新宿ネイキッドロフト・JVJAトークイベント「フクシマと世界の核」・飯舘村の酪農家
20日夜のネイキッドロフトのイベント。飯舘村から酪農家の長谷川健一さんと田中一政さんが登場。新宿とは思えない深刻なテーマでの熱気が渦巻いた。長谷川健一さんは前田地区の区長も務める。この日登場したJVJAメンバーの中では、私だけが取材したことのない方たち。ありがたい機会で耳をこらして二人の話に聞き入った。何度も目頭が熱くなった。以下、メモ書きから。
(追記:JVJAの森住さん、豊田さん、野田さんが、長谷川さんたち飯舘村住民に早くから密着して取材をつづけている。豊田・野田コンビが取材しニュース番組で放送されたビデオ映像などが紹介され、放射線量の高さや酪農家の苦悩などが映像でも伝えられた)
「二人は被爆者です。もし放射能が夜になって光るならば、二人は真っ暗闇でキラキラ光ることでしょう」。長谷川さんの強烈なブラックユーモアに満席の会場も思わず噴出した。
長谷川さんは3月15日の水素爆発で覚悟したという。酪農を継いだ息子に「こりゃダメだ。覚悟しておかないと」。「そのとき、子どもたちは外で遊び、洗濯物は干され、大人は外で仕事していたよ。行政は危ないとは何もいわなかった。家は原発から直線で43㌔」。長谷川さんは役場に抗議に行った。 村長は留守で議長が在席していた。「安心だ、安全だ、これ以上何もすることはない」と議長。長谷川さんは怒鳴った。「今の子どもが25歳になって赤ちゃん産むよう になったときに、おまえら責任とれるのか。この村を牛耳っているのはお前らだべ。それを避けることができるのはお前らだべ」。
(6月6日写真追加:長谷川さんは真ん中の白シャツ。右隣が田中さん。マイクで話すのは森住さん)
4月10日、長崎大の偉い先生が村の中学校の体育館で講演した。長谷川さんは別会場で聞いているのでどんな話かわかっていた。出かけなかった。「安全だから、安心だから、何も心配いらない」。翌11日、政府は計画的避難地区に飯舘村、浪江村などの20㌔圏外を追加することを初めて言い始めた。「それ避難しろって」。村民の怒りは収まらない。
4月30日、家に酪農家夫婦全員集まってもらって話し合った。長谷川さんたちは、そこで「休止」することを決定した。「廃業」ということばは使いたくなかったからだ。「休止」の次にあるのが「再開」だから。しかし、実質は廃業を決定したことに等しかった。
牛の処分が5月9日から始まった。放射線量の高い地区から開始。「情けないですよ。見るに耐えないですよ」。「今まで普通に家族と同じように泣き笑っていた牛たちですよ。屠畜場へトラックに乗せられていく。今、飯舘はそういう現実です。5月25日が我が身です」、と長谷川さん。
「お母さん牛を屠畜場へなんてとんでもない話。村外の心ある酪農家に預けて第二の人生を歩ませたい」と長谷川さん。
長谷川さんたちが牛にやるエサは昨年収穫した牧草で汚染されていないもの。福島県は4月から生乳の出荷ができなくなったが、自主的に牛乳のサンプリングをやって測定している。二度続けて出荷規制の基準を下回っているので、次回の結果を持って農水省に直談判に行って出荷停止の解除に持ち込みたいという意気込みを語った。
「私は酪農家(6月30日訂正:畜農家)です。酪農家(畜主)の責任として最後の一頭まで送り出し見届けるのが私の責任。区長として最後の1人が避難するまで私は出て行きません」と長谷川さん。
もう1人の田中さんは10年前に飯舘村に畜農のために入村した。長谷川さんの自宅前の放射線量は4.5マイクロシーベルト。田中さんの自宅は15マイクロシーベルトときわめて高い。「今更どうしろと。牛はいるし、避難先は決めてないし。諦めて普通に暮らすしかないと腹をくくりました」、と田中さん。飄々としているようだが、身動きできない辛さが表情にもことばにも出ている。
「牛、馬、家畜をもっと大切にしたいと思う。保護していきたい。ボクの命も牛の命も同じ重さだと思っている。簡単に殺すなよと思っている」。そう話す田中さんは、「ペットの犬やネコをほったらかしにしていると、そのうち罰が当たるよ」と最後に付け加えた。
政府が20㌔圏外の地域を計画的避難地域にすることを公表したのは4月11日。問題は1号機から4号機までが、次々と水素爆発したり、高濃度の放射線物質を大気中にばら撒いた最も初期の時期に、政府・行政から危険だと注意されなかったために、大人も子どもも被曝した事実。30㌔以遠の飯舘村でも、文科省のモニタリングでも数値が高いことは早くから明白だったが、政府は同心円の距離を基準に何ら手を打たなかったのが事実。
3月28日、29日、京大原子炉実験所今中哲二助教を代表とする「飯舘村周辺放射能汚染調査チーム」が、飯舘村の各地で放射線量を測定し、土壌検査もした。4月4日に公表された今中チーム報告書http://tinyurl.com/3wv42wq。超深刻な内容でも政府は動かなかった。
酪農家の長谷川さんや田中さんたちが直面する問題は、これまでの長年の努力の結果がすべて台無しになり、その後の生活の目処さえ立たないこと。原発事故により生きる尊厳を奪われたことを意味し、それは飯舘村の住民だけに限定されない。高濃度の放射能に汚染された大地はすぐに元には戻らない。人災による離村。まったく理不尽な現実だ。
(追記;「fotgazetフォトガゼット」第2号http://www.fotgazet.com/では、森住さんらのスティール写真で「放射能に汚染された村」として飯舘村をルポしている。「世界の核」特集号でもある。ぜひ購読していただきたい)
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
「東日本大震災(原発事故・放射能汚染)」カテゴリの記事
- 東電福島第一原発事故による核燃料デブリ汚染水海洋放出反対の声(2023.09.07)
- 佐々井秀嶺師についての執筆記事一覧(2004年~2018年)(2023.06.06)
- 残照館(KAITA EPITAPH)として旧信濃デッサン館が復活(2020.06.16)
- 「命の行進2020 2020年3月10日」 南相馬市小高区から浪江町請戸海岸まで雨中15キロ 犠牲者追悼行進(2020.04.01)
- 東京五輪の是非を8人と1頭から聞きました(取材は3月7日から16日まで)(2020.03.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント