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2011年11月21日 (月)

仏教界に脱原発の動きはあるのだろうか???(自分用メモ)

 前回は永平寺の期待はずれ「脱原発」シンポについて報告したが、仏教関連で拾い出しておきたい原発問題に関わる情報を以下に転載してみる。というのも、11月8日に,日本カトリック司教団による強烈な「原発即時廃止」を呼びかける宣言が公表されたことに刺激され、日本の仏教界全体はどうなのかがますます気になったためだ。

 これは自分用のメモ代わりのつもりなので、そのつもりで読んでいただきたい。なお、日本仏教は60をこえる主な宗派に分かれた祖師仏教、宗派仏教のため、ここに紹介するのは、主にネットから拾い出せた内容にすぎないことをお断りしておきたい。私の個人的な感想をつけた。もし、教団や個人の僧侶などの特筆すべき情報があれば投稿していただきた。

◯日本カトリック司教団のメッセージ  (リンクはこちら)
いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~

日本に住むすべての皆様へ
 東日本大震災によって引き起こされた福島第1原発の事故により、海や大地が放射能に汚染され、多くの人々の生活が奪われてしまいました。現在でも、福島第1原発近隣の地域から10万人近くの住民が避難し、多くの人々が不安におびえた生活を余儀なくされています。

 原子力発電の是非について、わたしたち日本カトリック司教団は『いのちへのまなざし―21世紀への司教団メッセージ―』のなかで次のように述べました。

「(核エネルギーの開発は)人類にこれまでにないエネルギーを提供することになりましたが、一瞬のうちに多くの人々のいのちを奪った広島や長崎に投下された原子爆弾やチェルノブイリの事故、さらに多くの人々のいのちを危険にさらし生活を著しく脅かした東海村の臨界事故にみられるように、後世の人々にも重い被害を与えてしまうことになるのです。その有効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努力が必要でしょう。しかし、悲劇的な結果を招かないために、安全な代替エネルギーを開発していくよう希望します。」(1)

 このメッセージにある「悲劇的な結果」はまさに福島第1原発事故によってもたらされてしまいました。この原発事故で「安全神話」はもろくも崩れ去りました。この「安全神話」は科学技術を過信し、「人間の限界をわきまえる英知」を持たなかったゆえに作りだされたものでした。

 わたしたちカトリック司教団は『いのちへのまなざし』で、いますぐに原発を廃止することまでは呼びかけることができませんでした。しかし福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして、そのことを反省し、日本にあるすべての原発をいますぐに廃止することを呼びかけたいと思います。

 いますぐに原発を廃止することに対して、エネルギー不足を心配する声があります。また、CO2削減の課題などもあります。しかし、なによりまず、わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境をわたす責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません。
 新たな地震や津波による災害が予測されるなか、日本国内に54基あるすべての原発が今回のような甚大な事故を起こす危険をはらんでいます。自然災害に伴う人災を出来る限り最小限にくい止めるためには原発の廃止は必至です。

 原発はこれまで「平和利用」の名のもとにエネルギーを社会に供給してきましたが、その一方でプルトニウムをはじめとする放射性廃棄物を多量に排出してきました。わたしたちはこれらの危険な廃棄物の保管責任を後の世代に半永久的に負わせることになります。これは倫理的な問題として考えなければなりません。
 これまで、国策によって原発が推し進められてきました。その結果、自然エネルギーの開発、普及が遅れてしまいました。CO2削減のためにも、自然エネルギーの開発と推進を最優先する国策に変えていくようにわたしたちは訴えます。また、原発は廃炉にするまで長い年月と多くの労働が必要になります。廃炉と放射性廃棄物の処理には細心には細心の注意を払っていかなければならないでしょう。

▽個人的感想:素晴らしい。「CO2削減のためにも、自然エネルギーの開発と推進を最優先する国策に変えていくようにわたしたちは訴えます」。被曝労働者の問題にもしっかりと触れている。よくここまで踏み込んだと思う。

