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2011年11月 6日 (日)

「もんじゅ」「ふげん」命名の経緯と永平寺シンポ

(写真はクリックすると拡大します)

◎曹洞宗大本山永平寺(福井県吉田郡永平寺町)
まだ永平寺を参拝したことのない方の参考に永平寺の写真を少し。
_aaa7837永平寺の回廊 2009年撮影

_aaa7870永平寺

_aaa7896永平寺の全体図

◎永平寺「禅を学ぶ会」主催シンポジウム
 永平寺が「脱原発」シンポジウムを開催する、というので夜行バスでかけてきた。飯舘村の酪農家の長谷川健一さんに9月にお会いした際、永平寺から講演を頼まれていると聞いていたこともある。長谷川さんの対談相手が小浜市の中嶌哲演住職ということもあり、早くから関心があったものの、どうしても行かなければという決定的な関心事は、永平寺が「もんじゅ」や「ふげん」の命名に関わっていたという新聞報道があったからだ。以下は毎日新聞大阪朝刊(10月14日)からの転載

『西田布教部長によると、いずれも菩薩(ぼさつ)の名前に由来する新型転換炉「ふげん」、高速増殖原型炉「もんじゅ」(敦賀市)の命名に、寺が関わったという。西田布教部長は「原発に対する認識が足りなかった私たちの責任は重く、間違いだった。懺悔(さんげ)することから始めたい」と戒めている』

_dsc2328永平寺が命名に関わったことが問題視されている、高速増殖炉「もんじゅ」。真向かいは、格好の釣り場のようだ。(敦賀市、2011年10月撮影)

 東京新聞はいち早くシンポジウムについての記事を大きく掲載し、毎日と同様の内容記事が読売、朝日にも掲載された。禅宗といえば永平寺と誰もが思い描くくらい著名な永平寺が、「脱原発」に踏み込んだかと、相当な注目を浴びたはずだ。当日は命名に関わった具体的な経緯と、菩薩名からとった原発施設の名前について永平寺はどうするつもりなのかを聞くことができると期待して出かけていったのだ。で、シンポについては後回しにして、先月撮りのがした大飯原発の写真をしっかり撮ったので、こちらをまず紹介したい。

◎関西電力大飯原発とは?
_aaa3452フェリーから見える大飯原発。若狭の原発5ヶ所(15基)を撮影してみたが、共通点の1つは、釣り人が当たり前のように写り込むほど日常生活の一部と化していることの驚きだ。(おおい町、11月3日撮影)

 ちなみに、10月31日、原発事故を想定し、海上自衛隊のミサイル艇「うみたか」や掃海艇「まえじま」など艦艇4隻が参加し、大飯原発と高浜原発に上陸する訓練や水深を測る訓練が実施されたばかりだ。
「県内の原発はいずれも半島の先端部にあり、災害で孤立する恐れもある。東日本大震災を受けて西川一誠知事は9月9日、災害時の救助応援を一川保夫防衛相に要請していた」(11月1日、朝日新聞福井版)

_aaa3302大飯原発のある大島半島にかかる青戸大橋は全長743mをこえる。原発建設のために建設されたといえる。11月3日撮影

_aaa3513警備が常駐するトンネルの入口。大飯原発の関係車両以外は立入禁止。大飯原発PR館は、このトンネルの脇に建っている。

_aaa3547大飯原発PR館全景。おおいり館というらしい。PR館のリンク先はすべて関西電力のweb上にあります。

_aaa3531放射能モニタリングポストを示す地図。大飯原発は若狭湾に突き出た大島半島の突端にあることがわかる。

_aaa3565現在は2号機のみが稼働中。1号機と2号機は1979年に稼働開始。「大飯発電所(1~4号機)は、関西2府4県のうち、京都府、滋賀県、奈良県をほぼまかなうことができる大きな発電能力を持っています」と解説文。

_aaa3615原子炉の三分の一模型

_aaa3583来館者の姿のないシアター。2010年までの20年間での入場者は90万人、と子ども向けの入場者数表示があった。最近は大幅な減少傾向が明らか。5万人をクリアするのに21ヶ月かかっている。

