岩手県大槌町吉里吉里に見る大震災犠牲者の供養・初盆
8月12日から16日まで、岩手県大槌町吉里吉里の曹洞宗・吉祥寺さんにお世話になり、大震災による犠牲者の供養と初盆を取材した。大槌町と隣の釜石市はEモバイルの圏外なため、滞在中はまったく情報発信ができなかったので、写真も多めに使って紹介したい。
大震災後の大槌町は3月、4月、6月に続いて4度目となる。お盆の取材に大槌町吉里吉里を選んだ訳はないことはない。3月は壊滅的な被害を出した大槌町で遺体安置所を見せていただいたが、その一つが吉里吉里中学校だった。「吉里吉里」な名前が気になったが、井上ひさし著「吉里吉里人」の名前のモデルとなったと知ったのは随分後のことだ。東北地方のある自治体が日本から独立する奇想天外な話である「吉里吉里人」は20年ほど前に読んでいる。
JVJAの仲間の多くが、放射能汚染で全村避難を強いられた福島県飯舘村のお盆の取材にかけつけるので、私まで行っても良い取材ができるとは思えなかったので、津波被災地でのお盆を取材しようと考え、迷った結果が大槌町吉里吉里地区だ。幸いにして、吉里吉里で唯一の吉祥寺の高橋英悟住職は取材させていただいたこともあり、お盆の日程を知ることができた。交通渋滞必至、宿泊所さえも確保できない震災後の初盆だ。どこか一カ所で取材する方が良い結果を生むと思われた。前置きが長くなったが、そんな訳で選んだのが吉里吉里だった。
大震災により吉祥寺の檀家の犠牲者は200人弱。お盆の間は本堂に犠牲者の位牌が安置された。
東日本大震災による死者行方不明者は20000人をこえる。宮城県の11766人についで多いのが岩手県の6646人。福島県は1851人だ。大槌町の人口は約16000人。約1450人の犠牲者を出し、このうち600人以上の遺体がまだ見つかっていないか、特定されていない。人口比で見ると、町民の11人に一人が犠牲になったといえる。
今回の大津波による被害は北海道から福島県・茨城県までも大きな被害を及ぼしているほど巨大だ。しかし、三陸海岸はたびたび発生する三陸沖大地震により、繰り返し大津波によって襲われてきた地域で、詳細は吉村昭著「三陸海岸大津波」に詳しい。その本によると、明治29年(1896年)6月15日(旧暦5月5日)の明治三陸大津波によって岩手県では22000人以上の犠牲者がでている。昭和8年(1933年)3月3日の昭和三陸大津波では2700人の犠牲者が出た。吉里吉里地区も大津波により大きな被害を出し、明治三陸大津波による吉祥寺の檀家の死者は365人。墓地を歩くと、一家4人とか5人が亡くなったことを刻む法名碑が目につく。
吉里吉里の港が一望できる吉祥寺の墓地。お墓参りは14日がピークで早朝から続々と住民がつめかけた。吉祥寺の檀家は約1000軒。檀家は吉里吉里地区以外にも多い。
本堂で14日には大震災犠牲者の合同初盆法要が行われた。写真はご詠歌を詠うおばさんたち。
14日夜の灯籠流し。200個近い水に溶ける灯籠が漁師さんらによって海に流された。
大震災発生から被災者に寄り添ってきた高橋英悟吉祥寺住職(39歳)。吉祥寺は吉里吉里でももっとも高台にあるために、津波の被害はない。直後から法事用会館は避難所として開放されていた。14日の初盆法要後、高橋住職は真新しい塔婆を遺族一人一人にに手渡した。「希望を捨てることなく、負けることなく、今できることをしっかり務めて前へ向かっていけたらと思います。残された命を大切に生きていくことが御供養だと思います」と、高橋住職は合同法要の終わりに話した。15日は境内が「鎮魂・御霊まつり」として開放され、支援者と住民たちが協力したイベントが開催された。写真はイベント開始のあいさつをする住職。
写真は「鎮魂・御霊まつり」を企画した地元出身ミュージシャンの呼びかけに応じて、ボランティアで登場したアーティストの小柳ゆき。若手のUCOCAの曲も光っていた。吉里吉里出身の「ノリシゲ+RIA」が「吉里吉里元気プロジェクト」を立ち上げ、震災後から吉里吉里の応援をしている。灯籠流しも支援の輪で実現した。東京の大森からはバーの経営者らのボランティアで焼きそば・そうめんなどの屋台から、カクテルを注文に応じてその場で作るバー屋台などまでが境内に出店を出した。料金がどれも一律100円(前売りチケット制)で提供された。
この日は吉里吉里に古くから伝わる伝統芸能が奉納された。鹿子(しし)踊り、大神楽、虎舞の三つ。鹿子踊りは380年の伝統。虎舞は290年の伝統があるという。
伝統芸能の奉納が終わると、盆踊りとなり、予想外に盛り上がって吉里吉里住民と支援者との一体感がうまれた。
8月16日がお盆最後の日。吉祥寺の墓地入り口で、本堂に置かれていた犠牲者の俗名と法名が書かれた位牌が焚かれ、送り火となって夜空に舞い、海に灰となって還っていった。
大槌町吉里吉里は、長い歴史のあるお寺が被災を免れ、住職と寺が犠牲となった多くの住民と残された遺族の心のよりどころとなり、死者の鎮魂と残された者たちの癒しと励ましの場として機能している。というのが私の取材した印象だ。
対照的に、同じ大槌町内で大槌役場に近い中心街は平坦な地形が災いし、曹洞宗・江岸寺は大津波とその後の火災で壊滅し、墓地の倒壊被害も甚大となった。83歳のご住職は流されて今だに見つからない。檀家の多くも犠牲となった。瓦礫と泥に埋まった墓地が墓地らしくなったのもお盆直前となった。テントが仮設の本堂でプレハブが仮設の社務所となっているが、寺が檀家の犠牲者をまだ正確に把握できない。こうなると、遺族が寺を頼りにできないし、地域住民の心のよりどころとはなりにくい。同じ町でも湾と集落を形成する地形の違いで明暗が大きく分かれている。このブログで紹介しているのが大槌町全体を象徴しているわけでもないことは知っておく必要はあるだろう。
親を失い、夫を失い、妻を失い、大切な家族を大津波により失った遺族の話も数人から伺うことができたが、それは別の機会に紹介したい。さいごに、東日本大震災により亡くなったみなさまのご冥福をお祈りし、遺族のみなさんの悲しみが少しでも癒えます用に、被災者の生活再建が一日でも早く軌道に乗りますように心から念じたい。
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コメント
吉里吉里で一人暮らしをしていた母が、津波で流されまだ見つかっていないけど、四十九日・百ケ日合同法要に加えて頂き、高橋住職ならびに檀家代表の方々にはお世話になりました。初盆法要には行くことが出来ませんでしたが、山本様の取材のお陰で知る事が出来ました。有り難うございます。
投稿: 佐々木 | 2011年8月21日 (日) 23:10
どういたしまして。いくらかのお役に立てれば。お母様のご遺体がまだ見つからないことはとても残念ですね。吉祥寺の檀家さんの場合は、困難に立ち向かってきたご住職がおられるので、その点は一つの安心材料かと強く感じました。
投稿: 山本宗補 | 2011年8月24日 (水) 13:51