◯ダライ・ラマ14世の記者会見(11月9日)
スピーチ起こし(ニコニコ動画から) (リンクはこちら)
■「原子力が平和目的で使われるのであれば、また別の問題」

司会: ではこれより質疑応答に移ります。まず名誉質問として自由報道協会の(ジャーナリストの)ピオ・デミリアさんからの質問をお願いいたします。

Q:ピオ・デミリア: 今回はいつもより記者の数が少ないかも知れませんが、誠意をもって法王のお言葉を世に伝えたいと思います。この度は東北の被災地を訪問されたとお聞きしました。法王は原子力エネルギーに関しては「賛成する」と仰っていますが、実際にご自身が訪問された仙台市や石巻市などでは復興のために人々が希望を持って懸命に働く姿が見られたかと思います。しかし福島の人々は未だに不安と絶望の中に生きています。これは福島第1原発から20km圏内の地域で撮られた写真なのですが、見捨てられた家畜たちが飢えで死んでいきました。確かに福島の事故による直接の死者はまだ出ていないのでしょうが、このように多くの動物が命を落としているのです。人間には幸せに生きる権利があり、その中には放射能に侵されずに生きる権利もあるのではないかと思うのですが、宗教的なリーダーとして、また人権保護者としていかがでしょうか。

A:ダライ・ラマ14世: 私が常に強調して皆様にお話ししていることは、物事を見る時には全体を見なさいということです。例えば何かを決める時にも、一面だけを見て決めてはダメだということです。原子力についても同じことが言えます。例えば破壊的な目的での使うものでは、やはり破壊的なものしか生みません。私の最初の来日あるいは二度目の来日の時でしたでしょうか、広島を訪問しました。原爆が投下された建物の跡も見ています。また別の機会ですが、原爆資料館にも訪問しました。今でも記憶に残っているのですが、被爆をした方の時計が原爆投下の時刻で止まって、焼け溶けた状態で展示されていましたし、束になった糸が溶けて一本になっているというものもありました。そしてまた、実際に被爆者の声も聞きました。ですから原子力というものが兵器として使われるということであれば、これは決して望ましい状態ではないと思います。

 しかし、原子力が平和目的で使われるのであれば、これはまた別の問題だと思います。もし原子力発電の他に何か代替案があるのなら良いでしょう。一つに水力発電のためにダムを造るという方法があると思いますが、この方法は自然に対して何らかの破壊、あるいは悪影響を及ぼします。また、風力エネルギーや太陽エネルギーというものもありますが、まだ十分ではないかも知れません。ここで言う十分というのは、単に日本あるいは先進国の方々にとって十分ということだけではなく、これから発展していく国々にとっても十分でなくてはならないと思うのです。そうでなければ、貧富の差がますます広がることになってしまいます。私たちはこれから発展していく国々の人のことも考えていくべきだと思います。だからこそ最終的な決断というのは、専門家の方々がもっと広い角度から全体的にこの問題を捉え、最大限の注意を払って結論を出すべきだと考えています。

 確かに物事、何かをなす時には99%の安全性というものを考えていただきたいと思います。しかし、いくら安全に対して配慮しても、やはりどこか1%の危険というのは残ります。100%安全とは言えないと思うんです。例えば車を運転していても、1%の危険はどこかにあるでしょう。例えばおいしい食事をいただいていても、どこかに1%、もしかすると何かのリスクを負うこともあるかもしれません。そして、こうやって私たちが集まっているこの会場でさえ、もし何か大きなことが起これば、やはりリスクはまったくないとは言い切れないということがあると思います。ただ少なくとも、万全を期して行っていくということが大切ではないかと思います。例えば、チェルノブイリの事故がありました。チェルノブイリの原子力発電所は古く、そしてまた十分な注意がなされていなかったために、ああいう大きな問題になりました。もしかすると、今回の福島(第1)原発もここまでの津波を予想されていなかったから、こういう状況が生じてしまったと考えられるかもしれません。大切なのは常に安全策を最大限に考えていくこと、そしてそれに基づいてなされるならば物事はいいのではないかと思います。ただ、例えばもう原子力発電所はいらないと皆さんがお決めになるなら、それはそれでいいと私は思います。

▽個人的感想:一部のtweetや報道では、「原発は必要悪」と発言したといわれ、ダライ・ラマ14世を見損なったというtweetが散見された。この文字起こしからわかるのは、風力や太陽エネルギーによる代替エネルギーがまだ十分ではないという認識からの発言趣旨と理解できるので、「必要悪」という表現はない。問題なのは、原発を稼働しつづける限り産み出される被曝労働者問題や、使用済み核燃料の処理が人間の手に追えないものでどうにもならない問題だということなどについての情報不足が如実に出た回答だという点。
 加えて、10基以上の原発を稼働させ、核武装するインドという大国に間借りする弱い立場であるチベット人の代表という観点からは、毅然とした発言ができにくいのかもしれないとも思える。11億人の人口を抱えるインドの激しい貧富の差を念頭にいれ、貧しい国の人々のことを考慮しての原発の必要性についての言及と読みとれる。いづれにしても、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所が法王発言の誤解を解こうとしたとしても、残念至極の発言という点では否定できないと思う。

◯臨済宗妙心寺派の声明   (リンクはこちら)
宣言(原子力発電に依存しない社会の実現)

 今年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島原子力発電所事故は、世界中の人々の人生観に大きな衝撃を与えました。半年を過ぎた今日においても、未だ終わりが見えない状況で多くの人々の生命(いのち)や人権が脅かされ、苦悩の日々を余儀なくされています。

 たとえ平和利用とはいえ、原子力による発電が人類の制御できない危険な領域であると露呈した今、私たちは将来ある子供たちのために一刻も早く原発依存から脱却し、これに代わる安全なエネルギーへの転換に向け社会に働きかけなければなりません。
 この度の様々な出来事は、すべての人々に心の豊かさ、安心できる平和な生活とは何かを改めて問い直すよう促しています。

 私たち仏教徒は、利便性や経済性のみを追求せず、仏教で説く「知足(足るを知る)」を実践し、持続可能な共生社会を作るために努力することをここに決意し、宣言します。

2011(平成23)年9月29日 第121次定期宗議会 臨済宗妙心寺派教団 臨済宗妙心寺派宗議会

▽個人的感想:現在のところ、主な教団として唯一の「脱原発」の意思を公表した内容。河野太通管長の意思が反映されていると聞く。「人類の制御できない危険な領域であると露呈」「将来ある子供たちのために一刻も早く原発依存から脱却」「安全なエネルギーへの転換に向け社会に働きかけなければなりません」。歓迎すべき宣言。

◯全日本仏教会会長談話  リンクはこちら
原子力発電所事故から思うこと

 八月のお盆が過ぎ、各ご家庭では、ご先祖の精霊、新盆の精霊をお迎えし、仏さまと共にひとときを過ごされたことと存じます。
 この度の東日本大震災によって亡くなられた方々のご遺族、ご親族の皆さまにおかれましては、例年のようなお盆のご供養が充分にできなかったこととお察し申しあげます。私は、一僧侶といたしまして、お盆を迎えられたすべての精霊が安らかにあられますようお祈りし、そして、被災地のこれからを見守っていただけますようお願い申しあげました。
 さて、この大震災によって引き起こされました原子力発電所の事故は、今もって放射性物質が広範囲にわたる地域で観測されています。慣れ親しんだ土地に帰れぬ方々、農業、酪農、漁業、林業などをはじめ、事故以前のように従事できない方々、いつの日か大切な家族を失うまえの生活に戻りたいと願う方々など、様々な思いを持たれた多くの方々が、未だ放射能の脅威を感じながら、事故の収束を祈りつつ、苦悩の日々を過ごされておられます。
 私どもは、都会や地方の環境に関わりなく、科学技術の発展により電力に支えられた快適で便利な生活を享受しております。しかし、その利便性の為に、原子力発電による高レベル放射性廃棄物が生み出され、その処分についての見通しはいまだない現状であり、その原発最悪の事故とは如何なるものか、予想すらできません。このようなあり方を文明として追求し続けるのか、そして、この便利な生活が如何なるもとに享受でき、誰かがそのために犠牲になっているかを、今一人ひとりが責任をもって考え、二度とこのような事故を繰り返さないためにも、私どもの日々の生活を見つめなおさなければならないと思います。
 私ども仏教徒は、仏陀の教えに連なるひとりとして、今を生きるひとりの人間として、また大切な地球の中に生きる者として利便性と経済的効果のみを追求せず、自らの足、実地を踏む良き道を選び、歩んでまいりたいと思います。

