニュン元首相の自宅軟禁が解除になったとヴォイス誌。写真はこちら
http://www.dvb.no/news/live-burma-prisoner-amnesty-hla-hla-win-walks-2/19675

フラトゥウェ(=ヴィラサッカ師)、ラーヤンチュエ、コーコーナイン、ディーニェインリン、ノーベルエイ解放とウィークリー・イレブン誌。

ミンゼヤー、ミンハン、ザーニアウン、ナインウー(=ピンニャウンタ師)、ミンナイン、アウンタンミン(=エインヤカ師)、ヌウェソーリン、ミントゥン、ミャッリントゥ、ハニーウー解放とウィークリー・イレブン誌(敬称略)。

88世代学生グループのパナティトゥン氏、ニーラーテイン氏解放。
88世代学生グループのミンコーナイン氏が解放されたとヴォイス誌。
88世代学生グループのゾートゥウェ氏、ジミー氏、ミャーエイ氏解放(ゾートゥウェ氏妻からの情報)。

DVB記者ウーゼヤー(スィトゥゼヤー氏の父)解放との情報。
DVB記者スィトゥゼヤー氏解放。スィトゥーゼヤー氏、「解放されうれしいが、まだ首輪がついている」
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 1月13日の突然の解放は、世界中を駆けめぐり、とりわけ在日ビルマ人には明るい大きな「希望」を感じさせた。私のような一介のフォトジャーナリストでさえも、「度肝を抜かれた」に近い驚きを感じたほどだ。とりわけ、1月12日のカレン民族同盟(KNU)とビルマ新政権との話し合いで「停戦合意」に至ったというのが大きかった。(以下はAFP電の記事)。写真中央の民族衣装を着ているムトゥ氏は取材でお世話になったり、家に止めてもらったりしたKNU幹部。

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【1月13日 AFP】ミャンマー政府と東部カイン(カレン)州を拠点とする少数民族の反政府武装組織「カレン民族同盟(Karen National Union、KNU)」は12日、同州の州都パアン(Hpa-an)で停戦合意に署名した。
 長らく続いた軍事政権のあとで昨年3月に発足した軍中心の政府は、孤立状態から脱却するためと見られる改革の一環として、少数民族との和解を模索してきた。
 期間が世界最長とも言えるKNUの武力闘争では、カイン州の多くの住民が避難を余議なくされ、数万人がミャンマー国境に近いタイの難民キャンプで暮らしている。
 カレン人の難民の組織「Karen Communities Worldwide」は、停戦合意のニュースを歓迎しながらも、警戒心は解いていない。(c)AFP/Hla Hla Htay
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 ビルマ少数民族の中でも、最も古くから民族の自決権を求め、近年は連邦制国家における自治権を求め、民主化勢力とも共闘してきたKNUが、60年来の「敵」と停戦合意に至ることがどれほど困難であるかを考えると、加えて、ビルマ国軍のKNUを目の敵にしたこれまでの軍事攻撃やカレン民族に対する弾圧の一貫性を思うと、今の段階では画期的な出来事としか言いようがないからだ。なお、記事中の数万人のカレン難民の表記は間違いであり、実際には9万人近いカレン民族難民がタイ領内の難民キャンプでの生活を長年余儀なくされている。


 以下は13日の政治囚解放に関しての全体像を理解するための記事を毎日新聞から引用:
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 【バンコク西尾英之】ミャンマーのコーコー内相は14日、首都ネピドーで記者会見し、13日実施された恩赦で「政党が示した政治囚リストに名前がある302人を釈放した」と明らかにした。リストにありながら未釈放は128人。内相は、「(爆弾事件などに関わった)重大な刑事事件の受刑者で釈放できない」と述べ、政府として釈放可能な全政治囚の釈放を終えたとの立場を示した。内相は、「国民民主連盟」(NLD)が提出したリストを指しているとみられる。リストには約600人の名前があるが、実際に拘束されていたのは430人とした。

