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2011年7月の投稿

2011年7月30日 (土)

本気になれば国会議員も動かせる?!(児玉龍彦教授の参考人答弁)

まず以下を読んでみてほしい。

「原爆による放射能の残存量と、原発から放出されたものの残存量は1年経って、原爆が
1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリ事故と同様、原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出したということが、まず考える前提になります」。

これはネット上で話題沸騰の児玉龍彦東大アイソトープ総合センター長による、衆議院厚生労働委員会での参考人答弁の中から拾い出したもの。児玉教授は、7月27日 (水)に開かれた委員会で、「放射線の健康への影響」の参考人の一人として 熱弁をふるい、結びの一言がこれ以上ないくらいに強烈だった。

「七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに、国会は一体何をやっているのですか」

この結びの一言に、私は思わずジーンときてしまった。まさしく私自身の気持ちそのままだった。原発事故と大津波による被災者そっちのけで、政局ばかりに熱を上げる与野党の国民無視に怒りを覚える多くの国民の気持ちを代弁したものだったからだ。国会の場で、国会議員数十人を前にして、これほど率直な批判を大学教授が赤裸々に述べた事実に対する素直な感動でもある。参考人でも、本気になれば議員の気持ちを動かすことができることを証明してくれたともいえる。

(ちなみに他の参考人は次のとおり。明石真言:独立行政法人放射線医学総合研究所理事 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会放射性物質対策部会委員、唐木英明:日本学術会議副会長 東京大学名誉教授、長瀧重信:長崎大学名誉教授、沢田昭二:名古屋大学名誉教授、児玉龍彦:東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長、今中哲二:京都大学原子炉実験所助教) 

だが、不思議なことに、テレビ新聞などのマスコミは、児玉教授の答弁をほとんど無視した模様だ。重要な指摘があると思わなかったのだろうか。Youtubeに動画が載っているので誰でも手軽に児玉教授の発言を見て自ら確かめてほしい。これは最後まで見るに値する。

以下に個人的に重要なポイントだと思った点を拾い出してみる。

「枝野官房長官が、さしあたり健康にあまり問題がないということをおっしゃいましたが、私はじっさいにこのときにこれは大変なことになると思いました。(略)
ところが今回の福島原発の事故というのは、100キロ圏で5マイクロシーベルト、200キロ圏で0.5マイクロシーベルト、さらにそれを越えて、足柄から静岡のお茶にまで汚染が及んでいることは、今日、すべてのみなさんがご存じの通りであります。
われわれが放射線障害をみるときには総量を見ます。それでは政府と東京電力はいったい今回の福島原発事故の総量がどれぐらいであるかはっきりとした報告はまったくしていません」。

「今回の稲ワラの問題です。例えば岩手の藤原町では、稲ワラ5万7千ベクレルpkg、宮城県の大崎1万7千ベクレルpkg、南相馬市10万6千pkg、白河市9万7千pkg、岩手6万4千pkgと
いうことで、この数値はけして同心円上にはいかない。どこでどう落ちているかということは、その時の天候、また例えばその物質が水を吸い上げたかどうかにかかります」。

「先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというのではなしに、今日ではもっとイメージングベースの測定器が、はるかにたくさん半導体で開発されています。なぜ政府はそれを全面的に応用してやろうとして、全国に作るためにお金を使わないのか。3カ月経ってそのようなことが全く行われていないことに私は満身の怒りを表明します」。

「内部被曝の一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起きるかというと、DNAの切断を行います。ただしご存知のように、DNAというのは二重らせんですから、二重のときは非常に安定的です。それが細胞分裂するときは、二重らせんが1本になって2倍になり、4本になります。この過程のところがもの凄く危険です。そのために妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖の盛んな細胞に対しては、放射線障害は非常な危険性を持ちます」。

「プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいると聞いて、私はびっくりしましたが、α(アルファ)線は最も危険な物質であります」。

これは大橋弘忠東京大学大学院教授が、玄海原発3号機でのプルサーマル計画についての公開討論会の席上での公式発言を指す(2005年12月25日)

