« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月の投稿

2011年12月29日 (木)

どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量

(写真はクリックすると拡大します)(12月31日、一部追記改訂)

◯警戒区域の大熊町と町長選の結果から何が見えるのか?
 12月某日、警戒区域となっている大熊町に入って、あちこち撮影し測定してきた。一言でいうと、いままで測定してきた場所や地域よりも全体的に極めて高い数値の連続に圧倒された。原発に隣り合っていることもあるが、大熊町役場で実験的除染が始まっていて、来年からは本格的な除染が始まると報道されていることに大きな違和感を実感した。2011年さいごのブログになるかもしれないが、写真を多用して紹介したい。
 
 その前に、原発立地自治体で全町が警戒区域となり、住民全員が避難している大熊町の町長選挙と町議会選挙が行われたのは11月20日。現職の渡辺利綱氏(64)=無所属=が再選された。「大熊町長選挙開票結果」

「有権者の一票には復興にかける思いが込められている。原発事故で全域が警戒区域の同県大熊町の町長選は「除染を進め町に戻る」と訴えた現職が、「集団移住を検討」とした新人を破った」。(東京新聞)

 「除染して町へ帰る」と訴えた現職の当選に単なる驚き以上のある種の「狂気」を感じた。収束のめどさえ立たない原発を立地している大熊町の放射線量の高さは誰でも知っていることだからだ。測定ヶ所を限定した文科省による土壌調査でプルトニウムまで検出されている。どれほど我が家と我が町に愛着と先祖からの継承を絶やしたくないという強い願いがあったとしても、帰還して日常生活が再建できる土地だと思っているのだろうか。私自身の率直な疑問だった。

 渡辺利綱氏3,451票、木幡仁氏2,343票。その差は1108票。現職の圧勝とまではいえないが、当日の有権者の40%が渡辺氏に投票したことに驚かざるをえない。大熊町の住民たちは、すでに一時帰宅を一度や二度は終えているはずで、自ら測定した放射線量の高さを熟知していると思われた。にもかかわらず、「除染すれば故郷へ帰って元の生活がやりなおせる」と本気で思っているのだろうか。誰よりも責任があるのは「除染すれば帰れる」と住民たちに公約した渡辺町長自身とその取り巻きではないのか。

 12月16日に野田首相は、福島第1原発の原子炉が「冷温停止状態」になったとして、「事故収束宣言」をした。そして18日、政府は「原発事故の避難区域について、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3区域に再編する方針を地元自治体に伝達」した。(毎日新聞 2011年12月29日 地方版)

 いったい、政府が原発周辺自治体を「除染すれば帰郷できます」と説得してまわっているのか?それとも、自治体首長らが「除染して何としても帰郷」できるように、人間の手に負えない現実を無視した要求を政府に要請しているのか?無駄な除染に莫大な税金を投入することで潤うのは、除染ビジネスを公的に請け負う原発推進にかかわってきた独法や企業だと、誰でも知っているのに。

◯大熊町の主立った場所で測定した
_aaa1751田村市から大熊町に入る境界線の峠は雪が積もっていた。

_aaa1762牛たちが徘徊していた。原発事故後に生まれたと思われる子牛もいる。
_aaa2015

_aaa2033大熊町役場で除染する作業員。手にするのは草刈り機、熊手、クワなど。

_aaa2043毎時12マイクロシーベルトをこえる大熊町役場の敷地。地表に置くと16マイクロシーベルトだった。大熊町役場での除染は民間業者が請け負ってやっている。自衛隊は大熊町と双葉町役場での除染には関わらない判断をした。おそらく、線量が高すぎて、隊員を被ばくさせても除染の意味が見いだせないと判断したのだろうと想像する。原発から西南西5㌔。

_aaa2054双葉病院のゲート。多くの患者が避難の混乱のさなかに亡くなり悲劇の舞台となった病院。最後の避難となったのが3月15日。原発から西南西5㌔。

証言/福島・双葉病院の真相/「置き去り」誤解広まる(河北新報12月22日)

_aaa2063ベッドやシーツ、車椅子などが事故後のままに残されていた。

_aaa2072ゲート近辺は毎時6マイクロシーベルトをこえる。

_aaa2095

_aaa2255大熊町駅前商店街。毎時11マイクロシーベルトをこえる。不思議なことに、猫が一匹歩いていた。

_aaa2152常磐線JR大野駅前ロータリー。原発から西南西5㌔。

_aaa2135大野駅の脇の歩道は毎時13マイクロシーベルト以上。

_aaa2163原発マネーで建てられた図書館。

_aaa2194国道6号線、大熊町夫沢中央台交差点。西方向の道路の地震による地割れがすごい。原発から西2.5㌔。

_aaa2177同交差点の一角。アスファルト上で毎時54マイクロシーベルトをこえる。角にはローソンがあった。

_aaa2182同交差点のコンビニ側の草むらの上で計ると毎時64マイクロシーベルトという、極めて高い数値を示した。

_aaa2204「ようこそ 福島第一原子力発電所へ 直進 この先1.5km」の看板。

_aaa2240三菱重工の送迎バスが原発正門に向かって行った。

_aaa2251大熊町夫沢中央台交差点から西へ向かって100mほどの用水路上は、毎時66マイクロシーベルト近い。この日の測定での最大値。要するに夫沢中央台交差点とその周辺が高濃度に放射能汚染されていることが伺える。

_dsc3988原発から西6㌔辺りの水田。毎時14マイクロシーベルトをこえる。

_aaa1938一時帰宅したご家族の居間には、成人式写真を載せた大熊町町報2月号がそのままだった。室内は毎時2.5マイクロシーベルト前後を示した。家の裏は林になっていて、林側の窓際は毎時5マイクロシーベルトをこえた。庭先は毎時6~7マイクロシーベルト。原発から西南西7㌔。

_aaa2005この家の雨樋の下で測定すると、毎時35マイクロシーベルト以上。

_aaa1962この民家の熟した柿を放射能測定検査に出すために採取した。その結果は次の通り。
(◯柿の放射能測定)
2011_12この柿約1kgから放射性セシウムが、1568ベクレル/kg(セシウム134が902ベクレル、137が666ベクレル)検出された。国の暫定基準値は500ベクレル。その3倍以上を検出した。現在の空間線量が毎時6~7マイクロシーベルトの民家で成長した柿がこの値を示すことに注目すべき。警戒区域内や30~40㌔圏内の民家の柿は収穫されずに実をつけたままとなっているが、当然だろうと改めて実感する。測定は「農民連」食品分析センター。

 なお、政府は暫定基準値を見直し、来年4月からは暫定基準値の5分の1に引き下げるようだ。一般食品でいえば、500ベクレルか100ベクレルとなり、牛乳の200ベクレルが50に、飲料水の200ベクレルが10に下げられることになるようだ。本来は原発事故前の厳しい基準にもっと早く戻すべきだと思うが。

_aaa2330大熊町と田村市との境界の道路端。雪の上での空間線量は毎時1.6マイクロシーベルト。落葉の上に降った雪で測定すると毎時3マイクロシーベルトをこえた。
_aaa2341

_aaa2357大熊町での測定を終えた自分自身を車内で。

◯取材後記
 この取材はある家族の一時帰宅に同行した際のものだが、約2時間少々の滞在で私の積算数値は20マイクロシーベルト程度だった。仮に除染作業員が8時間、大熊町役場の線量程度の場所での作業で留まるとして、一日160マイクロシーベルトあびることになる。10日間で1.6ミリシーベルト、一月で約4ミリシーベルト。6ヶ月従事して24ミリシーベルト。これ以外に宿舎や食べ物飲み物などからの内部被ばくも換算してみるとどうなるか???原発敷地内での被ばく労働者と何の違いもないのが除染作業員の労働実態となるのではないかと想像する。

(野田首相が原発事故「収束宣言」をしたスピーチで、1兆円をこえる予算を用意し、「現場で除染に従事する作業員を4月めどに3万人とする」と公言したことを思い出してほしい。)

 私は何を言いたいのか。町内を測定して改めて実感したのは、遠く離れていても異常に線量の高い飯舘村の数倍も、全体的に汚染度が高いことが空間線量からだけでもわかる。各地での実験的除染で明らかになっているのは、どうやっても半減しない結果。移住(再定住)しか村民の残る道はないと批判されている飯舘村村長さえも帰還するのは2年後と公言していた。ここまで放射能に深く汚染された大熊町に、除染してでも帰ることを11月の町長選で町民に訴え当選した渡辺利綱町長の人間性を疑問視せざるをえない。また、そうした町長を諭すことができない(諭そうとしないのか?)行政幹部らも同様だ。
 町民の命と安全と健康を優先することで得られる結論が「除染して帰郷」となるとは私には思えない。

 ある町民の話では、町長は「早く除染して帰ろう」宗教と同じだと影でいわれているという。 

 12月24日の東京新聞こちら特報部の記事は、これほど高線量の大熊町に、なぜ渡辺町長が拘るのかという理由の一旦が鋭く指摘されていた。記事のタイトルは、『政府の「除染と帰郷」方針は東電と原子力ムラ、財務省の救済狙いか』。ネット上ではイントロ部分だけしか載っていないが、記者の伝えたい本音があるので以下に引用したい。
                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 政府は年間放射線量が20ミリシーベルト未満の地域を「居住できる」と宣言した。「除染と帰郷」を強調して、疎開や移住の選択を狭めるという従来の方針を踏襲した。これに対し、避難住民の意見は一色でないが、生活の場の自由な選択肢は保証されてしかるべきだ。だが、そうなっていないのはなぜか。背景には東京電力と原子力ムラ、財務省の「救済」を優先する政府の狙いが透けて見える。
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 具体的な内容は見出しだけ紹介してもかなり伝わる:
「政府の『除染+帰郷』方針」から「透ける『救済』相手」。「居住制限緩和 推進派がまとめ役」。「東京電力 疎開巨費抑えたい」。「原発再稼働したい 原子力ムラ」「大手銀行守りたい 財務省」。
 居住制限緩和を提案した作業部会のまとめ役は、ガチガチの推進派として知られる近藤駿介(原子力委員会委員長)が指名した長瀧重信(長崎大)氏と前川和彦(東大)氏。
「当面の除染費用は1兆円」。除染モデル事業を担当するのは「原子力機構」。「再委託を受けるのは全国でこれまで原子炉建屋を造ってきた大手ゼネコン」。身内による安上がり除染でも効果があると盛んにアピール。
 経済人の間では、巨額の疎開費用にならないように賠償スキームを維持し、東電に債権を持つ大手銀行を財務官僚が保護したいという思惑ありとまとめている。この辺りが読者に読みとってほしい大きなポイントだ。
                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 要するに、大熊町町長の「除染して帰郷」への拘りは、東電と政府、財界の望むところなのかもしれない。大熊町住民に限らないが、被災者の生活再建など眼中にない、ということかもしれない。無駄とわかっていて除染して失われるものは何か。膨大な税金と、私が指摘するまでもないが、「宙ぶらりん」とされた住民たちの折れそうな心と原発事故後の人生だ


◯警戒区域内の現実とチェルノブイリ現地取材。渡辺大熊町長に密着した動画推奨リンク(12月18日放送)

フジテレビ報道取材班が捕らえた、福島第一原発20km圏内の光景
『特命報道記者X 2011』

http://www.youtube.com/watch?v=UrJxffmh38c
http://www.youtube.com/watch?v=UC4l_OGo3hQ
http://www.youtube.com/watch?v=8SsUTxa1lGk
http://www.youtube.com/watch?v=6eLuHI1UK80(故郷に帰りたい。「原発と歩んだ町」の苦悩)←渡辺町長が当選後に初めて町に戻って視察する映像あり。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130
 


 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月18日 (日)

「ツイッター有志による脱原発デモ」(12月17日)

(クリックすると拡大します)

 おそらく、私にとっては年内最後になる脱原発デモの撮影を昨日した。誰も信じない「原発事故収束」を野田首相が宣言した翌日というタイミングだった。主催者の「ツイッター有志による脱原発デモ」 によると参加者は約950人。事故後に繰り返し各地で実施された脱原発デモの参加者のみなさんに敬意を表し、労をねぎらいつつ、写真を多用して解説のいらない熱いメッセージを伝えたい。
 東京新聞の記事を以下に引用する。

「野田佳彦首相は十六日、政府の原子力災害対策本部の会合で、東京電力福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した」。(東京新聞 2011年12月17日)

_aaa0937「収束しました。嘘ばっか!」

_aaa0838「収束なんてしていない! 廃炉、廃炉、廃炉、廃炉。廃炉」

_aaa1094「うそつき」「子ども連れて逃げたい!」

_aaa0819毎回おなじみの太鼓隊。

_aaa0993渋谷、丸井交差点

_aaa1381

_aaa1295「脱原発」キルトを掲げて原宿の明治通りを抜ける参加者。

_dsc3921

_aaa1082「ダメ、原発 ~世界未来創造組合~」 赤ちゃん連れの若い母親の参加者が目立った。この赤ちゃんのおかあさんは二度目の参加だという。

_dsc3869

_aaa1069「お母さんは限界です」。この赤ちゃんのお母さんは、実家のある新潟県に度々避難したという。

_aaa1379

_dsc3834「すぐ止めろ うそつくな」「子どもを守れ」「政治も原発も悪いのは 新聞TV 真実を伝えない」

_aaa0837「原発廃炉でエエジャナイカ Soul Flower Union」

_aaa1473「何も収束してねえ」 「福島にほんとうの空を 私たちに本当の事を」

_aaa1243「東電は資産を吐き出せ!」

_aaa1432「原発停止!どじょうにだまされるな!子どもを守ろう!」

_aaa0973_2「仏教界も脱原発」

_aaa1136「原発あと7基 電力供給の4.10% 危険な原子力はもういらない」

_dsc3841「だれでもさあ^ ウンチかけられたら怒るよね? 放射能ぶっかけられてるのに 君は怒らないの?」

_aaa1123デモ参加者の数名は沿道のゴミ拾いボランティア。「渋谷界隈よりも、表参道の方がゴミがたくさん落ちている」と、いろんな脱原発デモに参加する女性は話した。「事故収束?」「冷温停止状態? 意味がわからない~!」

_aaa1021「東電清水社長退職金5億円 自主避難者賠償金たったの8万円」

_aaa0954「もんじゅ君」が「NO NUKES!」

_aaa1325「誰のための除染? 除染より避難を」 「ふるさとは 汚れてしまった 怒りと悲しみと」 

_aaa1406「Adios Nukes!」

_dsc3807「I wanna go home.帰りたいよ~ So scared shit of radiation.放射能怖いし~ 」
Twitterにこの写真を載せたらバカ受けしてしまった。やはりプラカードが秀逸ということだろう。

 「2000人や3000人のデモではダメだ。20万人とか30万人が脱原発デモしないと」。代々木の公園にデモ隊が戻って解散前の気勢を上げるなか、常連参加者が放った一言の意味するところは大きい。それは9・19の「さようなら原発」大集会の6万人という数字を取っても同じだろう。金と権力とメディアまでを牛耳る原発推進勢力は、脱原発参加者が疲弊し、減ってゆくことをじっと待っている。

 野田首相による「事故収束宣言」は、原発事故の深刻さを見て見ぬ振りをしてやりすごそうとする多くの国民の耳に、心地よい子守歌というか睡眠薬のような効果があることをしたたかに計算しての踏み切った発言だろう。日本社会に前例のない東日本大震災が起きた年の瀬に、ウソで塗り固めたとはいえ、精神安定剤のような効果をかなり発揮すると思うからだ。

◯これまでの脱原発デモのリンク情報
9・19「さようなら原発」6万人集会&デモ
「9・11新宿・原発やめろデモ!!!」:原発とどう向き合うかが問われている転換点
広島・長崎・福島  「原爆と原発は同義語である」
「7・23脱原発デモ@渋谷・原宿」と大震災ミニ写真展in森下
6・11反原発100万人行動 in 新宿
世田谷と渋谷の脱原発デモ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月16日 (金)

原発事故から9ヶ月:福島県内取材地の放射線量比較写真(目安用)

(写真はクリックすると拡大します)

毎時0.23マイクロシーベルト以上の地域は国の負担で除染

 「除染のルール定めた省令が公布された」というNHKニュースを引用してみたい。「国が財政負担をして除染を行う地域を放射線量が1時間当たり0.23マイクロシーベルト以上の地域」と定めたようだが、具体的にはどの辺りを指すのだろうか。12月4日から11日までの取材地で測定したので目安になると思う。
地元の住民にとっては既知のことなので価値はないかもしれないが、福島県に足を踏み入れたことのない人には大ざっぱな目安にはなるだろう。写真は移動した順番で、いわき市、南相馬市、浪江町、飯舘村、郡山市、福島市、会津若松市、それに宮城県石巻市という流れ。

 なお、一言断っておくが、ここに紹介する写真と線量は今回の取材で通った場所に限定されている。つまり、福島市内のホットスポットである渡利地区とか、郡山市内の1~2マイクロシーベルトをこえるホットスポットや、いわき市内とその周辺のホットスポットなどは含まれていません。言い換えれば、ここで紹介する数値は、平均的な低さてもこれだけ高い、という意味にとっていただく方が無難だと思います。事故前の平常値を仮に0.05マイクロシーベルトとして比較してみれば一目瞭然ですから。