◎基調講演とシンポジウム:酪農家・長谷川健一さんと中嶌哲演住職

_aaa3124「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方~」シンポジウムの会場入口(永平寺町にある「永平寺緑の村ふれあいセンター」)会場は永平寺町の教育委員会が管理運営する施設のようだ。(11月2日撮影) 永平寺主催者の報道陣への対応には失望した。取材規制の中身が信じがたいものだったからだ。撮影は講師の冒頭5分のみ。録音禁止。数百人の参加者も録音禁止の措置。私が担当者に問いただすと、ネットに勝手に配信され講師が迷惑するので講師了解の元で決めたと説明があった。しかし、講師の顔ぶれから、それはあり得ない。個人的に取材したことのある長谷川健一さんは、一人でも多くの人に知ってほしいから講演活動を始めている。長谷川さん自身が断る理由はどこにもない。折角注目浴びるシンポを実施したのに、主催者が何らかのプレッシャーに屈した印象を受けた。

_aaa3134講演会開始前、永平寺副監院と僧侶により、消災妙吉祥陀羅尼が7回繰り返された。

 基調講演は長谷川健一さん(飯舘村の酪農家、58歳)と中嶌哲演師(小浜市内真言宗智山派明通寺住職、69歳)。シンポジウムのコーディネーターは朴慶南(パク・キョンナム)さんが務め、長谷川さんと中嶌師がパネラーとして話した。自らの体験を語り、動画とスティール写真で3月11日後を解説する長谷川さん。飯舘村からの叫びは満席の参加者を圧倒し涙を誘った。

Photo_3「原発事故は我々の全てを奪った」と飯舘村の酪農家・長谷川健一さん。

 大震災時の地震による農地の地割れ体験から、長谷川さんの一被災者としての誇張の必要のない話は、誰しもも所々涙ぐむほかはない。水素爆発して高濃度の放射性物質が、30㌔以上離れた飯舘村に雨と雪で降り注いだことを知らず知らされずに、地区の住民に非常招集をかけて「戸外に出るな、マスクしろ」との指示を伝えたものの余計な被曝をさせてしまったこと。毎朝牛乳を搾っても汚染されてしまい出荷できずに廃棄し続けたこと。地区の酪農家全員集めて、廃業する決断をしたこと。友人の相馬市の酪農家が「原発さえなければ」と自殺したことなど、国や県から何のサポートもなく、いわば見捨てられた状況下で、自分たちだけで対処した辛い体験を語った長谷川さん。「情けないなんてもんじゃなかったです」

 長谷川健一さんは、7月から各地で講演するようになった。その根底にあるのがマスコミの報道姿勢に対する不信。早くから、同心円での避難区域設定が無意味で飯舘村は「たんこぶ」のように飛び出ているとテレビ新聞を通じて発信しようとしたが、オンエアされずに全国に飯舘村の窮状が伝わらなかったと感じたためだ。福島県の酪農家の一人として、村民の一人とし、子どもや孫を守ろうとする県民の一人としての苦悩、悲しみ、怒りなどを全国の人々に知ってもらうには、もう自分の言葉と感情で直接伝えるしかないと痛感したからだ。

 原発事故前の長谷川さんは、飯舘村の村おこしで、同じ酪農家である菅野村長の右腕として、出納責任者として、アイデアマンの村長をサポートしてきた。が、事故後の村長や村幹部の方針を批判する。何故か?事故後の役場で職員から毎時40マイクロシーベルト以上と聞いたが、「村長から数値は口外しないで」と職員が口止めされているときかされたからだ。
 京大の今中助教らが3月末に飯舘村を隈なく測定し、「ここに人が住んでいることが信じられない」、とコメントした。村長の対応は信頼を裏切るものだった。「データは絶対に誰にも公表しないで」と村長は今中助教に働きかけた。村長は助教に電話してまで公表しないでと頼んだが、今中助教はネット上で一般公開に踏み切ったと長谷川さんは話した。(山本注:ネット上で公開されたのは4月4日)村の幹部が村民を被曝させ続ける方針を改めなかったことを長谷川さんは容認できなかった。

 講演の最後に長谷川さんは、友人の区長の話をした。「女子高生が、『もう結婚なんてできねえべな。それでも良いという人が現れたとして結婚したとしても、怖くて子どもなんて産めない、と女子高生がこう言ってんだぞ、長谷川さん、どう思う』。これが飯舘村の現実です」。

