警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん
(写真はクリックすると拡大します)
◯久しぶりの福島県各地の取材
取材中にこんな事故が起きた。取材先の酪農家も話題にしていた牛の死亡事故だった。
「牛と衝突、車全焼 警戒区域の富岡の国道
6日午後5時ごろ、富岡町本岡の6号国道で南相馬市の会社員男性(33)の乗用車が牛と衝突した。乗用車はエンジン部分から出火し全焼した。男性にけがはなかった。
双葉署の調べでは、男性は東京電力福島第二原発の作業を終え帰宅途中だった。7頭で道路を渡っていた牛の群れのうち1頭と衝突した。牛は死んだ。牛はもともと飼育されていた肉牛とみられるという。
現場は東京電力福島第一原発から半径20キロ圏内の警戒区域」(福島民報 2011年12月7日 )
「国は5月、原子力災害対策特別措置法に基づき、県に殺処分を指示したが、牛の捕獲は難しく処分できたのは1割に満たない」(読売新聞2011年11月10日)
立入禁止の20㌔圏内で約1000頭の牛たちが半ば野生化して生き延びている。囲い込んで捕獲する作戦はあまり効果を上げていないようだ。原発事故により飼い主が避難したことによって取り残された牛たちを、国は殺処分の方針。餓死を待っているのかもしれない。牛舎に取り残された牛たちの運命は悲惨。育てながら救いだすことがままならなかった飼い主たちの心情もまた辛くて耐え難いものに違いない。
そうした逆境で、したたかに300頭をこえる肉牛を今でも飼育し、生かし続けている牧場がある。すでに多くの人が知っていると思うが、支援者や国会議員らのサポートを受けて「希望の牧場」プロジェクトとして、被ばくしたことによって経済価値がゼロとなった肉牛が飼育されている。「希望の牧場」プロジェクトは7月にスタートし、肉牛を飼育してきたエム牧場・浪江農場長の吉沢正己さんが代表を務める。原発からの距離は14㌔。南相馬市小高地区と浪江町の境界線上にあり、吉沢さんが5年前に新築した自宅兼事務所の2階ベランダからは、福島第一原発の排気塔や巨大クレーンがくっきりと見える。
距離を感じさせないほどくっきりと見える排気塔。吉沢さんは、3号機の爆発音と立ち上る煙を見た。
牧場内のタンクに「決死救命」と自らペイントした吉沢さん。正しくは「決至救命」の意味だという。
牧草地での空間線量は毎時6マイクロシーベルトを下らないが、牛たちは広大な牧場で気ままにエサを食べ歩いていた。雪が降るまでの年内は、草は大丈夫という。
◯吉沢さんの倒れてもへこたれない強靱さはどこからくるのだろうか?