 ちなみに、毎時0.6マイクロシーベルトをこえると、放射線管理区域(放射線による障害を防止するために法令で設けられた区域。具体的には3ヶ月間で1.3ミリシーベルトを超えるおそれのある区域)に設定されなければならないはず。

 「原発事故で広がった放射性物質を取り除く除染や、放射性物質が付着したがれきなどの処理を行う際の具体的なルールを定めた国の省令が14日、公布されました。
 除染や、放射性物質が付着したがれきなどの処理については、来年1月に施行される特別措置法で、国と自治体が役割を分担して行うことが規定されています。公布された省令は、作業を行う際の具体的なルールを定めたもので、13日に専門家の審議会で了承されました。このうち除染については、国が財政負担をして除染を行う地域を放射線量が1時間当たり0.23マイクロシーベルト以上の地域としています。また、実際の除染の場合、土は表面を削り取ったり、外側と内側を入れ替えたりすることや、草木は落ち葉を取り除いたり、立ち木を伐採したりするなど対象物ごとの方法も細かく決められています。省令の公布を受け、環境省は除染を行う地域として東北や関東の100以上の自治体を来週、指定する予定です。省令には、放射性セシウムの濃度が1キロ当たり8000ベクレルを超えるがれきや汚泥を国の責任で処理することも定められており、これによって除染や、がれきなどの処理が本格的に進められることになります」(NHKニュース 12月14日)

 _aaa6322大津波で流された住宅街の瓦礫を集めた山。いわき市豊間(12月4日)

_aaa6280破壊され流された墓石は手つかず状態。海水浴場のあるいわき市豊間では、85人が大津波の犠牲となったと、家は流されたが助かった住民の方が話してくれた。

_aaa6328大津波で流された住宅跡で。毎時0.19マイクロシーベルト。いわき市豊間。今回の取材で回った場所では最も低い数値。原発から南へ48㌔。

・リンク:いわきの子供を守るネットワーク

_aaa6492警戒区域内に取り残された犬。(南相馬市小高区、12月5日) 原発から北北西に15㌔。

_aaa6440殺処分された牛の埋葬地。毎時3.2マイクロシーベルト(同、南相馬市小高区)

_aaa6672「希望の牧場」ゲート脇に置かれたブルドーザー。「決死救命」とペイントした牧場の吉沢正己代表。原発から北北西に14㌔。

_aaa6730肉牛300頭以上が生かされている「希望の牧場」。毎時6.1マイクロシーベルト。(南相馬市小高地区・浪江町境界)

_aaa6824まだ若い牛が種付けの格好をして、雌牛に乗りかかっている。

_aaa7094300頭をこえる牛たちは牧草だけでは生き延びることができない。定期的にエサをやることも必要だ。

_aaa7355警戒区域で放浪する野生化した牛たち。原発から13㌔。

_aaa7765大津波で国道6号線まで流された漁船の修理が始まっていた。(南相馬市鹿島区鹿島港、12月6日) 原発から北へ29㌔。

_aaa7823毎時0.28マイクロシーベルト。(同鹿島区、国道6号線脇)原発から北へ29㌔。

_aaa7921自宅のある小高区が警戒区域となったため、仮設で避難生活するおばあちゃんと支援物資を届けにきた地元ボランティアさん。(南相馬市原町区桜井町仮設住宅) 原発から北へ26㌔。

_aaa7959写真奥に見える仮設住宅敷地内は毎時0.35マイクロシーベルトだが、道路挟んだ水田側は毎時0.9マイクロシーベルト前後と高め。南相馬市鹿島区小池。原発から北へ31㌔。

_aaa80146月からは原乳を出荷している酪農家・瀧澤昇司さんの牛舎(南相馬市原町区馬場、12月7日)。原発から北北西へ22㌔。

_aaa8107瀧澤さんは近所の水田を借りて自家用の牧草(えんばく)作りに力を入れている。猛烈なスピードで刈り取るのが快感なようだが、刈り取っても線量が高いのと、土壌検査でエサとしての使用は自粛するように指示されている。毎時1.24マイクロシーベルト(同原町区馬場) 同22㌔。