Photo_2「原発事故が起きるまで、14基増設し、稼働率90%を目指した原子力ルネサンスの時代だったことを忘れてはいけない」と、中嶌哲演住職。

 真言宗の僧侶である中嶌哲演住職は、小浜市を起点に仏教者として原発に反対して40年をこえる活動をしてきた。「原発行政を問い直す宗教者の会」としても活動してきた。中嶌住職の基調講演は、長谷川さんの生の叫びに押され気味だったが、原発事故前の2010年12月に発行した「若狭の原発を考える」通信レターで、『「貪」(むさぼり)から「貧」(わかちあい)へ』のテーマで、「貪り」の代名詞としての原発と、「貧=分かち合いの代名詞としての自然エネルギーへの転換を主張したことに触れた。
 さらに、1983年の京大でのシンポジウムで配付資料に使った「核のない社会の望見」と題する5つの提案が今でも有効であると話した。5つの提言は、「一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安泰であれ、安楽であれ、いかなる生物生類であっても~~幸福であれ」というブッダのことばが根底にある、仏教者の立場から配布した内容だ。
 
 「小浜市民は70年代に二度、過半数の署名で原発建設に反対してきた。2000年代には二度、過半数の署名を集め、中間貯蔵施設に反対してきた」「若狭の原発14基は、40年間で関西二府四県に2兆㌔ワットの電力を供給してきた。1998年一年間だけみると、620億㌔ワットを供給し、立地自治体での消費量は10分の1の6億㌔ワットというアンバランスがある事実をどう受け止めるべきか」
 477000人の被曝労働者が40年間の原発施設で使い捨てにされてきたことを、原発推進派が発行する資料を使って解説したのは強烈だった。

◯シンポでの長谷川さんと中嶌さんの要旨:
・長谷川さん:「モデル地区として除染するのに400平方mで6億円かかる」「村は除染の方向まっしぐら。みんなで戻るというが、実現可能かはわからない。いま、村長は二つの方向性を出している。除染と村を出ること。今はまだ決断できない。時期尚早だが、いづれ決断を迫られる」
広島、長崎の被爆者が差別されたように、子どもたちは飯舘村のステッカーを背負って生きてゆくことになる。差別がおきてはならない」「子どもを差別しない社会と、原発事故を風化させない社会をお願いしたい」と長谷川さんは最後に訴えた。

・中嶌さん:「1945年の敗戦が第一の破綻。2011年3月11日が第二の破綻」「戦争は国策をして行われた。よって集団児童疎開が行われた。戦後、原発は国策としてやってきた。本来、事故後に国は36万人の福島県の子どもたちを西日本や北海道に速やかに避難させるべきだった。子どもたちを守る視点に立つならば、日本全体がこの問題を真剣に考えることが必要」
「40年間、大都市圏に電力を送った地元は、後始末をどうするかが問われている」「70~80年代、全国各地で原発を拒否した自治体は20以上あります。小浜市が反対していなければ4基できていた」「都市のみなさんは、『電力の55%は若狭に頼っていた』のからくりを調べてほしい。いま原発立地自治体は麻薬患者の末期症状。そうした患者に仕立て上げたのはどこの誰か
「省エネ、節電の二つを原発問題のベースに置かないといけない」。中嶌さんは、科学者の小出博章さんの『小欲知足のススメ』を引用し、戦中の「贅沢は敵だ」や滅私奉公とは異なる生き方を提案した。「何よりもエネルギー浪費社会を改めることが大切」と。

・朴慶南さん:「福島県の仮設を回って、大人が子どもが安心住める空気とか土地、未来を奪っていると感じた。子どもたちがいなかったら、未来も何もない。国もない。どうすればいいのか自分に問い合わせなければいけない」「原発事故を大きな転換点として、命を育むことが大切に扱われなかった社会を変えていくことが問われているのは私たち一人一人、自分自身だと思います」