「殺処分反対」「東電 国は大損害つぐなえ」 大震災前から吉沢さんが牧場長を務めるエム牧場・浪江農場のゲートには、国や東電に対する強烈な意思表示がペイント書きされている。
原発事故から1週間後の18日、吉沢さんは、牧場内の廃車のガソリンを軽トラに移しかえ、東京の東電本社まで単身抗議に乗り込んだ。牛たちを死なせたくないことを泣きながら訴えたそうだ。その後は保安院にも乗り込み、首相官邸にも陳情に行ったという。この時は、アポを取らないで突然来てもダメだ、ということで引き下がったというが、それにしてもスゴイ行動力だ。
全人生が一瞬にして水の泡となる危機と向き合う中で、被災者ではまだ誰も直接抗議行動を起こしていない段階で、吉沢さんのフットワークの軽さというか、負けてなるものかという強い意志はどこからくるのだろうか。それが知りたかったことの1つだ。
大震災が起きる前から、吉沢さんは環境問題に捨て身で取り組んできた。南相馬市の桜井市長が市議になる前から反対運動を始めた産業廃棄物処理場建設問題。吉沢さんは、桜井市長や国道6号線の検問所付近でビジネスホテル「六角」を営む大留隆雄さん(産廃から命と環境を守る市民の会)たちとタッグを組んで、産廃問題に反対する住民運動をしてきた経験があった。加えて、千葉県出身で東京農大時代には自治会活動などにも取り組んできたという。そうした積み重ねがあってこそ、人生最大の危機に瀕し、独自の判断で行動を起こすことができたといえる。
袋のエサはモヤシのくずだが、牛たちの食欲をそそるようで、競い合ってエサに群がる。
私が初めて吉沢さんに合ったのは、6月末に福島市内で脱原発集会とデモが県庁脇で開催された時だ。小雨の降る中、牛たちの窮状を手短に訴えたことが強く印象に残っていた。その時は、警戒区域内の牛たちをいったいどうやって生かすことが可能だろうかと思った程度だった。
しかし、牛たちを餓死させたくない、殺処分させたくない一心で動いてきた吉沢さんは、熱意で針の穴を広げていったとしか言いようがない。動物保護を訴え、メディアや国会議員や研究者らの協力を得て、国がもっとも嫌がる警戒区域内での牛の保護を何とか実現してきた。殺処分させずに生かすためには、牛たちを被ばくや除染研究に提供してきた。ネットでは24時間ライブで牛たちの動向を観察できるシステムも導入されている。国は黙認せざるをえないのが現状のようだ。
保護された牛の写真を撮る高邑勉議員(民主党山口県選出)。高邑議員は動物保護の観点から、30回以上も警戒区域内に立ち入って、動物の実態調査を続けている。「希望の牧場」の牛たちが殺処分にされないのは、高邑議員の各方面への働きかけが効をそうしているのだろう。
事後後、すでにたくさんの子牛が誕生し、この冬は出産ラッシュで100頭余りの子牛が誕生するかもしれないと吉沢さんはいう。(個人的には傷害を持った子牛が生まれるかもしれないと危ぶむ)
原発事故によって崩壊した原発周辺の酪農や肉牛牧場経営。経済的価値のなくなった牛たちは、生き続けることで人間の身勝手さを問いつめている。自分たちの運命を知っているのか、牛たちの視線が痛い。
飯舘村の酪農家・長谷川健一さんが、全村避難となり酪農を廃業せざるを得なくなったやりきれない悲しみや怒りを伝えるために講演活動をするのと同じように、吉沢さんもまた、牛たちを生かし続けるために各地で講演し続けている。都内に出てきた際は、渋谷のハチ公前で街頭に立って訴え、カンパも募っている。吉沢さんの行動が訴えるのは「国の無策」であり「東電の責任」だ。
◯東電と国が見せたくない餓死した牛たちの現場(気分悪くなるかもしれませんのでご注意を)
「希望の牧場」や野生化して生き残る牛たちとは対照的に、エサも水もないまま牛舎で餓死していった牛たちがいることを忘れてはならない。ここで紹介する写真は私がたまたま撮影できたもので、現実のほんの一部に過ぎない。
南相馬市小高地区の水田地帯。雑草に覆われ荒野と変わりつつある。
ある酪農家の牛舎には、30頭をこえる乳牛たちが餓死し、ミイラ化したままの状態で残されていた。この現場は酪農家の責任が問われる場ではない。こうした事態を招いたのは、東京電力の責任であり、人も家畜も避難させることができなかった「国の無策」にあるだろう。
この光景を目にした牧場主は二度と酪農を再開できないのではないだろうか。警戒区域内にはこうした光景がたくさんあるに違いない。政府はメディアの取材を規制し、立入禁止にすることにより、原発事故が招いた実害の現場を世間にさらけ出すことを防ごうとしているのではないか。(12月、南相馬市内)
人気のない警戒区域では、放射能に汚染され、人がとって食べることのない柿が熟したまま鈴なりだった。(12月、南相馬市内)
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