「南相馬でも起こっていることはまったくそうでして、20キロ、30キロという分け方はぜんぜん意味が無くて、幼稚園ごとに測っていかないと全然ダメです。それで現在、20キロから30キロ圏にバスをたてて、1700人の子どもが行っていますが、実際には南相馬で中心地区は海側で、学校の7割は比較的線量は低いです。ところが30キロ以遠の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて、子どもが強制的に移動させられています。このような事態は一刻も早くやめさせてください」。

南相馬市や飯舘村の放射線量などを取材したブログ記事はこちらをクリックして参照してください。また、南相馬市の海側と山側の線量の大きな違いがわかり易い写真を以下に二枚載せます。

_aaa2624 南相馬市鹿島地区の海よりの一帯。毎時0.5マイクロシーベルト平均(6月26日)

_aaa3371 原町区大原地区辺り。飯舘村との境に近づくにつてて線量が上がる。この水田地帯で毎時2マイクロシーベルト。海寄りの4~5倍となり、作付けは自粛されているようだった。

「全国の国立大学のアイソトープセンターには、ゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種持っているところはたくさんあります。そういうところが手足を縛られたままで、どうやって、国民の総力をあげて子どもを守れるでしょうか。これは国会の完全なる怠慢であります」。

「第三番目、国策として土壌汚染を除染する技術に、民間の力を結集して下さい」。以下、児玉教授は放射線除染に対してノウハウを持つ民間会社名をいくつか上げ、「こういうものを結集して、ただちに現地に除染研究センターを作って」除染事業を立ち上げるべきと力説した。教授は次のことを危惧するからだった。「実際に何十兆円という国費をかかるのを、今のままだと利権がらみの公共事業になりかねないいう危惧を私は強くもっています」

そして答弁の結びが「7万人が彷徨っているときに、国会は一体何をやっているのですか」の怒りの拳である。児玉教授の参考人答弁の文字興しはこちらに全文があります。明日に向けて(208)放射線の健康への影響について(児玉龍彦教授国会発言)改訂版(守田敏也さんのブログ)

(追記:意見陳述時の資料が として、児玉さんの息子さんによって共有用公開されています。講演内容が図式化されていて分かり易く、日米共同調査というような詳細なデータも存在。ダウンロード強くオススメ)

動画のサイトにはスゴイ数のコメントが載っていて、児玉先生の話を聞いて初めて深刻さを知ることができた、などというような的外れな書き込みも見受けられる。が、事故当初からネット情報を活用してきた者にしてみれば、内部被曝によってDNAがどのように傷つけられるか、α線と肝臓ガンや白血病、膀胱ガンとの関連、除染コスト、民間会社の除染ノウハウの活用などの部分以外は、すでに明白になっていることだ。ただ、児玉先生の発言の重要性は国会議員を前にしての重みだ。事故から4ヶ月も過ぎて何を今更と感じた人も多いようだが、それは児玉教授のような参考人を招致するのに4ヶ月もかかった議員連中のノーテンキに他ならないと思う。

児玉発言で思い出すのは事故から2ヶ月後、やはり国会の参考人として地震学者の石橋克彦先生のキツイ発言だ。「地震列島の日本における本質的安全は原発が存在しないこと。日本の原発はフランス・ドイツと違って地震付き原発である」など。これは5月23日の参議院行政監視委員会に小出裕章、後藤政志、石橋克彦、孫正義各氏が参考人として招致されたときの石橋先生の意見陳述。要するに、事故から2ヶ月後にこの顔ぶれを参考人招致した委員会の議員と、今になって児玉教授や今中助教らを参考人招致した委員会の議員たちの危機感と能力差の違いではないかと思う。

最後に付け加えるまでもないが、ネット情報にはテレビ新聞報道が伝えようとしない、国民の命に関しての重要な情報や資料が手軽に、素早く入手できる大きな利点がある。その意味で、twitterでもfacebookでも、ブログ検索でもいいから、良いと思った情報は積極的に取りに行ってほしいものだ。全てのものがメルトダウンしつつあるこの時代に、それしか身を守る術はないのではないだろうか。

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2011年7月25日 (月)