◎「もんじゅ」「ふげん」命名と永平寺の関わり(シンポジウム主催者会見)
 シンポ終了後の記者会見で、「もんじゅ」「ふげん」の命名の経緯説明をしたのは松原徹心永平寺副監院。
「動燃理事長のキヨナリタダシ氏が、「ふげん」が完成し、「もんじゅ」工事に取りかかった頃、永平寺管長に面会して説明した。文殊菩薩の知恵と普賢菩薩の慈悲にあやかり、原発という人間の知恵が将来にむけて伸びる願いを込めたものだと
永平寺の禅師は、「良い名前をつけましたね」、というものだったという説明。
 20人をこえる報道関係者がいたが、回答のあいまいさや、注目されるシンポジウムを開催した永平寺の「脱原発」の本気度をしつこく問う勢いは感じられなかった。そこで私は思わず副監院に訊ねた。「当時の管長さんの回答は、在家からすると、永平寺が命名にお墨付きを与えたと理解するのが普通ですが、その点はどう思いますか?」と。
しかし、松原副監院はこう回答した。「当時の禅師がご自分の考えを述べたものではありません。お墨付きを与えたと永平寺は思ってはいません。キヨナリ理事長の願いが実現化してくれるといいのだが、とっても大変だ。原子力は地球上の生物の理論と合わない。これを今知らされました」。そこには、残念なことだとか、原子力発電施設名に菩薩名が使われてきたことを悔やむとか、改名を強く望むいう意思はなかった。永平寺が「良い名前をつけましたね」と言った管長名はいわなかった。

 ネットで調べると、「もんじゅ」「ふげん」を名付けた動燃理事長は、「清成迪」氏のようだ。在任期間は1972年9月-1977年11月。もんじゅ建設地は1970年に敦賀市白木に決まった。建設準備工事は1983年(昭和58年)1月25日に着手され、本体工事着工は1985年となっている。では問題の永平寺の当時の管長は誰なのだろうか?清成動燃理事長と任期が重なるのは、佐藤泰舜師(直指円性禅師:1968年1月~1975年)か、山田靈林師(佛真宏照禅師:1975年2月~1976年)のどちらか。秦慧玉師(慈眼福海禅師:1976年4月~1985年)も含まれるかもしれない。

◎高浜原発とプルサーマル
_aaa3780高浜原発3号機では、2011年1月から、MOX燃料を使ったプルサーマル運転を開始している。京都府の海の玄関口であり、物流拠点の舞鶴港は高浜原発から西にわずか11㌔しか離れていない。(高浜町上瀬漁港から11月3日撮影)

命名の経緯情報追記(2012年12月20日)
 当ブログ記事に対する反響は大きく、永平寺管長の関わりを具体的に指摘する曹洞宗関係者のコメントもいただいた。その結果、「もんじゅ」や「ふげん」の命名に秦慧玉管長が関わっていたという結末となっていた。
 ところが、その既成事実はなく、永平寺管長が命名に直接関わった経緯はなかったとする研究調査結果を学会で報告し、そのことを私に教えていただいた僧侶の方が現れた。

 日本印度学仏教学会第63回学術大会で報告された工藤英勝師である。工藤師の学会での発表要旨が師の個人ブログ(宗教と植民地布教 -朝鮮布教統計表から-)で公開されている。工藤師はなぜ永平寺管長が関与したという噂が今もって信じられているのか、動燃副理事長の「清成迪」氏による命名の具体的な経緯を明らかにしている。詳細はそちらを読んでいただきたい。ここでは、師の許可を得て、永平寺管長は命名に直接関与していた事実はないことと、命名したのは、「清成迪」氏自身であることをここに記し、私のブログ記事により拡散した誤った情報により、迷惑を受けられた方や関係者のみなさまに謝罪したい。 

「直接にも、間接的にも命名行為じたいに、秦師は関与していないし、原子力政策推進に積極的に関わっていない。しかしながら、上述のような肯定的な感想を述べ、事実を異なるかたちであっても、永平寺の要職者が命名に賛同しているという噂が蔓延してきたという」ことは、ある意味では、「もんじゅ」「ふげん」に代表される国産技術の新型動力炉にもとづく原子力政策を翼賛する社会的効果をもってきたといわざるを得ない」(工藤師の学会でのレジュメから引用

 工藤師は秦師の関与を明確に否定した上で、仏教界全体が国策の原発政策を容認してきたという事実に対しても、レジュメで厳しく指摘し反省を試みている。
 「仏教界の大勢としては、日本政府と企業体がナショナルプロジェクトとして推進してきた原子力政策をほぼ容認してきたことは動かすことのできない事実である。
 仏教者が命名以前に助言をしたり、命名後にその由来を聞いて感激したりしてきたことや、今日このことを仏教の教えにもとづいて否定的に評価する前提となる「仏教」とはいったい何かが厳しく問われなければならないことはいうまでもない。
 たとえ善意にもとづくにせよ、命名に関与した歴史的な責任は仏教者の共業として担わなくてはなるまい」
(同レジュメから引用)

 加えて、工藤師は以下のメールを私に寄せられた。

第一 曹洞宗僧侶の思い込みと願望によるものですが、貫首の手記がありながら似ても似つかない虚偽伝説を蔓延させてきたのかはいまなお謎です。

第二 構成員の私も含め、本当の反省をしていないし、そんな自己欺瞞を放置したままで、かりそめの「脱原発」を表明しているだけと認識しています。己の過去の所業すら点検できていないのですから。

 どうか、工藤師のブログと公開されている資料に目を通してください。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援
ジャーナリストの活動を支えてください。

・郵便振替口座(加入者名 山本宗補)
00180-1-572729

・銀行振込
城南信用金庫
店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130

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コメント

はじめてお便りします
「もんじゅ」「ふげん」の命名の件については、かなり前から噂や伝聞としては聞いていました。曹洞宗の関係者ではある意味「常識」だったのです。しかし、このことはおそらく根拠や記録はないものです。自慢話がいつのまにか事実になってしまったのでしょう

ちなみに動燃副理事長(当時)の清成迪(すすむ)氏が相談したとされる永平寺の関係者はのちの貫首の秦慧玉師です。しかし、その噂は1996年に記憶違いとして永平寺が撤回しています。
にもかかわらず、その噂をふたたび取り上げてくるあたりに何か釈然としないものを感じます。
ご指摘の通りだと思います

投稿: Kitano124 | 2011年11月 9日 (水) 12:33

Kitano124さま

貴重な情報を早速ありがとうございます。命名の問題に留まらず、原発の問題に向き合うことは日本仏教全体に投げかけられている問題だというのが私自身のスタンスです。40年近く、仏教界で命名問題がうやむやになっていたということ自体が仏教界全体の怠慢を物語っていると思います。

投稿: 山本 | 2011年11月11日 (金) 12:54

さっそく掲載くださり感謝です!

「常識」「通説」「逸話」「伝聞」「美談」を鵜呑みにして、それをもとに何か自分に都合のいい社会正義を主張するというところに危うさがあると感じています。

曹洞宗や本山の内部事情をあまり知らない私ですら「疑わしい」と思う命名の噂を、当事者が検証もしないのでは、彼ら彼女らの主張にどれだけの正当性があるかは、はなはだ疑問です。鳴り物入りでマスコミも動員しての催しにしてはあまりにお粗末です。

ただし、これは招聘された講師や司会者の講演・発言内容とは別問題であり、長谷川さんと中嶌師等の言説をいささかも低めるものではありません。

投稿: Kitano124 | 2011年11月11日 (金) 14:26

私も、そのシンポにいきました。

永平寺は、メジャーなメディアに向けてメッセージを送りたかっただけで、別に反省も何もしていないことがよくわかりました。

特に司会だったお坊さんの不真面目かつ不遜な態度、コメント、非常に衝撃的でした。

もんじゅ命名のことも、「しまった」と思ってるようではありましたが、別に反省も懺悔もしている様子は皆無だったと思います。

非常に心のない会だと感じました。中島さん、長谷川さんのお話しは意義があったと思いました。

投稿: とおりすがり | 2011年11月12日 (土) 17:14

とおりすがり様

私の印象はいくらか違うようです。司会の方は布教部長さんと思われますが、落ち着いて巧みな進行に舌をまいたくらいです。

ただし、シンポジウムの席では命名の経緯が明らかにされませんでしたが、報道陣とのやりとりの中での当日の責任者の永平寺副監院さんの説明は、あまりにも期待はずれでした。ご指摘の「反省も懺悔もしている様子は皆無だった」という点は残念ながらその通りでした。

投稿: 山本 | 2011年11月12日 (土) 23:30

Kitano124さんのコメントにたいしての意見

私は曹洞宗関係者です。「もんじゅ」「ふげん」命名に永平寺の禅師が関わったらしいということはたしかに聞いています。しかしその人物が誰かは諸説ありました。しかし、
Kitano124さんは秦禅師と同定していますが、その根拠が疑問です。

また、初耳なのは永平寺が96年にこの命名関与説を撤回してるとも断定しますが、その証拠はあるのですか?
私も確たる証拠はもっていませんが、宗外の方がそのような内部情報をお持ちだとは驚嘆です。

あと、ひとつ最近の曹洞宗の機関誌では、この命名説を認め、消極的ながら反省の巻頭言を載せています。教団宗派も認定していることを、なぜ信憑性なしと否定なさるのか知りたいです。

いずれにせよ、これは論争すべきことではなくて、事実を共有すべき事柄です。

証拠の提示をお願いします。

投稿: chinokoe4619 | 2011年11月13日 (日) 14:00

「贅沢は適だ」の「てき」は「敵」ですね。

投稿: | 2011年11月23日 (水) 20:34

ご指摘ありがとうございます。早速訂正しました。

投稿: 山本 | 2011年11月23日 (水) 23:34

たとえば、欧州やアメリカの原発に、「キリスト」「マリア」などとつけるだろうか。決して命名しない。それを日本の仏教は、積極的に関与しないまでも、抗議もしないで容認した。そこが情けない。今からでも遅くない、命名の取り消しを激越に要求してほしい。その行為自体が、仏教界の意思表示となり、命名を許す過ちへの贖罪となる。ニュースで、その御名がが出るたびに、身が削れる思いだ。永平寺は、真剣に感じてほしい。

投稿: 仏教徒 | 2011年11月28日 (月) 10:39

仏教徒さま

ご指摘の通りだと思います。
「その行為自体が、仏教界の意思表示となり、命名を許す過ちへの贖罪となる」と指摘されるように、仏教界全体が「激越に」改名運動するべき大問題だと同感します。

投稿: 山本 | 2011年11月30日 (水) 20:36

このブログをしばらく拝見していない間に、議論がエキセントリックになっているような気がしました。
chinokoeさんはお前の意見を立証する証拠を出せとおっしゃいますが、わたしが把握しいるのは内部情報でも秘密文書でもありません。曹洞宗の僧侶であるならばみているはずの文書ですよ。自分の不勉強を棚に上げていらっしゃるのには同意できません。

また、もんじゅ命名に永平寺や仏教界に関わったという大前提で抗議や取り消しをせよとおっしゃいますが、その大前提が問題なのです。事実を明らかにせずに、それに便乗して社会的主張をなさるのはいかがでしょうか。わたしにはあまり意味を見出せません。消極的な意見ですみません。

投稿: Kitano124 | 2011年12月 3日 (土) 21:46

Kitano124さま

取材でしばらく留守にしていて掲載が遅れました。

コメントの主旨は、「曹洞宗の僧侶であるならばみているはずの文書」があるから、永平寺の直接の関わりが存在するということだと思います。
それを永平寺は今回のシンポで隠している点を問題にされているのだと解釈できます。
ならば、当時の秦慧玉管長の関わりがあったのかどうかを、当時の文書を公開して明確にされてはいかがでしょうか。

投稿: 山本 | 2011年12月13日 (火) 15:22

 僧侶が誰も指摘していないので、永平寺貫首命名の伝聞の根拠を提示します。
永平寺の機関誌に次のような記述があります。
 「もう十五年以上も前の事になるが秦慧玉禅師が名前を依頼されて『文殊』『普賢』と命名したということを僧堂の提唱で聞いた」
平成8年1月号

 小生の備忘録に記録されていたものですから、もしかしたら多少の文字のちがいはあるかもしれません。
 本山の機関誌ですから、この記事を曹洞宗僧侶であれば知っておられるはずです。今になって、なぜこれを明示しないのか理解に苦しみます。

投稿: kitano124 | 2012年2月 3日 (金) 13:05

kitano124さま

 重要な情報公開ありがとうございました。命名者をシンポジウムで誤魔化したことも大問題ですが、その後に西田布教部長が曹洞宗内部で批判され、役職を辞められることとなったと関係者から聞きました。
 また、シンポ後に曹洞宗が公表した原発問題に対する一気に後退した内容には愕然としました。

投稿: 山本 | 2012年2月 8日 (水) 11:25

kitanoさんへ
永平寺関係者命名の根拠が本当にあったのですね。それにしても、永平寺が「命名関与に関する懺悔から始めたい」と言ったにもかかわらず、何かの圧力に屈してまで、まったくちがった逸話に摩り替えるなど、反社会的な行動ですね。命名が事実でないならばそれを説明する義務があったのに、それを怠った罪は重いといわざるを得ません

投稿: たんぽぽ | 2012年2月 9日 (木) 01:26

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