平成23年8月25日
財団法人 全日本仏教会会長
臨済宗妙心寺派管長
河野太通

▽個人的感想:全日本仏教会は主要59派を中心とする、104の宗派・団体に所属する寺院から構成される最大の連合体。現在の会長が臨済宗妙心寺派管長を務める河野太通老師。11月の段階では、会長の個人的な談話を公表しただけで、日本仏教を代表する連合体全体としての明確な脱原発志向が見えない。河野会長のイニシアティブを行きすぎと思っている保守派もたくさん存在したとしても、このままでは一般社会からは愛想をつかされることになるのではないか。

◯浄土真宗大谷派(東本願寺派)の声明(2011.07.07)  リンクはこちら
「原子力に依存する現代生活」を問い直す姿勢を表明

先月招集の宗会(最高議決機関)において、安原晃宗務総長は、原子力発電所が問いかける課題について次のように述べました

 このたびの大震災に直面した私たちは、重ねて大事な問題の提起を得ております。「原子力に依存する現代生活」の問題であります。これは、まさに地球規模で、全世界が直面している「人間の方向」の問題であり、表象するトレードオフの論議に象徴されますように、デリケートでかつ緊要な課題であります。日々、放射能飛散と被ばくの痛ましい現実から、「原発」の誤謬性を思い知らされることであり、したがって極力、丁寧な議論が必要な重大課題でありますが、連日の報道等では、どうしても誰かを悪者にしなければおさまらない、人間の悲しさが表出しております。
 いま私たちは、真宗門徒として、「教えられる」ということを、この問題への取り組みの基としなければなりません。金子大榮先生の「やりなおすことのできない人生であるが、見直すことはできる」とのご教示は、教えに照らされてはじめて為せるという意味でありましょう。みずからの生活は、みずからの都合で、人間の考えの延長で見直すことはできません。宗派といたしまして、まず「学ぶ」という姿勢、「聞く」ということを堅持してまいりたいと思います。決して自己関心に沈んだ正義を振りかざすことなく、「目の前のひとりの人と語り合う・聞き続ける」。それを、私たち自身が、ここに始められるかどうかにかかっているのであります。「教えられる自分が明らかになるということだけが、教える法(仏法)に応えることである」(安田理深)。謙虚さをもって聞思し、積極的な学びを呼びかけ、展いてまいる所存であります。

▽個人的感想:「教えられる」ことを、原発問題への取り組みの基としなければ、といいながら、原発事故が日本社会に及ぼしている前代未聞の実態の何を学んだのか不明。政治家の誤魔化しならばまだしも、教団としての方向性はゼロの視点。1993年に結成され、熱心に反原発の活動を続けている「原子力行政を問い直す宗教者の会」で、積極的に活動する真宗大谷派の僧侶が多いだけに、教団全体としてこのままでは原発の問題に見て見ぬふりをしているとしか思われないのではないか。

▽個人的感想のまとめ
 浄土宗、真言宗智山派、真言宗豊山派、日蓮宗、天台宗などの主な宗派のホームページをチェックしてみたものの、残念ながら原発事故をふまえた声明は見つからなかった。各教団の本山や個々の寺院が電力会社を檀家に抱えているから動きが鈍いという声も聞く。もし、仮に、このブログで紹介したような宗教者、教団としての最低限の認識をいま示すことができない教団は、3月11日の東日本大震災によって産み出された、日本社会の人間の苦悩、時代の苦悩に見て見ぬ振りをしていると一般社会から受け取られるのは必至。苦しんでいる無数の信徒を救わないとなれば、仏教教団は存在価値を持たないだけでなく、葬式仏教と批判されるほどの価値もないことになるのではないだろうか。
 各宗派の末端で、原発が産み出す問題に地道に取り組んで僧侶たちも、おそらく数多存在すると思うが、そうした僧侶らの意思や宗教者としての取り組みが活かされないようでは、教団上層部は既得権益を手放そうとしない官僚機構と同様ではないかと推測するほかはない。

◯追記:インドに渡って仏教興隆に尽くして40数年の佐々井秀嶺師の口上(6月18日)
(佐々井師の被災地での読経写真はこちら)

「このように大規模な被害は想像を絶するもので、ことばでは言い尽くせない。胸がいっぱいになりました。同時に私たちは大自然の脅威に対し、もう何もできなく手を挙げております。

ただ、原子力発電所の問題については、全東日本、あるいは全日本、ないしは全世界に深い影響を与えています。原子力発電は我々のために人工的に良いことをするというために成したことですが、科学的なもので人類の手によって人類を滅亡せしめ、人類の手において日本を破滅に導く現代の科学、そうしたものに対し大きな怒りを覚えました。