「7・23脱原発デモ@渋谷・原宿」と大震災ミニ写真展in森下

7月23日(土)の脱原発デモの写真を数点掲載しよう。主催者のtwitterによると、参加者は
約1000人。カンパが16万円集まったという。私は渋谷駅前までで途中失礼したが、参加者はその後に増えていったようだ。

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脱原発デモは毎回、参加者によってもメッセージが多様なので、新しいものに出会う
楽しみがある。今回のデモでのお気に入りは次の写真。

「拝金主義者 経団連企業の製品は買わない!」

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ここからは22日からスタートしたミニ写真展の案内。昨夜の24日(日)に大震災についてのスライドトークを森下スタジオ(江東区森下)ですることになっていたので、ラウンジスペースを使い写真を急遽展示することにした。小綺麗なギャラリーのように白い壁面を利用しただけだが、A3ノビプリントが35点展示できた。

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(昨夜のプログラムはこちら:東日本大震災に関連する3つのプログラム」17:30─:[トーク+交流会]災害から現在:出演:金野邦明(振付家)、熊谷乃理子(振付家)、櫻井ことの(振付家)、山本宗補(フォトジャーナリスト)

報道の側からは私一人だったが、震災体験の内容も多様でまずまずの盛り上がりにほっとした。こちらがパフォーマンス系のイベント主催者のブログ: Body Arts Laboratory

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2011年7月13日 (水)

信州の隣町(軽井沢、佐久)で測定

先週、田舎に滞在したついでに隣近所で放射線量を測定してみた。その時の写真を掲載したい。読者にあらかじめわかっていただきたいのは、数値はあくまで目安、傾向として理解していただきたいという注意点だ。

ウクライナ製のマイ・ガイガーカウンターの傾向は、毎時999マイクロシーベルトまで測定可能なためか、低線量には鈍い印象。私が森住卓さんから借用していた19.99マイクロシーベルトまで測定可能なシンチレーションタイプと比べると若干高めに出る傾向がある。(逆に、福島県内などの20マイクロシーベルトをこえるスポットのある高線量地帯では頼りになる)。ちなみに福島第一原発から軽井沢町役場までの直線距離は南西方向に約250㌔。測定日は全て7月5日。晴天の午後から夕方の時間帯。

_aaa4417標高1000mをこす軽井沢町追分。練馬区所有の保養施設。浅間山の噴火活動の際は、臨場感のある写真が撮れるお気に入りのスポット。平均値は毎時0.15マイクロシーベルト。

_aaa4423軽井沢町のJR中軽井沢駅前。毎時0.12マイクロシーベルト平均。

_aaa4430中軽井沢にある軽井沢町役場前。毎時0.12マイクロシーベルト平均。

_aaa4441JR軽井沢駅北側口。毎時0.12マイクロシーベルト平均。

_aaa4502軽井沢72ゴルフ場の駐車場にて。毎時0.15マイクロシーベルト平均。土や芝、植え込みなどは舗装道路よりも若干高い傾向。

_aaa4457群馬県側。碓井峠、旧信越本線の碓井第三アーチ。毎時0.15マイクロシーベルト平均。ちなみに、軽井沢から碓井峠を下りはじめて若干下がった辺りが、毎時0.19マイクロシーベルトと、この日測定した場所ではもっとも高い数値だった。碓井峠を下りきった松井田町では毎時0.10マイクロシーベルト平均と下がった。

_aaa4487碓井バイパスの群馬県側、妙義山の峰を見下ろす地点。毎時0.16マイクロシーベルト。

_aaa4527JR長野新幹線佐久平駅前。毎時0.10マイクロシーベルト平均。

_aaa4522これが私の出身地のJR御代田駅前。毎時0.10マイクロシーベルト平均。

大まかな傾向としてははっきりわかるのは、毎時0.10~0.13マイクロシーベルトは、都心や都下(東久留米市)にある自宅周辺の数値とほぼ一緒だ。おそらくだが、日立アロカ社のシンチレーション線量計で計ると若干下がって、0.10以下の数値になるのではないかと思う。

比較のために軽井沢町役場のWeb長野県公式Web群馬県公式Web上で明らかにされている放射線量をご覧ください。長野市での3月15日~18日の空間放射線量などからも、一つはっきりいえるのは、放射性物質が確実に長野県にも達し、軽井沢町周辺は今でも平常値よりも上がっている点だ。(測定機種によっても開きがあることを前提にご理解を)

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2011年7月 6日 (水)

浅間山麓、我が田舎の初夏

被災地取材などで田舎になかなか帰れずにいたが、久しぶりに田舎で三日間を過ごしてきた。土砂降りと初夏が同居している感じだった。妹によると雨不足がつづいたという。都内や被災地は梅雨入りしても、我が信州は雨雲の圏外だったようだ。お陰で雑草の伸びが思ったほどひどくなかったので草刈りが順調だった。

今年からオフクロさんの面倒を見るために妹が一緒に暮らしているので安心しきっているのも間が空いてしまう理由だ。天気さえ良ければ毎日畑に出る91歳のオフクロさんには、刊行されたばかりのJVJA写真集「3・11メルトダウン 大津波と核汚染の現場から」(凱風社)を渡してきた。

_aaa4089体長15cmほどの大きなオニヤンマか?孵化したばかりのようで、しばらく手の平に乗っていて、その後弱々しく飛んでいった。毎年のように見かけるのが嬉しい。

_aaa4167_2 

_aaa4182用水路脇で咲くカキツバタ?

我が暗室小屋の回りにある畑の間を浅間山の伏流水である湧玉用水を源泉とする用水路が通っている。ここ数年、ホタルの季節になるとホタルと遭遇できる。運良くピッタリのタイミングだった。夜になると30匹ほどのホタルが群舞してくれた。三脚がないので乱舞は撮れないが、接写で撮影してみた。

1ちょうど交尾が始まっていた。1匹のメスにオスが数匹集まってきて交尾しようとしていた。

_aaa4090草刈り前

_aaa4147草刈り後

雑草が伸び放題なので、ほぼ一日かけて草刈り機で雑草退治。直後はきれいなものだが、雨季の草はよく伸びるのだ。

_aaa4319アンデス系ジャガイモの花。試しに収穫すると生育順調だった。

_aaa4352皮は薄ピンクで中は黄色のイモは柔らかくてちょっと甘みがある。ちなみに少し植えた男爵イモの花は白い。

_aaa4328サツマイモの畑で草取りをするオフクロさん。おかげで畑は草が少ない。ただ、雨不足のせいか、タマネギもトウモロコシはダメだ。

_aaa4124_2 連れ合いの育てたバラを手にするオフクロさん

_aaa4365大桑の実。毎年大量に採れる。妹がオフクロの家の庭に植えたが、大粒ながら甘くておいしい。

_aaa4394 

_aaa4582我が御代田町は浅間山の南山麓に展開する高原野菜のメッカ。近くのキャベツ畑。

_aaa4539これは西隣の小諸市内の水田地帯。稲の生育はまだこれからだ。浅間山が近い。

我が御代田町とその周辺は、いまのところ幸いにして放射能汚染を心配するほどではない。自然環境は普段と変わりのない「日常」を実感させてくれるほど豊かだ。福島県内の原発事故による影響を取材している者としては、申し訳ない気持ちにさえなる。あるがままを受け入れれば良いのだろうが、この日常は実は「非日常」と表裏一体であることを忘れてはいけない。 

 

 

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2011年7月 1日 (金)

高すぎる放射能汚染の非日常を日常として生きるほかはない住民たち

毎時999マイクロシーベルトまで測定可能なウクライナ製のガイガーカウンターを入手したので、放射線量の高い一帯を測定した。福島第一原発の危機的事故により人生を翻弄される人間模様も解間見えたので紹介したい。

全村避難となった飯舘村南端の長泥地区(毎時10マイクロシーベルト前後)から浪江町津島の国道114号線を南北に結ぶ399号線は峠越えの山道。家は数えるほどしかない。だが、当初から最も放射線量の高い路線なので気になっていた。外気を締め切った移動中の車内で毎時15マイクロシーベルトをこえる場所さえあった

_aaa3100

_aaa2136松林に囲まれた場所は高めの印象で、浪江町津島に入って片側の開けた道路の地表で測定すると、毎時80マイクロシーベルトをこえた。松葉や松の花などが雨で寄せられた辺りの地表だ。 晴天であれば、小高い山並みの眺めが良さそうなところ。

原発から30㌔の浪江町津島にあっても、4月の測定で毎時20マイクロシーベルトをこえる場所に住む渡辺さん宅を訪ねたが留守だった。いよいよ引っ越した模様だ。渡辺さんは中高生の子どもを持つのでいくらかホッとした。渡辺さん宅入口の道路上で計ると毎時14マイクロシーベルトと若干低くなっていたが依然として極めて高い。(単純比較で東京の100倍をこえる)。

津島の原発から約26㌔の警察の検問所で通行許可を待つ間に測定すると毎時6.6マイクロシーベルト。津島では低い線量だ。各自が線量計を身につけていた。通行許可は20㌔地点の昼曽根トンネル入口にある検問所での測定のため。途中、浪江町赤宇木の自宅(原発から約20数㌔)に戻った若者がいたので彼に同行した。二本松市に避難している20歳の大和田さんは、自宅にネコと犬が数匹づついる。本人もエサを時折やりにくるというが、ボランティアによるエサやりもあるようだ。彼の家の前が毎時11マイクロシーベルト。古い家のせいか室内は毎時4.5マイクロシーベルト。

11_aaa2923撮影時だけマスクをはずしてもらった。6月25日 

3・11以前には祖父母の畑仕事を手伝っていた家の回りのタバコ畑などは雑草の伸び放題だった。二階建ての小屋の一階には、3・11前から埼玉県から仕事場を移して旧式オートバイなどのリモデリングの仕事を請け負っていた横溝さん(50代半ば)が仕事中だった。横溝さんは大和田さんの伯父、機械道具一式や顧客から預かったバイク数台が雑然と置かれていた。広い場所が必要な機械仕事のため、田舎に越して仕事を開始していた。

4_aaa2942屋内だが毎時4マイクロシーベルトだった。高い放射線量だとわかってはいるが、引っ越すことがまだできないでいるようだった。毎月2度ほど戻って仕事をしているというが、埼玉県で仕事を再開するのは容易ではないだろう。

国道114号線の浪江町赤宇木集落の手前の沿線で3・11後、まったく避難しないでペットと共に生活している女性に出会った。3匹の犬と6匹のネコと生活しているという。大熊町で仕事をしていたが失業している。ペットと一緒に生活できる引っ越し先が見つからないというのが留まっている唯一の理由のようだった。行政もしつこく引っ越しを奨めているというが、ペットもOKの避難先は行政の手に負えないところだろう。庭先にある四つ葉のクローバーの真上で測定すると20マイクロシーベルトと異常に高かった。一際高い放射線量のことは女性はわかっていた。

20_aaa3048

この女性の家から東へ数㌔進むと原発から20㌔の検問所がある。立入禁止の看板はそのままだが警察官の姿はない。地表1mで毎時29から30マイクロシーベルトと極めて高い。4月末に警察官の前で測定したときは20マイクロシーベルト以上で測定不能だったが、現在よりも高い放射線量の中で警察官は無防備状態で検問していたことを思い出す。舗装された地表で測定して驚いたのは、毎時100マイクロシーベルトをこえていたことだ

144_aaa3011 毎時144マイクロシーベルトを測定したスポット。浪江町内114号線昼曽根トンネル入口の検問所。6月25日

この144マイクロシーベルトは、4日間の取材中で最も高い数値で、毎時100マイクロシーベルトをこえたのはここだけだった。予定していた測定を終え、飯舘村に戻るため再び399号線を走った。途中で警邏中のパトカーに職務質問された。この日だけで4度目。彼らと話してわかったことは、東京からの第八機動隊で二日前から一帯のパトロール任務についていた。パトカーで移動しつつ、県外ナンバーなどを見つけた場合には必ず職質しているようだった。測定していると話すと彼らも放射線量を知りたがった。隊員各自が個人線量計を身につけていることがわかったが測定機はないようだ。マスクが花粉症用ばかりと徹底されていなかった。職質の度に若い機動隊員に対して、おじさんの講義が繰り返された。この一帯が放射線量が極めて高く、車内にいるだけで相当被曝することになるからマスクを変えないとマズイことや、上司が知らないようだったら自分たちで気をつけるしかないことなどを。胡散臭く思われることも感謝されることもあった。彼らの任務がおよそ2週間交代とはいえ、自動車で移動するだけで高い放射線を浴びる一帯だということは明らかだ。20㌔地点の検問所から警察官を引き揚げた理由の一つだと思った。

47_aaa3152飯舘村で見つけたでかい花。生け花用らしい。毎時4マイクロシーベルトある。近くにあるタマネギは収穫時期を迎えていたが放射能に汚染されていることは間違いなかった。

4_aaa2258飯舘村酪農家仲間のリーダー、長谷川健一さん(58歳) 6月24日撮影 長谷川さんの家の外で毎時4マイクロシーベルト、雨樋の下で30マイクロシーベルトをこえた。長谷川さんは自分で測定できるようにガイガーカウンターも持っている。

長谷川さんは18ヘクタールを牧草地にし、50頭の乳牛を飼育いていた酪農家のリーダーだ。飼料のトウモロコシは5ヘクタール作り、ソバは2ヘクタールで栽培していた酪農家であり農家でもあった。5月20日の新宿ネイキッドロフトでのJVJAトークイベント「フクシマと世界の核」で登場していただいたので、長谷川さんの思いの詳細はそちらを読んでください。その後、乳牛は全て県外の酪農家に預けたり処分したのできゅう舎は空っぽできれいに掃除されていた。お会いした日の長谷川さんの最も伝えたいことはこうだった。

>「ここには戻れないよ。村内の回りの人はみんなそう思っている。今は移住を視野に入れたシュミレーションを組まないといけない。村長は2年を目処に帰るというが、思いつきで根拠は何もない。そういう気持ちは必要だが」 「子づくり、子育てができる環境ではないことはハッキリいえる。おれは子どもはここに戻さない」

長谷川さん一人を残して家族はすでに村外に避難している。住民の三分の一はまだ留まっているようだ。長谷川さんは村に二度と戻れないかもしれない村民たちの置かれた状況を、自分の口で正確に伝えたいと各地での講演を始めようとしている。

_aaa3295南相馬市鹿島区の防波堤近く 集落は土台を残して何も残っていない。亡くなった火tがいると思われる土台には新しい菊の花が供えられていた。 この海岸線一帯は毎時0.25マイクロシーベルトと、原発に近いわりに低い.ほうだ。 6月26日

025_aaa3267漁民であり南相馬市議でもある西銑治さん。家は跡形もなく、漁船は約3.5㌔内陸の国道6号線まで流されたまま。乗組員の漁民は7人中5人が津波の犠牲になった。西さんとは4月11日に漁船のところでお会いしている。

「国の予算を待っていたらいつまでたっても防波堤の復旧は間に合わない。漁民の住居は高台を整備するしかないだろう。若手漁民が40人くらいいるから漁業を何とか復活させたい。今は友人のところを1週間置きくらいに泊まり歩いている。もうじき避難民が仮設住宅に入り終えるから、おれもそろそろ引っ越し先を見つけないと。自分から先に仮設に入るわけにはいかないよ」

「双葉断層があるから原発は危険だと反対意見だった。そんなに原発が安全で安心ならば、東京湾の埋め立て地に作ったらどうだ。送電ロスもないぞ。わざわざ遠くに作ってロスして何故だ。津波は天災でどうにもならないが、原発事故は人災だ

南相馬市は原発から20㌔圏内もあれば30㌔以遠もあり、海よりの低い放射線量地帯もあれば、山側のホットスポットもある。複雑すぎる町だ。これからの住民の選択も大きく分かれるしかないだろう。

原発事故から110日がすぎた。大気中にも、土壌にも、地下水にも、海水にも放射能汚染は止まることがない。原発からの距離も被害の様相も異なるが、私たちは、そうした非日常を日常と受け止めて生きていくほかはないのかもしれない。

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