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2011年4月の投稿

2011年4月21日 (木)

東電福島第一原発から30㌔(浪江町津島)の住民

「避難指示が出されている半径20キロ圏内について、政府は、22日午前0時をもって、立ち入り禁止とする「警戒区域」に設定するとともに、避難を余儀なくされている住民の一時帰宅については、半径3キロ圏内を除いて認める方針を発表しました」。(4月21日のNHKニュースから)

枝野長官は「関係自治体と調整しながら、一時的な立ち入りを早期に実施する。自治体からの協力や風向きなどの気象状況、原発の状況に特段の悪化がなければ、1か月から2か月程度で、希望する人を一巡させたい」(同NHKニュース)

実は「屋内退避」区域と指定される20㌔~30㌔の外縁で、20㌔圏内よりも放射線量がはるかに高く、飯舘村のように注目されない場所が浪江町津島にある。小さな谷あいに沿って幹線道路が整備され、飯舘村方向へ抜ける2~3㌔程度の沿道のことだ。4月10日の私の測定で毎時13マイクロシーベルトから毎時19.99マイクロシーベルトをこえる放射線量を確認した。文科省の4月20日のモニタリングでは毎時11.5マイクロシーベルトから31マイクロシーベルト。ここは狭い谷間で、常に風の通り道となっている地形だ。同3月21日は毎時33マイクロシーベルトから90マイクロシーベルトと非常に高かった。この数値から、この狭い谷間に放射線物質が風、雨、雪などによって降り注いだことが想像できる。

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4月10日の取材で、無人の家が数件あるなかで、自宅に避難所から1週間ほど前に帰ったお年寄りに出会った。渡辺さん、89歳。心臓が弱っているために避難所生活で体調を崩し、自宅に帰ってきたと話した。「避難所じゃ死ぬかと思った」と振り返ったほど、体の負担が限界まできたようだった。渡辺さんは、自宅に帰り、外での仕事で調子が戻ったと喜んでいた。

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渡辺さんは息子さん夫婦と生活していた。避難所での一時的生活から自宅に戻って生活していた息子さんの仕事は水道などの整備士。集落のほとんどの住民が避難する中、春先の冷え込みから水周りの整備や補修を頼まれるため、自宅を離れることができない仕事を抱えていた。中学生と高校生も残って生活しているという。息子さんとも話し、放射線量が高いから留まることが健康に良くないことを説明したが、避難所生活はこりごりな様子で、役場の説得も効かないようだった。「子どもには外で遊ばせない。高校生の息子は毎朝車で1時間ほど離れた町に通わせている」という。

私は息子さんと話ながら、ガイガーカウンターで計って見る許可をとってから計測した。毎時19.99マイクロシーベルトをこえてしまい、正確な放射線量は測定できない。息子さんは数値の高いことはよく認識しているようだった。私も二人の子どもさんが同居していることは考え直したほうがいいのではと、おせっかいをやいた。

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小さいが整備された田んぼには水が張られていた。平年ならば5月末までには田植えが終わるはず。だが、今年は米を作ることもできない。渡辺さんは裏山で収穫したシイタケは食べてはいけないことを知っていた。が・・・・。

ここで私が強調したいのは、東電福島第一原発事故の直後から、放射性物質が多量に拡散された地域は、20㌔や30㌔圏という円状で決めた範囲には収まらないことが早くから明らかになっていながら、住民避難を適切に実施してこなかった政府や官僚行政の手抜きだ。

原発事故からこれまでの積算数値を考慮すると、渡辺さん一家には、一日でも早い避難が最善策だ。そのために最低限必要なのは、東京電力による賠償の確約と、政府行政による本気の説得、避難先の確保でしかないと思う。

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2011年4月19日 (火)

写真で見る被災地の放射線量比較

(写真はクリックすると拡大します)  大震災翌日から被災地の取材に入った。これまで3度、福島第一原発周辺の取材を含め、被災地を取材した。ここでは3回の取材からの放射線測定写真を紹介する。岩手県から福島県内の被災地で測定で読み取れるものは何か。

   いまでは新聞テレビ報道でも明らかになっていることだが、福島第一原発からの距離に比例して放射線量が高低することではない事実だ。原発から北西方向に遠く離れても、人体に害を及ぼしそうなほど高濃度の放射線量が飯舘村や川俣町などで測定されている事実をJVJAは早くから指摘し警鐘を鳴らしていた。

 実際に各地で測定して実感することだが、原発から30㌔離れていても高濃度の場所がある一方で、10キロ以内でも方角によって大きな開きがある。今の時点で最も疑問視したいのは、政府は「避難指示」を出した20㌔圏内での放射線量を当初からモニタリングしてこなかったという事実。3月に文科省の担当部署に電話して確認した。自動車で計測できる装置もあるわけだが、住民が避難している一帯の放射線量の推移には全く関心がなかった。ところが、最近になって住民の一時帰宅を検討しているという。では問いたいが、政府は何を基準に住民の一時帰宅が可能だという判断をするのだろうか。場所によっては住民を一時帰宅させて危険にさらすことが心配される。それでなくとも、住民たちは放射線量の情報を知らされないまま、初めから「自己責任」で一時帰宅して大切なものを持ち出しているからだ。20㌔地点での「立入禁止」の看板は有名無実で、政府行政サイドのアリバイ作りとしかいえないものだ。

(4月21日追記注:以下に都内と軽井沢の通常の「環境放射線測定値」を二ヶ所例示します。放射能汚染の影響が低い地域なので、素人的に考えても、平常値に近い目安となる数字だと思います。私の田舎の隣町である軽井沢町が放射線量の測定値を公表するようなったと友人から教えてもらいました。それによると軽井沢は毎時0.05マイクロシーベルト前後。http://tinyurl.com/62mok7p 。ちなみに都内の環境放射線量調査最新データは4月21日の朝で0.0719マイクロシーベルトhttp://tinyurl.com/4jqec5s
このページにある放射線量は一時間その場所にいると浴びる外部被曝の数値。つまり、8時間、そこにいれば8倍の積算数値になるということを意味します)津波被災地が、平常値と比べて放射線量がいかに高いかがわかると思います

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岩手県釜石市内3月25日 毎時0.145マイクロシーベルト Photo岩手県遠野市 3月25日 毎時0.09マイクロシーベルト前後 Photo_2岩手県陸前高田市 3月27日 毎時0.24マイクロシーベルト

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宮城県気仙沼市鹿折地区3月28日 毎時0.22マイクロシーベルト Photo_3宮城県南三陸町 3月28日 毎時0.13マイクロシーベルト前後 3300205宮城県石巻市門脇地区 3月30日 毎時0,20マイクロシーベルト

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宮城県東松島市野蒜 3月29日 毎時0.157マイクロシーベルト Sa東北自動車道 福島県吾妻SA 3月30日 毎時1.3マイクロシーベルト前後 Sa_2東北自動車道 栃木県那須高原SA 3月31日 毎時0.9マイクロシーベルト前後 Photo_4福島県三春町 3月31日 毎時0.8マイクロシーベルト前後 Photo_5福島県浪江町宮原 3月31日 毎時10.5マイクロシーベルト前後 331508福島県葛尾村葛尾中学校土手 3月31日 毎時5マイクロシーベルト

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福島県浪江町津島・北西30キロ4月10日 毎時19.99マイクロシーベルト以上

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双葉町288号線・西20㌔立入禁止地点3月31日 毎時1.77マイクロシーベルト

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浪江町114号線・北西20㌔立入禁止地点4月10日 毎時19.99マイクロシーベルト以上

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浪江中学校庭・北北西9キロ4月11日 毎時16.29マイクロシーベルト

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浪江町商店街・北9キロ4月11日 毎時1.937マイクロシーベルト

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浪江町役場・北9キロ4月11日 毎時0.967マイクロシーベルト Photo_7福島県二本松市男女共同参画センター自衛隊除染場入口 3月16日 毎時9.0マイクロシーベルト前後。線量計を持つのは森住卓さん

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福島県双葉町厚生病院前・北西3,5㌔ 3月13日 毎時1000マイクロシーベルト以上 計測不能となった。

(注:9月27日 写真追加修正)

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2011年4月18日 (月)

鎮魂の読経~生きた仏教

2003年に開始したホームページhttp://homepage2.nifty.com/munesuke/で「雑記帳」http://homepage2.nifty.com/munesuke/zakkicho-monthly.htmlとして書いてきた気まぐれ雑記だが、昨年5月にtwitterを始めてからは、一気に更新が減ってしまった。twitterに時間を割きすぎが一番の理由だが、140字内で書くtwitterに慣れ、平気だった長文の雑記が面倒になってきたという理由も大きい。

いろんな理由で雑記帳が疎かになってきたことと、手作りホームページのトップページが、壊れて見える問題も深刻な点(Macで開くとそう見える。windowsでも、ときおり文字情報が重なってみえる)と、情報発信ツールとしてのブログも欠かせないことを自覚し始めたので、雑記帳のみブログに移行してみた。今日がブログ二回目となる。

まだ使い方がしっくりこないが、今後の写真掲載を考え、今回は写真を数点載せてみたい。twitterでの写真の投稿は慣れたものの、ブログに載せるのは初めてとなる。大震災3度目の取材で撮影した若い禅僧の写真を紹介したい。