お勤めしたように仏陀は平和の使途である。そのためには遠慮ない呵責ない発言をさせていただきました。まず原子力発電所を止めなければならない。地下に眠った多くの人たちに対する本当の回向は、政府が原発を廃止することが真実の回向となると思う。地下に眠る25000人の怨霊は、地下において絶叫している。その声が聞こえないのか、これからの日本を再びわれわれのようにするのかと絶叫している。

いかに坊さんが教典を読経して歩いても、この原子力発電所を廃止できなければ、教典も無力であり、仏法の法道も教学も一切の宗教の教学姿勢も無益である。ましてや「もんじゅ」だとか「ふげん」だとか、菩薩の名前においてそうした原子力発電所などができていることは断じて許し難いものである。文殊菩薩の本当の菩薩道を見つめよ。普賢菩薩の本当の菩薩道を見つめよ」


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コメント

個人の僧侶ということであれば瀬戸内寂聴さんはデモの呼びかけ人などにもなっていますね。

投稿: mura55 | 2011年11月22日 (火) 12:26

瀬戸内寂聴さんは、大きな教団に頼る必要がないからご本人次第で自由自在に活動したり発言できるのでしょう。きっと。

京都市の2億円の申告漏れで著名な住職(京都で最も人気の高い寺院の)などは、汚名挽回に脱原発宣言すれば良いと思います。
3・11以後に米倉経団連に愛想をつかして脱退したIT企業家などのビジネスマン相手に、六本木ヒルズで毎月講話していたことを自慢していたくらいの方ですから、いまこそ本領発揮して仏教者として振る舞っていただきたいと願っています。

投稿: 山本 | 2011年11月23日 (水) 00:04

宗教界と原発問題について拝読してコメントします。
有意義な情報と記事拝見しています。少々気にかかったことがあります。

山本さんは仏教界・宗教界が脱原発や反原発に立ち上がるのにポジティヴな評価をされるのか?
反対に現状維持や推進(あまりないと思いますが)に対しては守旧・保守的だと否定的にお考えなのですか?
宗教界が原発問題にノーコメントだというのは私も問題ありと思いますが、宗教・仏教界の発言や主張にはあまりいみがないのではと感じます。肯定であれ脱であれ、宗教界は事態の把握さえできていないのに気まぐれで勝手なことを言われてもかえって迷惑です。その時々の情勢で都合のいいことをいってきて、「もんじゅ」「ふげん」も賛美してきたのですから。
宗教界よ、余計なことは言うなと忠告したいのです。

投稿: 85bsattva | 2011年11月23日 (水) 17:40

85bsattvaさま

お名前から仏教者と推測させていただきます。

「仏教界・宗教界が脱原発や反原発に立ち上がるのにポジティヴな評価をされるのか?」とのご質問に答える必要はないでしょう。私のブログを読まれたならば、それが読みとれない方がいるとは思えません。

宗教者であるからこそ、仏教者であるからこそ、それぞれの教えの本質が問われていると思われるのではありませんか?
宗教者も生きとし生けるものの一員として、この世界に生かされているのですよね。日本の仏教界には、全ての生きとし生けるものの存在理由や生命を脅かす放射能汚染の問題を認識できない方ばかりではないと思っています。
あなたもいかがですか?

投稿: 山本 | 2011年11月23日 (水) 23:25

初めてこのブログ?を見させて頂きました。まだしっかりとは読めていませんが、概ねの感じでは私と同じ感性だと思います。惜しむらくは、このページの印刷が上手くいかないことです。青色の背景、行間の大きさ、何とかなりませんか?すっきりと、せめて4枚程度に収まるようになりませんか?多くの人に広めたいと思いますので、宜しく改善の程お願い致します。
通称 チャーリィ

投稿: チャーリイ | 2012年2月20日 (月) 23:49

チャーリイ様

ご意見ありがとうございます。
背景の色も含めてもっと見易く読みやすくしたいのは山々ですが、素人作りにこれ以上は手に負えません。
文字部分のみをコピーして、ワープロで字数行数調整する編集で、コンパクトにしていただくほかはありません。

山本

投稿: 山本 | 2012年2月21日 (火) 10:26

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