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2011年9月の投稿

2011年9月25日 (日)

反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(90歳)のこと

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 今日は上関町の町長選挙投票日。原発推進派が1982年から8期連続で当選していながら、中国電力が30年前から原子力発電所を建設しようとしているが、原発予定地対岸にある祝島島民の根気強い建設反対運動によって、建設できないでいることで知られる。写真は2010年3月に、中国電力が反対島民に対して「説明会」をしたいと初めて島にやってきたところを祝島島民が追い返した時のもの。2010年3月の雑記帳に写真も多数載せて詳細を書いてあります。
(速報によると、選挙結果は原発推進派の柏原氏が3選されてしまった。柏原氏が1868票、祝島の山戸氏が905票だった。当日有権者数は3206人。投票率は87.55%(前回88.08%)。

 私が祝島の原発反対運動や上関原発の建設問題を知るようになったのも、今日紹介する報道写真家・福島菊次郎さん(90歳と6ヶ月)とのご縁からだ。現在は山口県柳井市のアパートで、愛犬ロクとの独居生活の菊次郎さんは心から畏敬する報道写真家だ。菊次郎さんの生き様と原発反対運動は直結し、菊次郎さんが取材し報道してきたものから学ぶことばかりだからだ。
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 先日19日の「さようなら原発」集会・デモの写真の中で、菊次郎さんが集会場で撮影している写真をtwitterに載せたら、アクセスが15000人ほどにのびたが、誰でも存在感を感じる人だとわかるだろう。その菊次郎さんを17日と18日の二日間、原発事故による放射能汚染の影響が深刻な福島県内各地を案内したので、写真で紹介したい。

 その前に、菊次郎さんのことを簡単に知ってもらおう。亡くなった作家の井上ひさしさんが、東京時代の福島さんの人物ルポを雑誌に書いている。
「福島氏が豪(えら)いのは、外出すると尾行がつくことである。つまり家庭では優しい父親である氏が、いったん玄関の戸をあけて足を一歩外に踏み出すと、体制側の要注意人物になってしまうわけだ」

 菊次郎さんは広島の被爆者を撮り続けた写真集『ピカドン ある原爆被災者の記録』によって、「原爆写真家」として知られるようになり、国の権力と一貫して対峙してきたことから「反骨」の報道写真家として知られる。菊次郎さんは1921年、山口県下松市生まれ。60年代初頭から20年間、フォトジャーナリズムの第一線で活躍し、「文芸春秋」などの月刊誌や週刊誌などを中心に、一時は年間150ページ以上発表した。刊行した写真集は12冊、2003年 からは写真に『写らなかった戦後』シリーズの活字だけの著書を執筆。いまはシリーズ4冊目に取りかかっている。原発事故関連の取材はその冒頭にくる予定だという。

 ベトナム反戦運動、三里塚闘争、学生運動が高揚した戦後日本の激動期。機動隊に立ち向かう若者たちに、福島さんは共感以上のあこがれを感じ、夢中でカメラを向けるようになる。「若い頃、国のいうことを鵜呑みにしていた自分がどれだけ阿呆だったかを思い知らされた」「学生運動は国家権力に対する反乱であり、市民運動は海をこえた反戦運動」だと。もっと詳しく菊次郎さんの生き様を知りたい方は、私が信濃毎日新聞に書いた連載記事がホームページにあるので読んでください。
(ちなみに、私が菊次郎さんに初めてお会いしたのは86年。周防大島の南端にある沖家室島の元気なお年寄りを取材に行ったときで、福島さんは当時は周防大島で自給自足の生活を実践していた。そのとき以来のご縁で、最近は菊次郎さんの講演会や写真展を企画したりしてきた)

_aaa3954福島市渡利地区の七社宮児童遊園で撮影する菊次郎さん。(9月17日)8月末に実験的な除染がされ、線量が半減したといわれるが、地表1mで毎時1.3マイクロシーベルト前後あった。
_aaa4026南相馬市の国道6号線20㌔検問所手前の駐車場で。(9月17日)
_aaa4144検問所手前の国道沿線に、東京のボランティアが植えたひまわりがピークを過ぎて枯れていた。下は20㌔検問所で撮影する菊次郎さん。二枚とも9月17日撮影。
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_aaa4409南相馬市原町区の海岸に近い大津波被災地にある瓦礫の山で。下は同鹿島区の国道6号線脇に流された漁船が残る現場で。共に9月17日撮影。_aaa4439

_aaa4896南相馬市馬場の生乳を出荷している酪農家・瀧澤さんを取材。牛舎の脇には立派な牛魂碑が建ち、瀧澤さんは3代目の酪農家だと知った。下の写真は牛舎で乳牛の撮影中の菊次郎さん。9月18日撮影。
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 酪農家の取材は順調だった。が、隣りの家のご主人に呼び止められ、枯葉や枝などを焼いた灰の上で放射線量を計って驚いた。毎時20マイクロシーベルトを超えていたのだ。放射性物質が焼却によって濃縮されたためだ。話を伺うと、この家のご主人は原発作業員を20年やってきた人で、3月11日まで福島第一原発で働いていた人だった。菊次郎さんがこの時とばかりに、いろいろとご主人に訊ねたのはいうまでもない。

_aaa5038大津波によって大きな被害の出た相馬市磯部の海岸で太平洋見つめた菊次郎さん。9月18日撮影 菊次郎さんの生まれ育った瀬戸内海の海と大きく異なることを実感したようだった。

_aaa5211飯舘村の酪農家・長谷川健一さんの空っぽになった牛舎で。菊次郎さんは、広島の被爆者の取材や、戦後の広島が平和都市であるのは「嘘」であること、戦後日本が侵略戦争をあいまいにしたツケなど、よどみなく話続けた。自分の子どもの年齢と同じような長谷川さんを前にして、菊次郎さんの取材の意気込みはスゴイものだった。それをガッチリと聞いて受け止め、原発事故によって全てを失おうとしている飯舘村村民の怒りや悲しみをしっかりと話すことのできる長谷川さんもスゴイ人だった。

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駆け足の取材のラストは、飯舘村で最も放射能に深く汚染されている長泥地区を案内した。文科省が毎日測定するスポットで、この日の線量は毎時15.6マイクロシーベルト。ここを案内したのは、福島県といっても、原発からの距離とあまり関係なく、放射線量が場所によって大きく異なることを実感してもらうためだった。その典型的な例が福島市内の線量が、原発から20㌔の南相馬市海側一帯よりも3~4倍高い事実であり、30㌔以遠に位置する飯舘村の汚染度の異常な高さだ。9月18日撮影

そして、翌日が「さようなら原発」の取材となったのだ。
さいごに、私が好きでよく引用する菊次郎さんのことばがあるので知ってほしい。

「現代の市民運動に問われているのは、勝てなくても抵抗して未来のために一粒の種でもいいから蒔こうとするのか、逃げて再び同じ過ちを繰り返すのかの二者択一だけである」

 菊次郎さんは上関原発の反対運動を最初から取材してきたが、この20年間、ずっと祝島島民の反対運動に密着して写真集として出版した那須圭子さんは、菊次郎さんの弟子のような存在。その那須さんの写真集『中電さん、さようなら 山口県祝島原発とたたかう島人の記録』は必見だ。

PS:fotgazetVol.3では、菊次郎さんの広島の被爆者を撮影した写真を16ページにわたって大特集しています。
大特集は「時代の証言者たち」広島・長崎・水俣・福島とつづきます。詳細はこちらをクリック。fotgazetはフリーランスのジャーナリスト10数名でつくるJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)が独自に編集して発行する年4回発行の有料購読オンラインマガジン。フリーランスの活動を購読もしくは寄付で支えてください。


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2011年9月21日 (水)

9・19「さようなら原発」6万人集会&デモ

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 果たして5万人の参加者が集まるのだろうか?個人的に難しいのではないかと予想していた「さようなら原発5万人集会」は、開始前から会場となった明治公園がこの市民集会には狭すぎることが明白だった。最寄り駅のJR千駄ヶ谷駅のホームから、参加者の長蛇の列が会場までつづいた。そのスケールは、毎日新聞社や共同通信社の空撮写真で一目瞭然だが、ここは様々なバックグランドを持つ市民が、「脱原発」「原発に頼らない社会」の早急な実現を求め、一つの大きな声として国内外に伝えようと結集した成果だ。参加者数が多いと、それだけアピールの方法が多岐にわたり、アイデアの豊富さを紹介するだけでも楽しいものだ。通常よりも多い写真点数を紹介したい。

_dsc1194呼びかけ人のみなさん。左から澤地久枝、内橋克人、鎌田慧、大江健三郎、落合恵子の各氏。右端は福島県からのゲスト・武藤類子さん(ハイロアクション)。

_dsc1227大江健三郎さんが、この日のスピーチのために用意した生原稿。「原子力エネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います」。いろんなことが読みとれるし、想像をかき立ててくれる。twitterで別カットの原稿写真を載せたら、一日でのビューアーが、何と35000人をこえてしまったほど、大江さんの生原稿の持つ力を実感させられた。

_dsc1399「福島県民は納得するぞ”!世界の核廃絶!」

_dsc1276呼びかけ人の一人、澤地久枝さん。膝の骨折後まもないために、杖で登場したがお元気そうだった。「この国は原発などを持ってはいけない国だったはずです。~今回の原発事故の原因と経過の真相究明を徹底させたい。政府や東電の秘密主義はこの国の悪しき体質を反映しているからです。~ ここで私たちは負けることはできないのです」(澤地久枝さんのスピーチより)

_aaa5452俳優の山本太郎さん。ゲストとして壇上でのアピールで大群衆を盛り上げたのは、呼びかけ人の子どもと同世代という彼の若さと行動力。
「テレビ新聞は去勢され骨抜きにされていると思います。~はっきりしたのは、いまの日本の政府は人々の命を簡単に無視できる政府だということ。~こうしている間にも被曝しつづけている人たちがいます。一刻も早く高濃度汚染地域の人々をサテライト疎開させる。原発を一斉停止させる。とにかくみんなで生き延びたいんです。~デモ署名は政治家には痛くない話だ。署名は倉庫に、デモは目障りと思われるだけだと。いちばん必要なのは人々の力、市民の力。それぞれの代議士の事務所に行ってプレッシャーをかけることです。代議士に今どういう立ち位置にいるべきかをはっきりさせてください。大人がすべきことは子どもたちを守ること、そのためには行動を起こすことです。ぜひ力を貸してください」

_aaa5377福島からの代表・武藤類子さん(ハイロアクション)が読み上げるメッセージに、涙ぐむ福島県からの参加者。
「福島はとても美しいところです。~山は青く水は清らかな私たちの故郷です。~素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で引き裂かれていく人とのつながり。~逃げる逃げない、食べる食べない、子どもにマスクをさせるさせない、畑を耕す耕さない。~様々な苦渋の選択がありました。~事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ。~私たちは棄てられたのだ。~私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな。~~~便利さや発展が差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです」 静かだが感動的な内容だった。動画で聞いてみてください。

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_aaa5420福島県からは家族連れで子どもたちもたくさん参加した。

「想像して下さい。まだ平仮名しか知らない小さな子どもが、夜中にとつぜん起きて『放射能来ないで』と泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。私たちは、この犯罪にこれ以上加担しないことを自分と約束しましょう」(落合恵子さんのスピーチ)

_aaa5527「政府の人が心から『福島の子どもは大丈夫』と思っているのか知りたいです」「ぼくはげんぱつじこまえのふくしまにかえりたい」

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_aaa5879「原発に殺される」(中曽根康弘氏と読売グループ会長・渡邊恒雄氏の顔写真)

 6万人規模の集会とデモの新聞テレビ報道については、院長先生のブログが写真付きでわかりやすい。東京新聞(中日新聞)が最も詳細に報道し、共同通信社と毎日新聞社もしっかりと報道したことがわかる。
 渡邊恒雄氏が会長をつとめる読売新聞は写真なしのベタ記事扱い。このブログにアクセスする読者の大半はすでに気づいていると思うが、自ら経営する読売新聞社を挙げて「原子力の平和利用」キャンペーンを展開し、原発建設に奔走した正力松太郎の読売と、産経、日経は脱原発関係の動きは社の方針として無視軽視していることが明白。その意味ではジャーナリズムを捨てた報道機関と判断するほうが正しいようだ。朝日新聞のデモの扱いも、一面に掲載だが、おざなりだ。

_dsc1443「人間やめますか?原発やめますか?」

_dsc1628_2「原発も原爆もNo More!」

「地下深い洞窟の中で、なおかつ原発を持ち続けたいという、この意図の裏に何があるかです。~核武装が可能な潜在力を持ち続けようという政治的意図だと思います」(内橋克人さんのスピーチ)

_aaa5626「もんじゅ プルサーマル原発廃炉へ!」「発送電分離を実現し 原発の電気は買わないぞ!」

_aaa5945「脱原発」ファッションのお二人。今後のアピール方法の多様性が見える!?

_aaa5844「あなたが行動しなければ何も変わりません」「放射能の除染急げ」「東電は潰せ。我々の管理下に。自然エネルギーへ」

_aaa6007「Farewell to Nuclear Power」(原発にさようなら)

_aaa5333「原爆写真家」とも呼ばれ、「伝説の報道写真家」でもある福島菊次郎さん(90歳)。かつてベトナム反戦市民運動や全共闘の取材で、菊次郎さんが縦横無尽に撮影して歩いた東京に舞い戻り、新しい市民運動の萌芽を自分の目で確認しようとしていた。菊次郎さんの目に、脱原発で結集しはじめた市民の大きなうねりはどのように映ったのだろうか?

追記:誰が決めたかは知らないが、参加者を三つのカテゴリーに分けたデモコース分けはなぜ必要だったのだろうか?主催者は、①A.個人参加者・市民団体、②B.労働組合・民主団体、③C.政党・各種団体等に三分した。混乱を避けるためというのが理由なのかもしれない。だが、市民団体と民主団体と各種団体の違いは何かと誰かにに訊ねられたら、主催者は回答できるのだろうか?市民団体も各種団体も民主団体とどこが違うのか。一つの列に個人参加者や労組や各種団体が混在していて何かマズイのだろうか?

 私は撮影には躊躇なくAの個人参加者・市民団体を選んだ。労働組合や政党の同じ様なノボリを掲げ、同じような格好で歩く集団の写真はあまり撮りたいとは思わないし、撮っても写真を紹介しにくい。じっさい、Bコースのデモ行進の写真も撮ったが、掲載するほどの面白みが感じられないので使用していない。
 はっきりいって、分けようにも分けられないバカバカしい発想だと思う。もともとデモは自由参加であり、杓子定規で全員が印刷された同じアピールを掲げていたら気持ちが悪い。そういう集会やデモに立ち会っても参加者の自由意志を実感することは稀だ。肝心なのは、いろんな立場の人が、違いを超えて「脱原発」の強いメッセージを発信することではないのだろうか?代々木公園にはミュージシャンを中心とする若者たちが大勢集まり、独自の脱原発デモを実施している。一緒にやりにくいと実感したからではないのか。
 参加者の思い思いのメッセージは、6月ころまでの脱原発デモの方が、多様性と参加者個人の明確な意志を感じることができたと思う。

「核に依存して生きることは人類には絶対できない。~私たちは原発にさよならを言います。~これから1000万署名にみなさん頑張ってください。来年3月24日、集約集会を開きます。その間にも講演会・音楽会・いろんなことを考えています。アイデアを募集します。みなさん、一緒にやっていきましょう」(鎌田慧氏のスピーチから)

 この日の集会・デモ参加者は、主催者発表で6万人。参加されたみなさん、準備段階からお疲れさまでした。諸事情で参加できなかったみなさん、これからがみなさんの出番です。

・リンク先:もっとデモの写真を見たい人は、大木晴子さんのブログ「明日も晴れ」をごらんください。9・19「 原発にさようなら集会 」 明治公園 写真掲載 NO2

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2011年9月13日 (火)

「9・11新宿・原発やめろデモ!!!」:原発とどう向き合うかが問われている転換点

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 更新が遅れたが、東日本大震災から6ヶ月後の9月11日に都内で実施された脱原発デモの写真。
はじめにお断りしておきたいのは、経産省を包囲するデモを撮影後に明治公園に立ち寄ってから新宿アルタ前に着いたため、異常警備によって合計12名のデモ参加者が逮捕された現場や、右翼の在特会によるデモ参加者に対する徴発などの現場を目撃できていない。
 今回に限らないが、5月からこれまでに何度か脱原発デモの取材をしてきているが、警察は明らかに過剰警備の人員を配置している。よって、今回はその辺りを意識した写真や目新しいスローガンを選んでみた。新宿の1万人デモが撮影できなかったのが残念だ。

《ちなみに、首都圏の警官であれ機動隊員であれ、原発事故による被曝は、彼らの身の上に直接降りかかっていることを再認識してほしいと思っている。どいうのも、繰り返し指摘してきたことだが、浪江町や飯舘村などの20㌔~30㌔圏での警備に駆り出される彼らは、出張任務先によっては毎時30マイクロシーベルト以上(一日8時間任務で240マイクロシーベルト、5日間で1ミリシーベルトをこえる外部被曝の積算線量となるほど線量が高いことを意味する)、つまり原発の敷地内と見劣りしないほど高濃度に汚染された場所と知らずに、花粉症マスクに手袋なし状態で働かされていたことを見ているからだ》

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_aaa3259「NO MORE FUKUSHIMA」。最も「若い」脱原発デモ参加者の、生後2ヶ月の男児。

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_aaa2783「阪神淡路大震災から日本列島は地震活動期に突入した」。地震学者が警告しても、原子力村が一貫して無視してきた、地震なきフランス・ドイツと異なる日本列島の特徴。

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_aaa3035「経産省・東電・原子力推進 犯罪組織!」。

 東電は、日本国民の生命と財産を危険にさらす犯罪企業という認識がない。国会に提出したシビア事故手順書を、完全黒塗りにして提出している事実からも指摘できる。原発事故が人災だと認めようとしないためだ。計り知れない被害に対する賠償のために、全財産を差し押さえられてもおかしくない。さしあたって、事故時の東電幹部の財産の押収は当然ではないか。

_aaa3027「国民よ立て!悲しみを怒りに変えて脱・原発!!」。

 投票権の行使もそうだが、有権者の一人として意志表示をしないで世の中が好ましい方向に変わることは世界中で起きることはない。原発事故の収束の目処さえ立たないうちから、権力を持つものは、テレビ新聞メディアを最大限に屈指し、原発再稼働・原発容認の流れを作りだそうとしている。脱原発を宣言した菅前首相を、政局報道で辞任に追い込もうとする流れに手を貸し、脱原発・再稼働慎重派の鉢呂経産大臣が辞任することになった経緯にも明らか。

_aaa2962「NO MORE 経産省・記者クラブ・電事連」。デモ参加者の視点から見えてくる脱原発を阻止しようとする構図。

 鉢呂経産大臣の「死の街」表現を問題視したテレビ新聞メディアの報道姿勢が問題なのは、自分たちは安全圏に身を置いたまま原発事故の報道をしてきたからだ。事故から一月以上も、自ら20㌔、30㌔圏内で直接取材することを避けてきた。自ら放射線量を測定し、自分の感覚でゴーストタウンと化した人間の住んでいた町を歩いていないからだ。高レベルに汚染されている一帯でも、除染すれば人が住めるというような誤った希望をふりまくような報道を続けることも、現場を実感できていないからだろう。鉢呂大臣の「死の街」表現を問題視する感覚が報道する者としてずれているとしかいえない。

_aaa3085経産省がデモ参加者により完全に包囲される前の経産省裏門。

_aaa3453脱原発デモ参加者の「人間の鎖」で包囲された経産省ビル。不思議なことだが、大津波被災地に関する「震災から6ヶ月」報道は多いが、原発事故関連報道どしてさえ、脱原発デモ新聞テレビで報道したところは少ない。

_aaa3637新宿駅アルタ前の横断歩道をブロックし、歩行者が脱原発デモ参加者の集まる広場方向に入ることを阻止する警察。
_aaa3727デモ参加者の輪から離れた交差点で、たった一人で「原発やめろ」のプラカードを掲げて意志表示する矢郷恵子さん。隣りの若い警官が「原発やめろ~!」とメガホンで絶叫しているようにも見えるのが妙だ。

 「集まれ5万人! 9・19は「さようなら原発集会」へが9月19日(月)に迫る。果たして、明治公園にどのくらいの参加者が集まるのだろうか。一人一人が最大限のアクションを続けていかないと、警官・機動隊の数に負けてしまうかもしれない。テレビ新聞メディアが圧倒されるほどの大群衆となれば、メディアも無視できずに報道するしかないだろう。加えて、アピールは視覚的に魅力的でないと、撮影者の注意を引かない。
 海外メディアに向けた英文アピールも欠かせない。
世界史に例をみない深刻な原発事故後、日本人は原発とエネルギー問題とどう立ち向かうかが、世界中の人々から注視されているのだから。

 (追記)お茶の間に直接届くようなメディアには載らない情報をネット上で共有しあうのも欠かせないが、たまにはパソコンを離れ、街へ出ようよ。

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2011年9月10日 (土)

「さようなら原発1000万人アクション」~脱原発・持続可能で平和な社会をめざして~

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「さようなら原発5万人集会」を目指して、記者会見(6日)と講演会(9日)があったので紹介したい。

「9月6日、東京「アルカディア市ヶ谷」にて、呼びかけ人の大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、賛同人の宇都宮健児さんが出席して、記者会見が開催されました。今回の記者会見は、8日の講演会「さようなら原発」と、19日の「原発にさようなら集会」を控えて行われたものです」。_aaa2419記者会見の出席者は鎌田慧(ジャーナリスト)、大江健三郎(作家)、落合恵子(作家)、宇都宮健児(弁護士)の各氏(左から)。

_aaa2520>「今、第三の原爆を日本人が自分の上に落としてしまったように、放射能の大きな危険による障害が与えられている」(大江健三郎)
_aaa2456「労働者や子どもたち、女性の犠牲に成り立っている原発は、非モラル的な存在であることは強調して起きたい」(鎌田慧)。司会進行をつとめた鎌田氏が、「原発さようなら集会」へのアメリカ知識人による連帯メッセージを紹介した。
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「原発さようなら集会」へのアメリカ知識人による連帯メッセージ

 2011年3月11日の地震と津波のあと、福島原発によって引き起こされた大惨事に、私たちは深く悲しみ、憂慮しています。このような国家的惨事に耐えなければならない日本のみなさん、とりわけ、安全とは言えないレベルの放射能に被ばくしている方、またその恐れのある方々に、心からお見舞い申し上げます。
(中略)
私たちは東京で行われる9月19日の集まりを心から支持し、あなた達の目標を完全に共有します。いかなる地域の人びとも、日本で依然として続いている試練から学ばなければならないでしょう。私たちも自国の政府に対して、他のエネルギー資源を活用する際の破滅的なリスクを示しつつ、原子力エネルギーや核兵器への依存を適切な時期に終わらせることを要求します。
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以下は講演会部分:
「講演会「さようなら原発」が開催されました。
9月8日、東京・日本青年館を会場に、講演会「さようなら原発」が開催され、約1,300人が参加しました。
 最初に呼びかけ人でルポライターの鎌田慧さん、同じく呼びかけ人で作家の大江健三郎さんのお話しがあり、続いて呼びかけ人で作家の落合恵子さんによる詩の朗読がありました。崔善愛(チェソンエ)さんによるピアノ演奏、そして後半には賛同人のお一人で、映画監督の山田洋次さん、落合さん、呼びかけ人で経済評論家の内橋克人さんのお話しがありました」。_aaa2585
満席となった日本青年館大ホール
_dsc0913>「落ちてしまったからもう取り返しのつかない。広島、長崎につづいて3発目の原爆が落とされ、しかも我らの手によって、という狂おしい思いにとりつかれました」_aaa2627崔善愛(チェソンエ)さんは死者を追悼する曲などを演奏し、合間に個人的な思いを話した。この夜の名言と思ったコメント。「この6ヶ月間、専門家とは何なのだろうかと学びました。音楽会に来てバッグの中のスーパーの袋を探し出すことにとらわれ、音を立てて続けているのに周りが見えなくなっている人と同じではないかと」_dsc0956
_dsc0965>「原発についてははっきりとした意志を現さないといけないんじゃなか。大事なのは一緒にやろうよと声を上げること。一緒にやろうという気もちでお互いがまとまっていくことではないか」(山田洋次)
_dsc0982>「誰かだけが頑張っていくのは間違ってます。誰かだけをヒーローにするのも間違ってます。みんなで頑張らなきゃいけない」。「長い間権力と対峙してきたつもりですが、福島の子どもたちを全部疎開させるだけの権力がほしいです」(落合恵子)。
_dsc0996内橋克人さんは、1945年3月17日と6月5日の神戸大空襲が活動の原点と自己紹介。
「東北のみなさんの我慢は美徳だと思います。けれどもボランティアや個別組織による救援で巨大な災害の現場が救われるとは思えません。あるべきは公的支援です」「私たちがこうした時に声を上げなければ何が進むか。電源交付金が大幅に増額されたのです。人々が放射線におびえる中で、原発をさらに促進する政策が大々的に進んでいる」「誰が何を企てているかをきちんと見抜いていきたい」(内橋克人)。

集まれ5万人! 9・19は「さようなら原発集会」へ

「9・11-19脱原発アクションウィーク」の様々なデモ・集会。イベントはこちらにリストがあります。

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2011年9月 2日 (金)

目安:最近の放射線量測定(大津波被災地・南相馬市・東北自動車道SAほか)

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 6月にマイ・ガイガーガウンたーを入手してからは、いつも持ち歩いて測定することを習慣づけている。
8月に取材した岩手県大槌町や大津波被災地各地、数値が高めの東北自動車道SAなどと、我が信州の田舎での数値も合わせて紹介したい。(山本注:ただし、このガイガーカウンターは低線量での測定値はシンチレーションタイプほどの精度はなく、若干高めに数値を示す傾向があることはお断りしておきたい。逆に、毎時0.3マイクロシーベルト以上は放射線量の目安として問題ないと思う)

 ちょうど、原発から100㌔圏内の土壌汚染(セシウム134と137)マップが、文科省により発表されたので、8月30日には一斉に記事が掲載された。2200ヶ所の空間線量と土壌検査の結果をまとめた内容。以下に朝日新聞の記事を転載。
 
 この記事のポイントは、チェルノブイリ原発事故による「強制移住」対象となる地域が全体の8%をこえたという深刻度にある。加えて、福島市、本宮市、郡山市でもこえる場所が確認されたという点だ。
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「セシウム汚染土壌マップ発表 文科省、原発百キロ圏内」

東京電力福島第一原発から半径100キロ圏内の土壌の汚染度を調べた初の地図を、文部科学省が29日公表した。全国の大学や専門機関が約2200カ所の土を採取し、事故から3カ月後の放射性セシウムの濃度を調べた。除染や避難区域の見直しなどの基礎資料とする。