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写真は津波被災地で「鎮魂の読経」をし続ける禅僧。撮影地は宮城県気仙沼市本吉町。禅僧は小原宗鑑さん(28歳)。小原さんは、4月2日に宮古市から読経行脚を開始した。4月6日の朝日新聞の一面に、雪の降る釜石内で読経する小原さんの写真が大きく掲載されたため、全国の読者が感動したに違いない。

私もその写真を見て心を動かされ、小原さんの取材をしたくなり、取材に行ってきたわけだ。ともかく、取材させてもらい、小原さんという若い僧侶の存在と活動、彼の生き方に直に触れることができた収穫は計り知れない。「生きた仏教」を目の当たりにした気持ちだ。これほど一心不乱に読経を続け、歩きつづけ、合掌し続けることができるのかと心で感動しながら、彼に密着させてもらった。いまでも小原さんの写真をセレクトし、色調整をしているだけで、突然ジ~ンときて目頭が熱くなってしまうほどだ。

被災地は小原さんが毎月のように、鉢を持ち網代傘で托鉢に歩いた馴染みの街だという。小原さんはひたすら歩き、鈴を鳴らし、立ち止まり深々と頭を下げる。歩きながら読むお経は「舎利礼文」。火葬場などで遺族が骨を拾う際に唱えられるお経だという。「師匠から、私は何もできないことを学びなさいといわれた。瓦礫を前にして、何か知らないけど、ただ謝るしかない」。小原さんはそうした思いで読経行脚を続けながら、被災地を南下しているのだが、初日はあまりに圧倒されて、無言で頭を下げて回っただけだったという。

小原さんは岩手県盛岡市内にある臨済宗系の石雲禅寺で修業する副住職。石雲禅寺は単立寺院ということで、臨済宗の妙心寺派とか南禅寺派とかに属してはいない。小原さん自身は京都の大徳寺(訂正済み)僧堂で3年間の修行を積んだ。彼の活動が伝統仏教の枠にはまらないのは、石雲禅寺とその寺を創立した小原さんの師匠によるところが大きい。ここでは師匠については、まだきちんと書くほどの情報も持っていないので触れないでおく。

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彼の鎮魂の読経こそが、日本仏教界に属する数多いるお坊さんたちの切羽詰った行動として、この大震災の被災地で私が期待していたものだった。3万人に及ぼうとする死者行方不明者。家族や親族を失い、住むところも、収入を得る場も全て失った膨大な被災者。これほどの悲しみや苦しみの現場を前に、伝統仏教界は僧侶としてできることをきっと果そうとすると期待した。先月24日からの二度目の被災地取材では、都内の5人の僧侶に同行して釜石市に入ったが、現地での地元仏教会などとの入り組んだ事情のために、結果として5人の僧侶は被災地での読経奉仕を形にできないまま帰京した。5人の若手僧侶の積極的な動きは早すぎた一面もあったかもしれないが、そうした活動を生かすことのできない仏教界の現実を知ることにもなった。そうした経緯もあり、残念なことだが、60余りある伝統仏教各宗派の集まった全日本仏教会は、僧侶ならではの取り組み、存在感を被災地でいまも見せることができないでいる。もちろん、個々の目に見えない活動、たとえば遺体安置所で読経奉仕をする、土葬の現場で読経奉仕をするとか、檀家の期待に応えて葬式に立ち会う、寺を避難所として解放するなどに専念されている僧侶も数多くいるだろう。

それでも仏教のあり方に関心を持ちながら、傍観者のような私に不思議に思えるのは、宗派仏教界の事情はさておいても、全ての宗派が一致して、死者の魂を鎮魂し、行方不明者家族を思って悲嘆する人々の痛みを和らげようとする積極的な取り組みが被災地で見えないのはどうしたことだろうか。

全日本仏教会は、大震災から49日となる4月28日にの午後2時46分に鐘をつき、49日法要を全国で実施すると呼びかけているが、それが十分な取り組みとはどうしても思えない。おそらく、普段から仏教に関心を持たない一般の人こそが、小原さんのような誰に頼まれたわけでもなく、ただひたすら頭を下げて読経して歩く姿に心を癒され、失われた膨大な命や形あったものに対しての悲しみを身近に感じ、無常の意味を自問しているのではないだろうか。

(4月22日付記:下の写真は宮城県女川市の仮埋葬地。宗鑑さんと二人の尼僧さんが、一体一体、丁寧に弔いの読経を上げた。尼僧さんは、石雲禅寺の吉田慈光さんと、京都の京丹後市から駆けつけた荒川宗範さん)

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◯取材活動支援のお願い フォトジャーナリスト 山本宗補活動支援 ジャーナリストの活動を支えてください。 ・郵便振替口座(加入者名 山本宗補) 00180-1-572729 ・銀行振込 城南信用金庫 店番036 普通口座 ヤマモトムネスケ 口座番号340130

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