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2011年7月 1日 (金)

高すぎる放射能汚染の非日常を日常として生きるほかはない住民たち

毎時999マイクロシーベルトまで測定可能なウクライナ製のガイガーカウンターを入手したので、放射線量の高い一帯を測定した。福島第一原発の危機的事故により人生を翻弄される人間模様も解間見えたので紹介したい。

全村避難となった飯舘村南端の長泥地区(毎時10マイクロシーベルト前後)から浪江町津島の国道114号線を南北に結ぶ399号線は峠越えの山道。家は数えるほどしかない。だが、当初から最も放射線量の高い路線なので気になっていた。外気を締め切った移動中の車内で毎時15マイクロシーベルトをこえる場所さえあった

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_aaa2136松林に囲まれた場所は高めの印象で、浪江町津島に入って片側の開けた道路の地表で測定すると、毎時80マイクロシーベルトをこえた。松葉や松の花などが雨で寄せられた辺りの地表だ。 晴天であれば、小高い山並みの眺めが良さそうなところ。

原発から30㌔の浪江町津島にあっても、4月の測定で毎時20マイクロシーベルトをこえる場所に住む渡辺さん宅を訪ねたが留守だった。いよいよ引っ越した模様だ。渡辺さんは中高生の子どもを持つのでいくらかホッとした。渡辺さん宅入口の道路上で計ると毎時14マイクロシーベルトと若干低くなっていたが依然として極めて高い。(単純比較で東京の100倍をこえる)。

津島の原発から約26㌔の警察の検問所で通行許可を待つ間に測定すると毎時6.6マイクロシーベルト。津島では低い線量だ。各自が線量計を身につけていた。通行許可は20㌔地点の昼曽根トンネル入口にある検問所での測定のため。途中、浪江町赤宇木の自宅(原発から約20数㌔)に戻った若者がいたので彼に同行した。二本松市に避難している20歳の大和田さんは、自宅にネコと犬が数匹づついる。本人もエサを時折やりにくるというが、ボランティアによるエサやりもあるようだ。彼の家の前が毎時11マイクロシーベルト。古い家のせいか室内は毎時4.5マイクロシーベルト。

11_aaa2923撮影時だけマスクをはずしてもらった。6月25日 

3・11以前には祖父母の畑仕事を手伝っていた家の回りのタバコ畑などは雑草の伸び放題だった。二階建ての小屋の一階には、3・11前から埼玉県から仕事場を移して旧式オートバイなどのリモデリングの仕事を請け負っていた横溝さん(50代半ば)が仕事中だった。横溝さんは大和田さんの伯父、機械道具一式や顧客から預かったバイク数台が雑然と置かれていた。広い場所が必要な機械仕事のため、田舎に越して仕事を開始していた。

4_aaa2942屋内だが毎時4マイクロシーベルトだった。高い放射線量だとわかってはいるが、引っ越すことがまだできないでいるようだった。毎月2度ほど戻って仕事をしているというが、埼玉県で仕事を再開するのは容易ではないだろう。

国道114号線の浪江町赤宇木集落の手前の沿線で3・11後、まったく避難しないでペットと共に生活している女性に出会った。3匹の犬と6匹のネコと生活しているという。大熊町で仕事をしていたが失業している。ペットと一緒に生活できる引っ越し先が見つからないというのが留まっている唯一の理由のようだった。行政もしつこく引っ越しを奨めているというが、ペットもOKの避難先は行政の手に負えないところだろう。庭先にある四つ葉のクローバーの真上で測定すると20マイクロシーベルトと異常に高かった。一際高い放射線量のことは女性はわかっていた。

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この女性の家から東へ数㌔進むと原発から20㌔の検問所がある。立入禁止の看板はそのままだが警察官の姿はない。地表1mで毎時29から30マイクロシーベルトと極めて高い。4月末に警察官の前で測定したときは20マイクロシーベルト以上で測定不能だったが、現在よりも高い放射線量の中で警察官は無防備状態で検問していたことを思い出す。舗装された地表で測定して驚いたのは、毎時100マイクロシーベルトをこえていたことだ

144_aaa3011 毎時144マイクロシーベルトを測定したスポット。浪江町内114号線昼曽根トンネル入口の検問所。6月25日

この144マイクロシーベルトは、4日間の取材中で最も高い数値で、毎時100マイクロシーベルトをこえたのはここだけだった。予定していた測定を終え、飯舘村に戻るため再び399号線を走った。途中で警邏中のパトカーに職務質問された。この日だけで4度目。彼らと話してわかったことは、東京からの第八機動隊で二日前から一帯のパトロール任務についていた。パトカーで移動しつつ、県外ナンバーなどを見つけた場合には必ず職質しているようだった。測定していると話すと彼らも放射線量を知りたがった。隊員各自が個人線量計を身につけていることがわかったが測定機はないようだ。マスクが花粉症用ばかりと徹底されていなかった。職質の度に若い機動隊員に対して、おじさんの講義が繰り返された。この一帯が放射線量が極めて高く、車内にいるだけで相当被曝することになるからマスクを変えないとマズイことや、上司が知らないようだったら自分たちで気をつけるしかないことなどを。胡散臭く思われることも感謝されることもあった。彼らの任務がおよそ2週間交代とはいえ、自動車で移動するだけで高い放射線を浴びる一帯だということは明らかだ。20㌔地点の検問所から警察官を引き揚げた理由の一つだと思った。

47_aaa3152飯舘村で見つけたでかい花。生け花用らしい。毎時4マイクロシーベルトある。近くにあるタマネギは収穫時期を迎えていたが放射能に汚染されていることは間違いなかった。

4_aaa2258飯舘村酪農家仲間のリーダー、長谷川健一さん(58歳) 6月24日撮影 長谷川さんの家の外で毎時4マイクロシーベルト、雨樋の下で30マイクロシーベルトをこえた。長谷川さんは自分で測定できるようにガイガーカウンターも持っている。

長谷川さんは18ヘクタールを牧草地にし、50頭の乳牛を飼育いていた酪農家のリーダーだ。飼料のトウモロコシは5ヘクタール作り、ソバは2ヘクタールで栽培していた酪農家であり農家でもあった。5月20日の新宿ネイキッドロフトでのJVJAトークイベント「フクシマと世界の核」で登場していただいたので、長谷川さんの思いの詳細はそちらを読んでください。その後、乳牛は全て県外の酪農家に預けたり処分したのできゅう舎は空っぽできれいに掃除されていた。お会いした日の長谷川さんの最も伝えたいことはこうだった。

>「ここには戻れないよ。村内の回りの人はみんなそう思っている。今は移住を視野に入れたシュミレーションを組まないといけない。村長は2年を目処に帰るというが、思いつきで根拠は何もない。そういう気持ちは必要だが」 「子づくり、子育てができる環境ではないことはハッキリいえる。おれは子どもはここに戻さない」

長谷川さん一人を残して家族はすでに村外に避難している。住民の三分の一はまだ留まっているようだ。長谷川さんは村に二度と戻れないかもしれない村民たちの置かれた状況を、自分の口で正確に伝えたいと各地での講演を始めようとしている。

_aaa3295南相馬市鹿島区の防波堤近く 集落は土台を残して何も残っていない。亡くなった火tがいると思われる土台には新しい菊の花が供えられていた。 この海岸線一帯は毎時0.25マイクロシーベルトと、原発に近いわりに低い.ほうだ。 6月26日

025_aaa3267漁民であり南相馬市議でもある西銑治さん。家は跡形もなく、漁船は約3.5㌔内陸の国道6号線まで流されたまま。乗組員の漁民は7人中5人が津波の犠牲になった。西さんとは4月11日に漁船のところでお会いしている。

「国の予算を待っていたらいつまでたっても防波堤の復旧は間に合わない。漁民の住居は高台を整備するしかないだろう。若手漁民が40人くらいいるから漁業を何とか復活させたい。今は友人のところを1週間置きくらいに泊まり歩いている。もうじき避難民が仮設住宅に入り終えるから、おれもそろそろ引っ越し先を見つけないと。自分から先に仮設に入るわけにはいかないよ」

「双葉断層があるから原発は危険だと反対意見だった。そんなに原発が安全で安心ならば、東京湾の埋め立て地に作ったらどうだ。送電ロスもないぞ。わざわざ遠くに作ってロスして何故だ。津波は天災でどうにもならないが、原発事故は人災だ

南相馬市は原発から20㌔圏内もあれば30㌔以遠もあり、海よりの低い放射線量地帯もあれば、山側のホットスポットもある。複雑すぎる町だ。これからの住民の選択も大きく分かれるしかないだろう。

原発事故から110日がすぎた。大気中にも、土壌にも、地下水にも、海水にも放射能汚染は止まることがない。原発からの距離も被害の様相も異なるが、私たちは、そうした非日常を日常と受け止めて生きていくほかはないのかもしれない。

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