_aaa8220収穫されなかったイチジク。(同原町区馬場) 同22㌔。

_aaa8350飯舘村役場の除染に向かう自衛隊。(12月8日)

_aaa8426飯舘村役場の線量計と並べて測定。ほぼ似たような数値。毎時2.5マイクロシーベルト。ちなみに6月23日の測定では毎時3.6マイクロシーベルトだった。原発から北西39㌔。

_aaa8569芝生の表土5cm程度を掘ってはぐ作業。

_aaa8755袋に詰められた落葉の表面は毎時7.2マイクロシーベルト以上。

_aaa8768飯舘村南端の長泥地区に至る山道には雪が積もっていた。毎時13.3マイクロシーベルト以上。原発から北西へ32㌔。

_aaa8808飯舘村と浪江町の境界に近い山道。毎時8.2マイクロシーベルト(12月8日)。6月23日の測定値は毎時10.9マイクロシーベルトだった。原発から北西へ31㌔。

_aaa8829車内でも毎時12マイクロシーベルト。(浪江町津島の国道399号線)同北西へ30㌔。

_aaa8837浪江町津島の国道399号線沿線で最も高い空間線量のスポット。毎時20マイクロシーベルトをこえる。同北西へ31㌔。

_aaa8983郡山市内の墓地。毎時0.5マイクロシーベルト。原発から西へ59㌔。(12月9日)

_aaa8973全国どこにでもあるような地方都市の一こま。郡山市内(駅に近い)。線量計で計らなければ、誰の目にも異変は感じられない。計ってみると、毎時0.44マイクロシーベルト。東北道に乗る郡山IICまで数カ所で測定したが、平均して0.5マイクロシーベルトの数値。平常値の10倍はある。原発から58㌔。(12月9日)

_aaa8978郡山市内の道路端。雨水が集まるようなスポットは確実に高めの線量を示す。毎時7.6マイクロシーベルト

_aaa9005郡山市内、ケーズデンキ駐車場入口の生け垣上。毎時1.5マイクロシーベルト。原発から西へ59㌔。

_aaa9014郡山市内、希望ヶ丘幼稚園の国道側歩道上。毎時0.6マイクロシーベルト以上。原発から西へ61㌔。

_aaa9042郡山IC近くのコンビニ駐車場の窪地。毎時5.1マイクロシーベルト以上。

・リンク:ふくしま集団疎開裁判の会

_aaa9049福島市北沢又愛宕神社敷地。毎時0.98マイクロシーベルト。枯葉の集まる表面では毎時2マイクロシーベルトをこえる。ところが隣り合うセブンイレブンの駐車場(下の写真)は毎時0.58マイクロシーベルト。これは一種のまやかしで、舗装された場所は雨などで流されて低い数値だが、郡山市内で見たように、雨の溜まりやすい所、草地や植木などはのきなみ高め。原発から北西へ69㌔。(12月9日)
_aaa9054

・リンク:子供たちを放射能から守る福島ネットワーク

_aaa9390支援物資を受け取る大熊町からの避難住民。会津若松市内。(12月10日) 原発から西へ98㌔。

_aaa9436会津若松市、鶴ヶ城お堀端。毎時0.24マイクロシーベルト。草の上は0.26マイクロシーベルト。(12月10日) 同98㌔。会津若松市内も除染が必要ということか。

 こうして見ると、今回の取材で回ったところで、国の除染負担対象外は、いわき市豊間だけとなる。「環境省は除染を行う地域として東北や関東の100以上の自治体を来週、指定する予定」というが、「放射性セシウムの濃度が1キロ当たり8000ベクレルを超える」瓦礫や汚泥を含めたら、福島県外でもで指定される必要のある自治体が続々と出てくるのではないか。

 以下は宮城県石巻市だが、平常値に近い数値として比較することで、福島県各地にどれほど放射性物質が広範囲に拡散しているかが想像しやすいのではないか。同時に、原発事故のために、大津波の被災地の復興が遅れに遅れていることを忘れないでほしい。

_aaa9819宮城県石巻市門脇の大津波被災地。毎時0.12マイクロシーベルト(12月11日)。
原発から北へ113㌔。

_aaa9750宮城県石巻市日本製紙工場。(12月10日) 同113㌔。

_aaa0039宮城県石巻市。石巻港に近い廃車集積場。(12月11日)