 今回の恩赦は計651人が対象となった。内相によるとこのうち約100人は、13日に自宅軟禁を解除されたキンニュン元首相が失脚した際に拘束、投獄された、元首相が率いた軍情報機関のスタッフだという。
毎日新聞 2012年1月15日 東京朝刊
                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昨晩はちょうとビルマ市民フォーラム(PFB)15周年の例会イベントが都内で開催された。ビルマの民主化を支援する日本人と在日ビルマ人が共に協力して活動する市民団体で、私も当初から運営委員として協力してきたが、偶然のタイミングで、当初予定されていたアウンサンスーチー氏との電話会談はお流れとなった。
 が、予定されていた在日ビルマ人活動家らによる日本語スピーチは、政治囚の解放というビッグニュースと課さなり、彼らがどのように受け止めているのかを聞く良い機会となった。

 なかでも、アウンチョーゼンさん(41歳)は、軍人だった弟のネイミョーゼンが解放されたことを流暢な日本語でこう表現した。
「弟が昨日釈放され、嬉しい気持ちで一杯です。逮捕直後には一月食事を与えられず、立ちっぱなしの拷問を受けたと電話で聞きました。松葉杖をついています。少しでも政府に抗議の意思を示すと、警察にすぐに捕まります。まだ自由な表現はできないことは私にはわかっています。いまのところは静かに見守っていきたい。100%は信じていません
 
 アウンタンテーさん(30歳)はこう話した。
「200人くらいの政治囚が釈放されました。でもまだ政治囚がたくさん残っています。どうして全員釈放しないのかを訴えたいです。信用したいですが、信用しがたいです
 アラカン民族の彼は、アラカン州沖の天然ガスや石油などの天然資源による収入の恩恵をアラカン州の住人にはほとんと還元されずに、停電ばかりの現実を訴えた。

 また、ある民主化活動家は、「この調子で改革が進展するようならば、家族でビルマに帰国して、国内でやれることを開始したい」と私に話した。「自分の年齢からして活動できる年数はもう限られている。国内でやらなければならないことが山積みだ」

 今の段階でいえることは、誰しもが歓迎する新政権の改革路線ではあるものの、それが本物かどうかは、民主化運動を地道にやってきたビルマ人や、弾圧の対象となってきた少数民族にとっては、「兆し」であっても、本気で信用するまでには至っていないということだ。不気味なのが、その動向が全く見えない国軍幹部の意思だ。北部のカチン民族に対するビルマ国軍の軍事的弾圧は続いたままだ。
 テレビ新聞報道だけをフォローする人には、表向きの兆しは瞬間的に伝わるが、その辺りの微妙な心情が伝わっているとは思えない。

 個人的には、さてビルマ取材をどうするか?である。これまでブラックリストになっていたが、おそらくビザは出るだろう。いつ何を取材するべきか?フリーランスとして、私独自のどんな取材ができるのだろうか。ただ、「3・11」後の日本社会で、私は何を伝えなければいけないかも考える必要もある。懐事情も考えると、悩むところだ。

 以下は私のホームページ内のビルマ(ミャンマー)関係ページ
アウンサンスーチー氏の写真
カレン民族に関する記事と写真

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2012年1月 7日 (土)

メルトダウンした私たちの社会はどう変わろうとするのか?

(写真はクリックすると拡大します) 1月8日加筆

水道管破裂で部屋が水浸しに思う大津波被災者 留守中の田舎の暗室小屋での水道管破裂、という思いがけないトラブルで新年最初のブログ更新が遅れた。原因は節電対策で不凍線を2本はずしておいたためだった。サーモスタット付きの不東線調節アダプターを取り付けたことで安心したのが裏目に出た。部屋中が水浸しで布団が4枚ダメになり、制作したばかりの写真パネルの一部も冠水した。幸いにして妹が気づいて緊急対処してくれたので、床や壁が使いものにならなくなる最悪の事態はさけることができた。

 元旦から被災地に行くことにしていた私は、妹からの電話を大晦日に東京で受け、事態の深刻さを認識しあせった。だが、よく考えてみると、家が流されたわけでもなく、大切な物を根こそぎ失ったわけでもない。たかだか部屋の水浸しではないか。大津波被災地の現場を何度も取材しながら、この程度のことにうろたえる愚かさを冷水を浴びせられたように実感した。

 まるで「おまえは被災者の痛みがまだ少しもわかっていないようだな」といわれているかのようだった。

元日から4日までの被災地取材 1月1日から4日まで被災地を回ってきた。敗戦から数えて66年目に起きた戦後最悪の「東日本大震災」の復興は遅れに遅れ、「東京電力福島第一原発事故」が事故収束の目処も立たないままに越年した2012年の幕開けを、被災地に身を置いてスタートしようと思った。それがどうしたと言われればそれまでだが。

_aaa3190会津若松市松長にある大熊町住民が生活する松長近隣公園応急仮設住宅。冬でも雪が少ない大熊町のある太平洋岸と違い、内陸は積雪が多く冷え込みも厳しい。2012年1月1日撮影

_dsc4074年賀状を手に仮設住宅の一軒一軒を配達してまわる郵便局員。同仮設住宅。

_aaa3349「もう人生はあきらめた」という60代の大熊町町民と、原発事故から3ヶ月後に救出された犬。体調を回復した犬は無邪気に雪を食べて楽しそうだった。(同仮設住宅)

 ★福島第一原発を抱える大熊町が、近い将来に住民が帰って生活再建できる環境ではないことがわかるブログのこちら→「どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量」

 原発事故で故郷を追われた大熊町の住民が避難生活を送る会津若松市の仮設と、大津波によって住民の11人に一人が亡くなった岩手県大槌町の仮設を訪ねた程度だが、被災者がどのような気持ちで新年を迎えようとしているかを直接確かめたかった。緊急事態がいまだに続いているような時節に、通常の年末と新年を迎えることの違和感を感じることさえできない市民が多数を占める社会の意識についていけないと感じ、被災者が新年を素直に祝う気持ちになれないことを確認したいという気持ちでもあった。
 フォトジャーナリストとして今年は何を取材していかなければならないかを考えるためでもあった。

_dsc4160死者行方不明者1400人をこえる岩手県大槌町。海岸にほど近い役場周辺の町中心部が壊滅し、ビルを残して瓦礫の撤去がすすんだ。だが、町の再建計画は不透明だ。手前は津波と火災で跡形もない江岸寺と墓地。高齢のご住職は流されたままだ。2012年1月3日撮影

_aaa3540大津波により父、兄、妹の家族3人と実家を流された芳賀さん(56歳)は、お盆の時以来の帰郷を元日にした。地盤沈下した吉里吉里の港で海を眺める。父親はまだ行方不明のままだ。2012年1月2日 

_aaa352010軒に一つくらいの家庭が簡素な正月の飾りを出入り口につっていた。大槌町吉里吉里地区浪板にある吉里吉里第二仮設。岩手県といっても、雪の気配がない。遠野や盛岡などの内陸部と大きく異なり、雪が2月3月にドカンと降るくらいという。沿岸は元来暮らしやすい所だと実感。

 ★大槌町吉里吉里の大震災後の初盆を取材したブログはこちら→「岩手県大槌町吉里吉里に見る大震災犠牲者の供養・初盆」

 一介のフォトジャーナリストが、大津波の被災者と原発事故の被災者やその底知れない放射能汚染の双方をどこまで取材し、社会に影響力と意味のある形で伝えてゆくことができるか? 何の約束もできないが、「3・11」を取材し、「3・11後の時代」に生きて行く以上は、今年も真正面から向き合っていくしかないということ改めて自覚した被災地行だった。

メルトダウンしたのは原発だけではなかった 昨年12月、野田首相が原発事故「収束宣言」を出したが、国民の誰もがまやかしであることを見抜いているにも関わらず、政府は国民感情を甘くみて見え透いたウソをつくことを止めない。そうした「まやかし」がまかり通るのは、既成メディアであるテレビ新聞などのマスコミ報道が果たす役割が大きい。そのことも3・11後には露呈した。

 「3・11東日本大震災でメルトダウンしたのは福島第一原発だけではなかった。政府もマスコミもメルトダウンしたのである。電気を浪費する生活を変えなければ、私たちの生活も溶け出すだろう」。 

 これは、昨年7月に刊行した写真集「3・11 メルトダウン」(JVJA編、凱風社)に私が書いたまえがきの引用。フリーランスのフォトジャーナリストとビデオジャーナリスト集団として活動するJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)のメンバー11人による、6月初めまでの取材成果をまとめたものだ。
 
 メルトダウンしたのは福島第一原発だけでなく政府もマスコミも、そして私たちの日本社会も溶け出しつつあると感じているのは私だけではないだろう。具体的な事例をいくつかあげるとすれば、石原慎太郎が言い出した東京オリンピック誘致であり、新年早々の「日本は核装備すべきであり、できないならばスパコン使って核のシュミレーションをやるべき」との石原発言だ。
 加えて石原の思想的盟友といえ、政治的方向性が極めて近い橋下徹大阪市長誕生と大阪維新の会の躍進も特筆すべき事例だろう。両者ともに独裁志向で過去の戦争に対する加害者としての視点も、首長としての人権感覚が欠如している共通点がある。
 航空自衛隊の次期戦闘機に総額1.6兆円を見積もってステルス性能を持つF35(米ロッキード・マーチン社)の購入決定など。原発プラントメーカー支援としか思えない原発の海外輸出の決定ももちろん言語道断だ。

 大津波被災地の復興と被災者の生活再建、原発事故に対する天井のない賠償と除染費用と廃炉費用を考えた時に、何を優先して予算を割くべきかは誰の目にも明白ではないか。東日本大震災で溶けだした日本社会にいま必要なのは、政治の世界に身を置く人間として最も人権感覚に欠けた石原慎太郎を自己満足させ、大手ゼネコンを喜ばせる東京オリンピック誘致などではないだろう。
 ましてや、自国防衛よりも他国の攻撃能力を前提に装備されるステルス性能の戦闘機などに、1兆円以上の莫大な税金をアメリカ企業に払い込む必要と優先度がどこにあるというのだろうか。この決定もまた三菱重工などの日本の軍需産業を恒久的に潤すことと同義なことを忘れてはいけない。
 税金を最優先して配分すべきは、自然エネルギーの実用化と普及に国を上げて取り組むのが国民をより不幸にしないためにとるべき「3・11後」の国家政策だと思う。

 思いつくままに書いたが、フォトジャーナリストとしてできる限りの取材と発信をしながら、2012年が日本社会のポジティブで大きなターニングポイントとなることを見届けていきたい。このブログやTwitterも活用しながら。

 ★ちなみに、ブログ形式にする前の私の2011年1月2日の雑記帳にはこう書いていました:
「こうした時代に、威勢のいい者、力のある者、「愛国心」を強調する者になびくことの怖ろしさを、軍国主義で日本の進路を誤った時代を振り返る落ち着きが、とりわけ国政に求められています。

政治家になるべきでない有名人やタレントを起用するような有権者を見くびった政治家も、人間を差別するあからさまな発言を長年にわたって繰り返す都知事のような人物も引退してもらうべき潮時となっています。

そしてマスメディアこそが、世論形勢に良くも悪くも最も強い影響力を持つことを自覚し、視聴率に一喜一憂するバラエティニュース番組と化したテレビ報道を正し、過去を振り返りつつ近未来を予見した心構えで報道する姿勢が求められています」
 
追記:「3・11」後にブログ形式にした雑記帳で、最もリツイートが多かったものを順番にリストアップしました。1:「警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん」(2011年12月13日)
2:「大震災被災地で読経し、原発廃止が死者の真の回向と実感した日本人僧」(同6月30日)
:「反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(90歳)のこと」(同9月25日)
4:「どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量」(同12月29日)
5:「南相馬市と浪江町津島:ちょっと遅れた20㌔圏外取材ルポ」(同5月10日)
6:「写真で見る被災地の放射線量比較」(同4月19日)

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