 文科省の調査には延べ129機関、780人が協力した。80キロ圏内は2キロ四方、80~100キロ圏内は10キロ四方に1カ所の割合で、それぞれ5地点で深さ5センチの土を採取。6月14日時点の、半減期が2年のセシウム134と、30年の137の値を出した。

 汚染度が高い地域は、原発から北西方向の半径40キロ圏内に集中していた。最も高い大熊町の1地点では、セシウムの合計値は1平方メートルあたり約3千万ベクレルに上った。

 チェルノブイリ原発事故では、55万5千ベクレルを超えた地域は「強制移住」の対象となった。今回の調査では、この値を超えた場所は約8%に上った。多くは警戒区域や計画的避難区域などに指定されている地域だが、福島市や本宮市、郡山市などの一部でも超えていた。

 チェルノブイリでは、汚染地図が完成したのは事故3年後だった。 (以下略)
(朝日新聞 8月30日朝刊)
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 東北自動車道は東京から北上するに連れ、放射線量が序序に上がり始めるのが群馬県館林。(ガイガーカウンターは常にオンにして、ダッシュボードに立てかけている)。その後は栃木県那須高原から白河、そして郡山手前から福島を抜けるまでが高め。その後に高めになるのが岩手県一関から前沢SA前後まで_aaa7305前沢SAでは毎時0,26マイクロシーベルト前後(8月12日) 実は、6月の段階で平泉や一関市(原発から168㌔)、遠野市(216㌔)などで、牧草から国が定めた乳牛と肥育牛の暫定基準値(1キロ当たり300ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されているから今さら驚くことではない。(岩手日報6月16日) 奥州市(原発から192㌔)の放射線量はこちら
_aaa1514利用客の多い那須高原SAでは毎時0.45マイクロシーベルト。草地では毎時0.5マイクロシーベルトだった。(8月18日)休日には家族連れがゆっくり一休みするところ故、赤ちゃんや幼児が親も知らずに不必要に被曝する確立が高い。国交省が除染しないとほっといていいSAでないことは確かだと思う。

_aaa7484岩手県大槌町吉里吉里。お墓では毎時0.12マイクロシーベルト。(8月13日)

_aaa0892岩手県大船渡市 毎時0.08マイクロシーベルト。(8月17日)

_aaa1042宮城県気仙沼市鹿折 毎時0.11マイクロシーベルト。(8月17日)

_aaa1109宮城県南三陸市 毎時0.09マイクロシーベルト。(8月17日)

_aaa1422南相馬市国道6号線検問所 毎時0.3マイクロシーベルト前後。(8月18日)

_aaa1227南相馬市鹿島区鹿島西町第一応急仮設住宅 毎時0.2マイクロシーベルト。(8月18日) 南相馬市の仮設住宅は山寄りにあるために、残念なことに海側よりも数値が比較的高く、毎時0.4マイクロシーベルトをこえるところに建てられた仮設住宅もある。

_aaa1337南相馬市原町区片倉馬事公苑 毎時1.6マイクロシーベルト。(8月18日) 山側にあるために、海側地域よりもはるかに高い数値。この写真は20㌔圏内の警戒区域からの自動車の集積場となっていて、警戒区域に放置されていた車を持ち出し、運転手と車の放射線量スクリーニングを実施しているもの。この日の持ち出し対象は南相馬市と浪江町だった。_aaa1484飯舘村役場前 毎時2.9マイクロシーベルト前後。(8月18日)

_aaa1500浪江町と飯舘村の境。国道399号線。毎時15.5マイクロシーベルトをこえる。ここは相変わらず極めて高い一帯だ。(8月18日)

_aaa2216以下二点は相対的な比較として紹介。都内渋谷区ハチ公前交差点は毎時0.11マイクロシーベルト前後。(8月27日) 5月いらい、ほとんど変わらない。
_aaa2127長野県佐久市湯川の平根水車発電所は毎時0.06マイクロシーベルト。(8月23日)

 さいごに一言:これらの数値はあくまで目安として知っておいてください。また、4月19日のブログ「写真で見る被災地の放射線量比較」と比べてみるのもオススメです。

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