蛇足:西南西に246㌔離れた私の母校(長野県軽井沢高校)も安全圏ではないことが判明した。校舎の雨樋の下の側溝にたまった砂の真上で測定すると、毎時3マイクロシーベルトに近い数値となった。(10月25日)
_aaa2678長野県軽井沢町から佐久市の群馬県境には、確実に放射性物質が降りそそいたことが明らかとなった。10月に佐久市の県境付近山中で採取された野生のキノコは基準値をこえる放射性セシウムが検出された。そうしたこともあり、落葉をもやすことも長野県内全域で自粛要請されているのが現実。

◯3月に測定した被災地各地はこちら→→→「写真で見る被災地の放射線量比較2011年4月19日 (火)」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月13日 (火)

警戒区域内「希望の牧場」と代表の吉沢正己さん

(写真はクリックすると拡大します)

_dsc3300「希望の牧場」で原発事故後に誕生した子牛(12月撮影)

久しぶりの福島県各地の取材
 取材中にこんな事故が起きた。取材先の酪農家も話題にしていた牛の死亡事故だった。

 「牛と衝突、車全焼 警戒区域の富岡の国道 
 6日午後5時ごろ、富岡町本岡の6号国道で南相馬市の会社員男性(33)の乗用車が牛と衝突した。乗用車はエンジン部分から出火し全焼した。男性にけがはなかった。
 双葉署の調べでは、男性は東京電力福島第二原発の作業を終え帰宅途中だった。7頭で道路を渡っていた牛の群れのうち1頭と衝突した。牛は死んだ。牛はもともと飼育されていた肉牛とみられるという。
 現場は東京電力福島第一原発から半径20キロ圏内の警戒区域」(福島民報 2011年12月7日 )

 「国は5月、原子力災害対策特別措置法に基づき、県に殺処分を指示したが、牛の捕獲は難しく処分できたのは1割に満たない」(読売新聞2011年11月10日)

 立入禁止の20㌔圏内で約1000頭の牛たちが半ば野生化して生き延びている。囲い込んで捕獲する作戦はあまり効果を上げていないようだ。原発事故により飼い主が避難したことによって取り残された牛たちを、国は殺処分の方針。餓死を待っているのかもしれない。牛舎に取り残された牛たちの運命は悲惨。育てながら救いだすことがままならなかった飼い主たちの心情もまた辛くて耐え難いものに違いない。
 そうした逆境で、したたかに300頭をこえる肉牛を今でも飼育し、生かし続けている牧場がある。すでに多くの人が知っていると思うが、支援者や国会議員らのサポートを受けて「希望の牧場」プロジェクトとして、被ばくしたことによって経済価値がゼロとなった肉牛が飼育されている。「希望の牧場」プロジェクトは7月にスタートし、肉牛を飼育してきたエム牧場・浪江農場長の吉沢正己さんが代表を務める。原発からの距離は14㌔。南相馬市小高地区と浪江町の境界線上にあり、吉沢さんが5年前に新築した自宅兼事務所の2階ベランダからは、福島第一原発の排気塔や巨大クレーンがくっきりと見える。
_dsc3278距離を感じさせないほどくっきりと見える排気塔。吉沢さんは、3号機の爆発音と立ち上る煙を見た。

_aaa6775牧場内のタンクに「決死救命」と自らペイントした吉沢さん。正しくは「決至救命」の意味だという。
_aaa6807牧草地での空間線量は毎時6マイクロシーベルトを下らないが、牛たちは広大な牧場で気ままにエサを食べ歩いていた。雪が降るまでの年内は、草は大丈夫という。

◯吉沢さんの倒れてもへこたれない強靱さはどこからくるのだろうか?
_aaa6644「殺処分反対」「東電 国は大損害つぐなえ」 大震災前から吉沢さんが牧場長を務めるエム牧場・浪江農場のゲートには、国や東電に対する強烈な意思表示がペイント書きされている。

 原発事故から1週間後の18日、吉沢さんは、牧場内の廃車のガソリンを軽トラに移しかえ、東京の東電本社まで単身抗議に乗り込んだ。牛たちを死なせたくないことを泣きながら訴えたそうだ。その後は保安院にも乗り込み、首相官邸にも陳情に行ったという。この時は、アポを取らないで突然来てもダメだ、ということで引き下がったというが、それにしてもスゴイ行動力だ。
 全人生が一瞬にして水の泡となる危機と向き合う中で、被災者ではまだ誰も直接抗議行動を起こしていない段階で、吉沢さんのフットワークの軽さというか、負けてなるものかという強い意志はどこからくるのだろうか。それが知りたかったことの1つだ。
 大震災が起きる前から、吉沢さんは環境問題に捨て身で取り組んできた。南相馬市の桜井市長が市議になる前から反対運動を始めた産業廃棄物処理場建設問題。吉沢さんは、桜井市長や国道6号線の検問所付近でビジネスホテル「六角」を営む大留隆雄さん(産廃から命と環境を守る市民の会)たちとタッグを組んで、産廃問題に反対する住民運動をしてきた経験があった。加えて、千葉県出身で東京農大時代には自治会活動などにも取り組んできたという。そうした積み重ねがあってこそ、人生最大の危機に瀕し、独自の判断で行動を起こすことができたといえる。

_aaa6925袋のエサはモヤシのくずだが、牛たちの食欲をそそるようで、競い合ってエサに群がる。
_aaa6995

 私が初めて吉沢さんに合ったのは、6月末に福島市内で脱原発集会とデモが県庁脇で開催された時だ。小雨の降る中、牛たちの窮状を手短に訴えたことが強く印象に残っていた。その時は、警戒区域内の牛たちをいったいどうやって生かすことが可能だろうかと思った程度だった。
_aaa3455

 しかし、牛たちを餓死させたくない、殺処分させたくない一心で動いてきた吉沢さんは、熱意で針の穴を広げていったとしか言いようがない。動物保護を訴え、メディアや国会議員や研究者らの協力を得て、国がもっとも嫌がる警戒区域内での牛の保護を何とか実現してきた。殺処分させずに生かすためには、牛たちを被ばくや除染研究に提供してきた。ネットでは24時間ライブで牛たちの動向を観察できるシステムも導入されている。国は黙認せざるをえないのが現状のようだ。

_aaa7215保護された牛の写真を撮る高邑勉議員(民主党山口県選出)。高邑議員は動物保護の観点から、30回以上も警戒区域内に立ち入って、動物の実態調査を続けている。「希望の牧場」の牛たちが殺処分にされないのは、高邑議員の各方面への働きかけが効をそうしているのだろう。

_aaa7310事後後、すでにたくさんの子牛が誕生し、この冬は出産ラッシュで100頭余りの子牛が誕生するかもしれないと吉沢さんはいう。(個人的には傷害を持った子牛が生まれるかもしれないと危ぶむ)

 原発事故によって崩壊した原発周辺の酪農や肉牛牧場経営。経済的価値のなくなった牛たちは、生き続けることで人間の身勝手さを問いつめている。自分たちの運命を知っているのか、牛たちの視線が痛い。

 飯舘村の酪農家・長谷川健一さんが、全村避難となり酪農を廃業せざるを得なくなったやりきれない悲しみや怒りを伝えるために講演活動をするのと同じように、吉沢さんもまた、牛たちを生かし続けるために各地で講演し続けている。都内に出てきた際は、渋谷のハチ公前で街頭に立って訴え、カンパも募っている。吉沢さんの行動が訴えるのは「国の無策」であり「東電の責任」だ。

東電と国が見せたくない餓死した牛たちの現場(気分悪くなるかもしれませんのでご注意を)

 「希望の牧場」や野生化して生き残る牛たちとは対照的に、エサも水もないまま牛舎で餓死していった牛たちがいることを忘れてはならない。ここで紹介する写真は私がたまたま撮影できたもので、現実のほんの一部に過ぎない。

_aaa7525南相馬市小高地区の水田地帯。雑草に覆われ荒野と変わりつつある。

_aaa7435_2
 ある酪農家の牛舎には、30頭をこえる乳牛たちが餓死し、ミイラ化したままの状態で残されていた。この現場は酪農家の責任が問われる場ではない。こうした事態を招いたのは、東京電力の責任であり、人も家畜も避難させることができなかった「国の無策」にあるだろう
 この光景を目にした牧場主は二度と酪農を再開できないのではないだろうか。警戒区域内にはこうした光景がたくさんあるに違いない。政府はメディアの取材を規制し、立入禁止にすることにより、原発事故が招いた実害の現場を世間にさらけ出すことを防ごうとしているのではないか。(12月、南相馬市内)
_aaa7480

_aaa7515_2
人気のない警戒区域では、放射能に汚染され、人がとって食べることのない柿が熟したまま鈴なりだった。(12月、南相馬市内)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »