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2011年10月の投稿

2011年10月30日 (日)

収穫の秋 クルミと里芋は豊作で、茗荷には真っ赤な花が?

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_aaa2241秋にも甘い実をつけるラズベリー

_aaa2253前回収穫し、窓側に干してあったクルミ。乾燥はバッチリ。

 収穫の秋だが、長野県でもとうとう放射性セシウムが野生のきのこから検出されてしまった。
県のwebサイトにも掲載されている。「野生きのこから暫定規制値を超える放射性物質が検出されました」
しかも軽井沢町では雨樋の下や側溝などの放射線量が高かったために、大賀ホール、幼稚園、軽井沢高校などで除染されたというニュースも重なり驚きというか、いよいよ出てきたかという気持ちにさせられた。(早速現場に測定に行ったので、写真は次回のブログで紹介する予定)

「念のため、当分の間、佐久市及び群馬県に接する市町村においても、野生きのこの採取、出荷及び摂取を控えるようお願いします」とあるので、佐久市の北側に位置する我が御代田町も「摂取自粛」に含まれることになる。
地図を見ると、きのこが採取されたのは、群馬県との県境といってもいいくくらいの山中のようだ。

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「佐久市の野生きのこが・・・」と報道されたのは10月26日で、一時帰郷で御代田に帰った私が久しぶりに育ったシイタケを収穫したのは24日のこと。シイタケを食品検査に出して測定してもらおうと思って東京に持って帰ったのは25日。帰京してから佐久市のきのこの報道となった。ますます検査に出したいと思ったのは良いのだが、JVJA仲間の森住卓さんに聞いてみると、最低でも1㌔の検体がないと正確な測定ができないことがわかった。残念なことに、シイタケが採れたといってもたったの4個で100gにも満たない。そこでシイタケの測定はあきらめ、例年になく生育の良かった里芋を測定に出そうと思っている。

 今年もオフクロさんが91歳になりながら、サツマイモと里芋を頑張って収穫してくれたので写真で紹介しよう。
_aaa2300サツマイモの出来は芳しくなかった。種類は金時系とイモ干し用の太白の二種類。
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_aaa2437例年にないほど背丈が伸びた里芋の畝で収穫を始めたオフクロさん。

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Photoオフクロさんがいままで見たこともないくらいに里芋が沢山の子イモをつけた。天候がとりわけ良かったとも思えない。

 これは時期はずれの茗荷。採ってみたら、中はスカスカ。1つだけ真っ赤なものを発見した。
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_aaa2651真っ赤な茗荷を接写してみたら、白い粒がついていた。朱色がどぎつい。突然変異かと思い、twitterに写真を掲載して誰か知っている人がいないか聞いてみた。まもなく正答がいくつか届いた。結局、とても珍しい「茗荷の実」だということが判明した。そこで検索してみると、ここ数年では本州各地でかなりの頻度で見つかっていることがわかった。残念ながら、50年ぶりとか60年ぶりとかの珍事ではないことのようです。地震や放射能と関係することでもなさそう。
 そこで1つリンクを張って紹介しよう。越後丘陵公園の「里山フィールドミュージアム」がプレスリリースまで出して広報している。赤い茗荷の実のことはいろんな人がブログに載せているが、中には天変地異の兆候として捉えている人もいるので読んでみるのもいいだろう。今年は例年の数倍も茗荷が豊作だった。家の畑でも食べきれないほど茗荷が育ったので、一二度キムチにして食べてみたこともある。

 オフクロさんが沢山作って被災地に送りたいと取り組んだ落花生のことだが、帰郷した前日に妹とオフクロが収穫し、畑の真ん中を流れる用水路脇に洗って置いていたところ、なんと3時間ほどの昼休みをはさんで、きれいになくなっていたとのことだ。空っぽのビニールの袋だけが残っていたと妹がいっていた。集落で時折姿が目撃されているタヌキやキツネの仕業ではないようだ。彼らが袋を詰め替えて持ち去るとは考えられないからだ。

 というわけで、落花生は採れたものの送るほどの分量がなくなってしまった。そこで、クルミ、落花生、サツマイモ、里芋などを少しづつまとめて段ボールに入れて、取材でお世話になった被災者の方々へ送ってみようかと思っている。11月中に発送したいものだ。


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2011年10月20日 (木)

日常に溶け込んだ原発:福井県の原発銀座(下)

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◎原発立地自治体に挟まれた小浜市
_aaa8338原発の密集する若狭地方だが、真ん中に位置する小浜市には原発がない。東隣の若狭町にもない。小浜市といえば大統領に就任したオバマ大統領に特別名誉市民の称号を与えようと検討したことがあったという。そのためか、小浜商工会議所には、オバマ大統領が演説する姿をプリントした楯と、彼に大きな期待を抱かせたプラハ演説の一部がプリントされて飾られていた。「核兵器のない世界の平和と安全を希求する決意」とある。だが、オバマ大統領はすっかり色あせた。演説がうまいだけだ。

 話を戻すと、この二つの自治体は東西から原発立地自治体にサンドイッチにされている。若狭町は風光明媚な三方五湖を持ち、小浜市も内海のような小浜湾が美しい。若狭町に原発がない理由は知らない。関西電力が自治体の取り込みに失敗したのかもしれない。小浜市には中嶌哲演師という真言宗僧侶の存在が大きいといわれる。中嶌師は国宝の本堂と三重の塔がある市内屈指の名刹の明通寺住職を務める。原発の危険性を訴えて反原発運動を長年闘ってきた闘士だが、地元では「狼少年」といわれ続けてきたと地元の人はいう。
 中嶌師は93年に結成された「原発行政を問い直す宗教者の会」でも牽引役をつとめてきた。会の結成時には、高木孝一敦賀市長(当時)に面会し、①高速増殖炉「もんじゅ」の臨界・運転を認めない ②敦賀原発3・4号の増設を認めない ③老朽化している敦賀原発1号炉の廃炉についての市長提言の実施を申し入れる活動などもしてきた。
_aaa8350左が中嶌哲演住職(69歳)。右は作家の窪島誠一郎氏(69歳)。ちなみに、小浜市に来たのは、窪島さんに同行撮影するため。窪島さんが父親の水上勉さんの故郷の関わり深い所を訪ねて歩く写真を撮るためだ。この日は窪島さんの「若狭と私」と題した文化講演があり、その後に中嶌さんら地元の識者数名が参加した、主に水上勉さんと若狭にまつわるシンポが行われた。(なお、このブログは窪島さんの個人的な思想信条とは無関係です)

 ほとんど小説を読まない私だが、水上さんは私の好きな作家で、とりわけ仏教関係の本は何冊も読んでいる。その水上さんの生まれは小浜市西隣の大飯(おおい)町。大飯半島の付け根部分の寒村の出身。関西電力大飯原発は、大飯半島が小浜湾につきだした尖端に建てられている。大飯原発の写真は何とか撮りたかったが、ゲートまで行っても見えないということと、時間が足りなかったために今回は諦めた。_aaa8806小浜湾の夕景。真正面の霞んで見える半島が大飯半島の尖端で、原発は山向こうにあるために見えない。

 原発のない小浜市では、財政難を解決する方策として、使用済み核燃料の中間貯蔵施設を誘致しようとする動きが市会を中心に起きたという。「2004年の市長選では、誘致に反対する当時の現職村上利夫市長に推進派の市議が挑み、大きな争点となった。結局、推進派は敗れ、誘致話は消えた」。「国からの電源三法交付金、県からの核燃料税交付金の配分額」は、「小浜市への交付は累計総額86億円、おおい町は387億円」。(福井新聞) 交付金のさじ加減は県に決定権があり、福井県庁のある県北(嶺北)には手厚く、原発のある県南(嶺南)には手薄いのが実状と地元の人から聞いた。

◎水上勉さんの故郷・大飯町
_aaa8958水上勉さんが生まれ育った集落入口。(大飯町 現人口は8863人) 美しい自然、釣り場、海水浴場を売りとする町のホームページから引用:「当町は、原子力発電施設立地の町であり、大島地域には大飯発電所が設置されています。西日本最大の電力供給基地としての役割を担い、関西エリアの約1/4の電力をまかなっています」

_aaa0630「陸の孤島」状態だった大飯半島を結んだ青戸大橋。1973年に架けられたというから、原発建設のために架かったのではないだろうか。

 水上さんは故郷の若狭が原発でひしめくように変わり果てたことをどう思っていたのだろうか。複雑な心境の1つの手がかりが2004年に再放送されたNHK教育TV「こころの時代」(一滴の水脈―儀山善来(ぎざんぜんらい)―)で語られている。

 「確かに成長路線に遅れていたこの若狭は原発誘致によって、経済的な地場産業のなかった生活に潤いを持ち得ました。長男行政というか、大勢の人たちが苦しんで誘致した結果ですけれども、都会を受益都市と申しましょうか、そういうエネルギーを目いっぱい消費する都会の中に紛れ込んでいるいる次、三男は必ずしも安全ではない原発を密集させているこの故郷をどう思うでしょうか。それは一口に簡単には言えない問題ではございます。私もそのことを日夜考えない日はないんですけど、<strong>物や金のおかげで贅沢できても、心の貧しい人々の氾濫は淋しい思いにさせられます。儀山さんや大拙さんのハングリーな時代に、彼らがいった、「一滴の水滴の中に宇宙がある」という、こういう思想、これもやっぱり価値があると思うんですね。この節約の親分のような大老師さまたちの思想(略)そして人間が生き急ぐことのために置き忘れてゆくもののことを考え、取り戻せるものならば取り戻し、そしてまたこの文明との共存を考え・・・」

_aaa0613原発マネーで建てられた「うみんぴあ大飯(こども家族館)」。大飯原発の手前には、PR館として「エルパークおおい」(関西電力のWeb)が建てられているが、今回はそこまで行く時間がなかった。

_aaa0621こども家族館入口に建つ銅像。ちょっと気持ちが悪い感じがして私の好みではない。隣接するエルガイアおおい(関西電力)は、「エネルギーの未来と地球の未来を考えるのがテーマ」の館だそうです。

_aaa0637プレーパーク大飯(おおい町総合運動公園)敷地内にあるフィットネスセンターアクアマリン

◎高浜原発のある風景
_aaa0650若狭たかはまエルどらんど」 自然と科学を見て・ふれて・感じることができるサイエンスパークというのがキャッチフレーズ(関西電力のweb)。「地球科学」をテーマにした関西電力のPR館。原発とは離れた幹線国道沿いに建つ。(高浜町)
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_aaa0694関西電力高浜原発1・2・3・4号機。正面ゲートからの風景。高浜町内浦半島のくびれ部分に立地。高浜3号機は2011年1月にMOX燃料を使ったプルサーマルを開始。先の中嶌哲演住職によると、プルサーマル運転開始で県と高浜町は60億円の交付金を6年間でもらうことになるという。

「若狭には30年以上の原発が8基もある。そのうち40年以上が2基。15基のうち8基が老朽原発です。敦賀、美浜、大飯、高浜の各サイトは30年以上の老朽炉を持ち、運転を許可することで県も含めて各25億円を受け取った。さらに40年以上は単年度のみ、1億円のおまけ付き」(大法輪7月号に掲載の坂本工氏による中嶌住職インタビュー記事から)

2高浜原発の裏側から見た遠景。細かく入り組んだ内浦湾の対岸に位置する上瀬港から。距離は3㌔。漁村と向き合う原発の構図を見ていて、ふと想像したのが上関原発建設予定地と対岸4㌔にある祝島の関係。祝島島民の30年近くに及ぶ原発建設反対運動により、中国電力は上関半島の先っぽに原発を建設できないでいる事実。内浦湾には数多くの漁村や観光地そのものの素晴らしい景観や日本棚田百選に選ばれるほどの棚田もあるのだが。暴力的な原発誘致をはねのけてきた祝島とは、ことさら対照的に見えてしまう景観だ。

_aaa0708内浦湾対岸の日本棚田百選に入るほどの日引の棚田から見る原発方向の夕景。祝島は日引と同様に半農半漁で生計を立ててきた歴史が詰まっているのだが。

◎福島県は東の原発銀座(13基)となる予定だった
_aaa9986日本の全原発マップ。建設中も計画中も含まれる。原発事故前のマップから、福島県だけでも、13基が集中する東の原発銀座となる予定だったことが読みとれる。不思議なのは、使用済み核燃料の中間貯蔵施設である青森県六ヶ所村が抜けている点。意図的としか思えない。

 水上さんは生前、故郷に「若州一滴文庫」を作った。命名には故郷が原発で荒れてゆくことへの思いをこめたという。晩年、同年代でうまが合った不破哲三日本共産党委員長(対談当時)との対談がまとめられた本がある。「一滴の力水」(2000年、光文社)。第九章は「若狭と原発と東海村」。二人は東海村での臨界死亡事故のことから語りだす。この中で、水上さんは、原発推進派と原子力安全委員会の関係を、<strong>「泥棒に家の安全のカギを渡したみたいなこと」と表現している。この本でも水上さんはこう言っている。
大飯町で掘り起こすべきは、故郷の先達のこういう精神(山本注:大飯半島の大島出身で岡山・曹源寺の老師となった儀山善来師らのこと)であって、故郷を、大量のエネルギーの浪費を支える原発などの場にすべきではない。意識的に一滴と名付けた理由は、それでございます」

◎蛇足:小中学生のための「もんじゅ」解説絵本と文殊菩薩
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 敦賀原子力館で小中学生向けの飛び出す絵本式「もんじゅ」PR本を見つけた。日本原子力文化振興財団が制作。かなり前に発行されたもののようだが、「プルトニウムは準国産エネルギー」と解説している。「日本の高速増殖炉はすべてわが国独自の技術によって開発されており、その技術は世界最高水準といわれています」とも。「もんじゅ」は水で冷やすのではなく、ナトリウムで冷やす構造。そのナトリウムが洩れて火災事故が起きたのが1995年。2010年の試運転再開→炉内中継装置落下事故→試運転中止。よって、この絵本が制作されたのはナトリウム漏洩事故前か?

 若狭に集中する原発問題の先行きは、マイナスだけとも限らない。原発事故を機会に足元から見直す動きが出てきている。先日の新聞記事で、仏教の菩薩名を使った高速増殖炉「もんじゅ」や「ふげん」の命名に、福井県の永平寺が関わったことを明らかにしたのには驚いた。毎日新聞のweb版によると、「福島第1原発事故を踏まえて、事故が起きれば子孫にまで影響が及ぶ原発は仏教の教えに相反するとし、これまでの認識不足への反省を込めている」。「原発に対する認識が足りなかった私達の責任は重い。懺悔する事から始めたい」と西田正法(しょうぼう)布教部長。永平寺では11月2日にシンポジウムを開き、中島哲演さんと福島県飯舘村の酪農家、長谷川健一さんが講演し、作家の朴慶南(パクキョンナム)さんの司会でシンポジウムが開催されることになっている。
 中嶌住職によると、敦賀半島でM7~9クラスの大地震が70~80%の確立で起きる可能性あると指摘する地震学者もいるという。手遅れになる前に、まずは地元でも最も危険とささやかれている「もんじゅ」を廃炉にするべきだろう。老朽化原発を止めることだろう。
 その一方で、日本原電社長は、福島第一原発1号基と同型で、稼働40年をこえる敦賀原発1号基を2016年まで稼働したいと表明している。(福井新聞2011年8月26日) 
 敦賀市の河瀬市長が14日、「もんじゅの火を消さずにぜひ目的を達成していただきたい」と、文科省の副大臣に対し運転再開を要望したことは(上)で書いた。東電の原発事故は他人事の感覚に、原発マネーに浸かりきった人たちの感覚マヒにつける薬はないと思うほかはない。


 

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2011年10月18日 (火)

日常に溶け込んだ原発:福井県の原発銀座(上)

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 初めて福井県の原発銀座を呼ばれる若狭一帯に出かけた。若狭地方で生まれ育った作家の水上勉さんに深く関わる小浜市での撮影仕事があったおかげだ。仕事を片づけた翌日、駆け足で3自治体、4ヶ所、合わせて11基(10基)の原発のある風景を撮影してきた。撮影できたのは敦賀市の敦賀原発(2基プラス廃炉中の「ふげん」)、高速増殖炉「もんじゅ」。美浜町の美浜原発(3基)。高浜町の高浜原発(4基)。大飯町の大飯原発(4基)だけは短時間でのアクセスが無理で見ることができなかった。二回に分けて、原発のある日常風景を紹介したい。

 一言でいうと、沖縄の米軍基地を見ているような感じがした。本来ならば国立公園のような風光明媚な海岸地帯に不釣り合いで、極めて危険なはずの原発が多すぎる。日常生活に溶け込みすぎで、その究極は「もんじゅ」と真向かいの漁村の泳いで渡れるほどの隣接感。まさしく米軍基地と沖縄の関係を見ているような構図でもある。1美浜原発1・2・3号機。福井県でも人気の高い海水浴場に面し、夏場は海水浴客でごったがえすそうだ。丸屋根の3号機は、2004年に死者5名、重軽傷者6名の深刻な事故を起こした。(美浜町)
2高速増殖炉「もんじゅ」(敦賀市)。手前の漁村は平日にも関わらず、名古屋方面から釣り客がたくさん来ていた。

_aaa9875_2敦賀原発のPR用に、見晴らしの良い場所に建てられた敦賀原子力館の中庭から。団体客のための記念写真席が用意されている。敦賀原発1号機は運転開始から41年目。日本原子力発電による原発で、関西電力・北陸電力・中部電力に配電する。(敦賀市)
_aaa9935原子力館に展示されている敦賀原発の全体模型。手前が建設途中の3号機と4号機。現在は埋め立て作業中という。左手下が廃炉中の「けごん」。その上が1・2号機。「けごん」は2003年3月に運転停止というので、まだ廃炉の工程途上ではないか?「けごん」は名前だけは知っていたが、どこに建っているのかも知らなかったので、全体模型は貴重な情報源となる。

 若狭の原発銀座の全体像は、直線距離にして約40㌔以内に、15基の原発が隣り合っている事実を想像してみてほしい。しかも高速増殖炉「もんじゅ」と敦賀原発との距離は3キロ。美浜原発との距離は4.5キロ。もんじゅの目の前にある白木漁港との距離は1キロ弱。仮に「もんじゅ」に深刻な事故でも起きたら、3ヶ所共に同時に制御不能の危機に瀕する可能性が一気に高まることは、地理的な条件からも素人でも想像できる。
_aaa9990大きな地図で見ると全体像、電力会社の分布図がわかる。
_aaa0237環境モニタリング(放射線量測定地点)マップ。全ての情報が敦賀市内にある福井県原子力環境監視センターに送られる仕組みを示す。

1_2白木漁港からの「もんじゅ」。その距離900m。

_aaa0030敦賀原発のゲート前で写真を撮っていると、「撮らないでください!」と警備の人が走ってきた。海外の紛争地取材ではよくあることだが、国道沿いにある原発ゲート前でなぜ撮影禁止なのかわからない。

_aaa0037敦賀原発のゲート前で測定。毎時0.15マイクロシーベルト。平常値の3倍程度。しかし、現在の東京都内の数値とほとんど変わらない。10月17日の午後、国会近くで測定したら毎時0.15だった。つまり、東京全体が少なくとも平常値の3倍はあるということを見逃してはマズイ。

_aaa0018敦賀原子力館を訪れた関西方面からの団体客。ガイドの女性から説明を受けているところ。おそらく中庭で記念写真を撮って引き揚げることだろう。団体ツアーには原発広報のための助成金が使われていると見られる。

 「もんじゅ」については毎日新聞などで報道されたばかりのニュースがある。10月14日に文部科学省の奥村副大臣が、「もんじゅの火は消してはならない」と敦賀市の河瀬一治市長と西川一誠知事に話したという内容。会談で河瀬市長は「もんじゅの火を消さずにぜひ目的を達成していただきたい」と運転再開を要望したという。詳細はリンク先の記事を読んでください。

 ここで引用したいのは、高木孝一敦賀市長(当時)が1994年3月に、故高木仁三郎さんも出席した原子力の「長期計画改定に関するご意見を聞く会」で話した愚痴。「原子力の神話からの解放」(高木仁三郎著、講談社+α文庫)から引用。
「私のところでやっている3、4号炉の問題でも、もう10年後に太陽光の発電ができると言ったら、今からでもお断りしたいですよ、本当に。(中略)私どもも決して、原子力発電所がいい、ほれ込んでやっているんじゃないんですよ」(高木孝一敦賀市長のことば・1994年3月)

3美浜原発の向かいにある漁村丹生(にゅう)から見える美浜原発3号機。距離は1㌔に満たない。ここも、関西方面からの釣り客が多い。

_aaa0086美浜原発の向かいには、4つの海水浴場が並ぶ。中でも美しい水晶浜海水浴場からの海と砂浜。

_aaa0261美浜原発3号機の模型。美浜原子力PRセンターの展示。
_aaa0304同模型。ただし1号機か2号機かはわからない。
_aaa0230注目したい展示内容。「原子力発電の優位性」パネル。「原子力発電の燃料となるウランは、(中略)他の燃料よりも優れています。原子力発電による発電電力量は、我が国全体の約1/3。関西電力では半分以上を占めています」と解説文。下の段の見出しを拾うと、「ウランは小さな巨人」「原子力を中心に将来を考えています」「輸送、貯蔵、確保も簡単」と続く。福島第一原発事故後に、こうしたウソと誇張で見学者を洗脳することができると電力会社、原子力産業は考えているのだろうか。

ここに紹介した三ヶ所の原子力発電所は、全て敦賀半島の先端に立地している。琵琶湖の北端との距離は30㌔しかない
次回は高浜原発と原発マネーで建てられた箱物を紹介する。


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2011年10月15日 (土)

JVJA写真展 「3・11メルトダウン」~大津波と核汚染の現場から~

私も会員の一人としてフリーランスのフォトジャーナリスト・ビデオジャーナリスト仲間と活動する
JVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)が主催する写真展とトークイベントのお知らせです。
会場は京王線明大前にある「キッド・アイラック・アート・ホール」5F
どうぞお立ち寄りください。トークにおこしください。
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 3月11日、東日本大震災発生の一報を聞き、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーたちは、
それぞれのルートで現地に駆けつけた。ある者は、余震が頻発していた津波被害の現場で捜索・救出作業の
一翼を担おうとした。ある者は放射能汚染の危険性が高まる福島原発に向かい、放射線測定値を公表し、
深刻な事態が起きていることを訴えた。被災者にこれ以上の犠牲を強いてはならない―。カメラを携えながらも、
現場では撮影以外のやるべきことが数多くあった。
 それから半年余り。JVJAのメンバーは大津波と核汚染の現場で取材を続けている。
写真展「3・11 メルトダウン」は、日本の変革期を捉えたフォト・ビデオジャーナリストの記録である。
 
311_meltdoen_photo

【期間】2011年10月22日(土) ~ 11月6日(日)
【場所】キッドアイラックアートホール5階 (入場無料)
【開催時間】 12:00~21:00  【休館日】毎週火曜日
※最終日の11月6日は18:00まで。トークイベント開催時は写真展会場に入場できません。
 
【主催】日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)/オンラインマガジン フォトガゼット
【協力】 キッド・アイラック・アート・ホール/ 図書出版 凱風社/第三書館/特定非営利活動法人 OurPlanet-TV/ピースボート
【お問合せ】日本ビジュアル・ジャーナリスト協会事務局
TEL. 090-6101-6113  E-mail. office●jvja.net (●を@に変えて下さい)

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トークのお申し込みはこちら

 
10月23日(日)14:00 - 16:00
「90歳の報道写真家・福島菊次郎が語る被爆者と原発事故後の福島」
福島菊次郎+山本宗補
 
福島菊次郎氏の上京にあわせた緊急スペシャルトーク。9月中旬、福島菊次郎さんは福島市、飯舘村、南相馬市を取材した。進行は山本宗補。
 
 
10月27日(木)19:00 - 21:00
「福島・原発震災のまち」
川崎哲(ゲスト)+豊田直巳+野田雅也
 
3・11震災の被災地を独自の視点で取材をつづける野田。『フォトルポルタージュ 福島 原発震災のまち』(岩波書店)を出版したばかりの豊田。その被災地に震災直後から約3万名のボランティアを送り込み、原発震災の地、南相馬市から49名の子どもたちをインド洋の旅に招待したピースボートの川崎哲。現場報告と被災者支援のいまを考える。
 
 
10月28日(金) 19:00 - 21:00
「核を見つめて」
鎌仲ひとみ(ゲスト)+森住 卓
 
鎌仲ひとみさんと国内外の放射能汚染地の被害の実態と再生可能エネルギーの可能性を探る。
 
 
10月29日(土) 14:00 - 16:00
「弔いは十分だったのか」
大久保愉伊(ゲスト)+山本宗補

 
大津波の被災者をどう伝えたのか?犠牲者の弔いは十分だったのか?被災者を忘れないために、岩手県大槌町の現場を振り返る。大久保さん作品「槌音」(30分)上映あり。
大久保さんプロフィール:1986年岩手県大槌町出身。実家が全壊し、家族が被災。成城大学芸術学科在籍時から自主映画を制作。『海に来たれ』(07)が劇場公開される。その後も『波』(08)などを制作し、現在長編映画を制作中。本年8月、大槌町の映像をまとめた『槌音』を発表し大きな反響を呼ぶ。
 
 
11月 4日(金) 19:00 - 21:00
「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」
綿井健陽+ゲスト未定
 
現在ユーチューブで公開中の「福島原発取材の現場からパート1・2」の続きとなる、パート3、4を初上映&トーク。
 
 
5日(土) 14:00 - 16:00
「The Days After-東日本大震災の記憶」
石川梵(ゲスト)+佐藤文則
 
「地球46億年」と「祈りの世界」の視点で地震・津波被害を撮影してきた石川梵さんと語る東日本大震災の現場。石川梵さんプロフィール:写真家、大分県出身。「The Days After-東日本大震災の記憶」を六月に出版。二つのライフワーク「地球46億年」「祈りの世界」の視点で震災を撮影。写真集「海人」で、講談社出版文化賞、写真協会新人賞など受賞。今年二月初のノンフィクション「鯨人」集英社刊。他に写真集「伊勢神宮」。
 
 
6日(日) 13:00 - 15:00
「飯舘村」
白石 草(ゲスト予定)+古居みずえ
 
計画的避難区域に指定された飯舘村から追われていく人びとの姿を古居が映像で紹介。白石草さんと飯舘村について語る。白石草さんは、インターネット放送局「OurPlanet-TV」を設立。マスメディアでは扱われない事柄などを映像化し、精力的に配信し続けている。
 
※トークの内容は一部変更の可能性があります。
 
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(チラシがダウンロードできます)
 

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2011年10月 5日 (水)

我が田舎・信州御代田町の秋本番

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 写真展の展示替えを控えていたので、3週間ぶりに帰郷した。朝方は12月を思わせるひんやり感だったが、快晴の秋空。実り多き収穫の秋を迎えていた。放射能汚染を心配せずに、事故前と変わらぬ秋の当たり前の風景が、今年は心に沁み入り感慨深い。原発事故で人間の想像をはるかに超える放射性物質で汚染されてしまった福島県各地の取材をしてきたから、なお一層実感する。

_aaa7171暗室小屋の北側にある畑から見える我が浅間山。おとなしい構えだ。10月3日撮影

_aaa7175小豆の収穫をするオフクロさんは91歳。元気で畑仕事に生きがいをもってくれていることが何よりもありがたい。背景は里芋。例年以上に伸びたが堆肥が良かったのかは不明。10月3日撮影

_aaa7135クルミは例年以上に豊作だった。というか、収穫のタイミングを逃すと、拾うまでに痛んでしまうのが通常。クルミは用水路でしっかりと洗い、しばらくの間、日干しする。今では中国産などが安く出回り、クルミを貴重品と誰も思わない時代だ。10月2日撮影

_aaa7229小諸市に住む伯母から数年前にいただいたコルチカム。毎年、花が増えている。

_aaa7305これはビッシリと実をつけた山法師。真っ赤でおいしそうなのだが、渋さもあり種だらけ。昨年、大喜びで収穫したのだが、ジャムにするのは面倒だった。実は山モモの実と勘違いしていたことを知った。

_aaa7241山本宗補写真展第二弾「また、あした 日本列島老いの風景」の展示。モノクロの全紙と全倍作品40点を展示しています。妹が8月にオープンした「ミニギャラリーはやみ」の企画展。10月4日~16日。午前11時~午後6時。期間中無休。隣接するフリーマーケット開催日は火木土。連絡先は0267-41-0724(fax兼)。
_aaa7262全倍(60cmX90cm)の作品。

_aaa7438御代田町馬瀬口、しなの鉄道沿線南側の水田地帯。10月4日撮影

_aaa7341御代田町の稲刈りは10月初旬。私も高校生の時までは鎌で稲刈りしていた。自家用米だったが、その後、親も手放したので、水田はもうない。
_aaa7404稲刈りを終わった農家のおばさんに聞くと、御代田町の米は「あきたこまち」とのこと。放射能汚染の心配は町役場が検査して大丈夫とのことだったので、ほっとしたとおばさん。丹誠込めて作った米が基準値こえのセシウムが含まれていて出荷もできない、食べることもできないことほど農家にとって悲しくて辛いことはないとおばさん。農家だからこそ、福島県の農家の痛みが想像できる。

_aaa7376遠景は浅間山の連山。この水田地帯は浅間山南麓の伏流水を水源とする用水路が、江戸時代から整備されていたと思われる。もっと遡れば、古墳時代の竪穴住居跡も発掘されている一帯。古くから生活しやすい理想的な環境だったと思われる。御代田町には縄文時代の遺跡も火焔土器も掘り出されている。浅間山が冠雪するのは11月半ば。10月4日撮影

 日本を代表する活火山の1つ、浅間山。その南麓に広がる我が田舎町は、原発から直線距離で270㌔弱。それでも、福島第一原発からの放射能は微量でも確実に飛散してきている。「遠いから安心」ということは、空間線量を、土壌を、食品をできるだけ数多い地点で測定してみなければいえない。それが目に見えない放射性物質拡散の恐ろしさ。

 仮想敵国からのミサイルで原発が攻撃される必要もない。大江健三郎さんの言うように、私たちは広島、長崎につづいて、3発目の核爆弾を自分たちの頭の上に落としてしまった。大切なものは、失ってから初めてきづくものだが、山や森や川や大地が放射能に濃く汚染されてしまっては、末代まで取り返しがつかない。


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