2016年11月20日 (日)

「日韓『合意』は解決ではない!~アジアの被害者たちは訴える~」

(写真はクリックすると拡大します)

Dsc_4266jpgsumijpgweb

 11月5日に開催された、「日韓『合意』は解決ではない!~アジアの被害者たちは訴える~」について、重要なメモとして報告し、シェアしておきたい。

 2日の大阪での集会に引き続いての集会で、250席ほどのホールは、立ち見のスペースがないほどに参加者が多かった。

主催者を代表して開会あいさつした坪川宏子さんによる集会趣旨説明
 「日韓合意は解決ではない」ことが集会趣旨。「合意」は被害者が25年求めてきた要求に応答する解決ではなく、日米韓の軍事的政治的な戦略のためになされたものだと断言。 

 加えて、「政府はこの合意で全ての慰安婦問題に終止符を打とうとしている。日韓合意後、台湾の要求を一蹴し、アジア女性基金対象外の中国、東ティモールの元「慰安婦」に対して補償を考える意思はないと政府は国際的に公言した

 戦時中の重大な人権侵害の被害者に対する補償に国籍や地域別の差別があってはならない。今回はそのことを被害者とともに外務省に訴えることになっている」と説明した。


そもそも「日韓合意」とは
 日韓合意とは何だったのか、合意後の経過をおさらいしておこう。
昨年12月28日、日韓両政府は、旧日本軍「慰安婦」問題で「最終的かつ不可逆的」と喧伝する「合意」が成立したと発表した。岸田外相は声明でこう述べている。

「安倍内閣総理大臣は日本の内閣総理大臣として、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やし難い傷を負われた全ての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちをお伝えします」。「韓国政府が元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これを日本政府の予算で一括で供出し、日韓政府が協力し、全ての元慰安婦の方の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととします」

 直接の当事者にも歓迎できる内容に思えるが、しかし、「財団は日韓が協力して行う事業だが、賠償ではありません」と岸田外相は記者会見で断言した。ということは、支給される現金は政府からの公式賠償金ではないことを意味する

 肝心なのは当事者の元「慰安婦」の女性たちが当初から相談されて同意した「日韓合意」だったのかどうかという点だ。
この点、元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」や、元慰安婦が共同生活する「ナヌムの家」関係者は、「被害者不在」の日韓合意の受け入れを拒否
した。

 さらに、10月3日の衆議院予算委員会で、元「慰安婦」被害者への「おわびの手紙」を出すかを問われた安倍首相は、「毛頭考えていない」と答弁した。日韓合意の声明内容はウソだったのかと思わせるほどのお詫びの意思のなさを内外に発信する内容だ

 今回の集会開催の背景として、「日韓合意」とは当事者の元慰安婦にとっては何かを理解しておく必要がある。

インドネシアの元兵補・慰安婦中央協議会のムハマド・ダルマウィ・ラジャマさん
_yyy4067jpgsumijpgweb
 インドネシア元兵補・慰安婦中央協議会代表、南スラウェシ元従軍慰安婦協会代表。
ダルマウィさんの父親は元兵補だった。兵補とは旧日本軍の軍政時代に兵力不足を補うためにリクルートされた現地兵のことで、連合軍と戦うために武器を使った訓練を受けた。3万~4万人の若者が兵補となったという
 1995年にインドネシアの元慰安婦の実態調査をし、2万人の名簿がリストアップされたという。ダルマウィさんは元兵補の未払い給与の支払いを求める運動をしながら、2001年からは元慰安婦に対する支援や補償を求める運動も開始。元兵補のネットワークを通じて、元慰安婦の探し出しや聞き取り、リストアップ作業がはかどったと、インドネシア語の通訳を務めた鈴木武史さん(桃山学院大兼任講師)が紹介した。

 鈴木さんは、5年前から南スラウェシを中心に元慰安婦の調査聞き取りを始めたが、鈴木さんの調査では、39人の被害者が判明し、うち8人が亡くなったという。チンダさんは鈴木さんの調査で見つかった被害者の一人。名乗りを挙げた人だけでも259人存在するとした
_yyy4129jpgsumijpgweb

 チンダさんが勇気を持って発言したことで名乗り出てきた人がたくさんいるとのこと。
「いまやらないと生きた人たちがいなくなってしまう。遅きに失するということではない」と鈴木さんは話す。


インドネシアのチンダ・レンゲさんの証言
_yyy4090jpgsumijpgwebチンダさんは85歳。

 「日本軍による被害者の一人です。真実を求めるためにやってきました。日本政府は私たちに注目しきっちりと賠償してほしいです。すでに年老いています。仕事のために動くこtができなくなりました。たった一人で他人の家に間借りして生きてきました。お菓子を売りながら一人で暮らして来ました。家族もいません。夫もいません。父母は亡くなっています。
 日本軍に強姦された女と結婚したいという男はいませんでした。「お前は日本軍の残りかす」と周囲の人に言われました。

 12歳の時に強制的に仕事をさせられました。綿から糸をつむぐ作業です。給料を約束された糸をつむぐ仕事でした。1年働いていました。日本兵がやってきてオケダの前に連れ出されました。14歳の時にオケダという将校に強姦されました。給料を渡すといわれたら強姦された。別の兵隊の前に連れ出されました

 以下は配布資料からの引用。
オケダは彼女に服を脱ぐように命じ、それに従った。初潮もまだだった。拒否すると軍刀をちらつかせて首を落とすぞと脅した。毎日のように敷地内の建物にあった部屋で何人もの日本兵に強姦され続けた。生理のときも日本兵はやってきて彼女を犯した。性器は破れ、今でもそのままだという。医者はいなかったために兵補が持ってきてくれた薬草などで治療した」という。


 「政府に求めます。年を取り働けません。正式な謝罪と真実の究明を求めます。何ももっていない私にこれ以上どうしろというのですか。働くこともできません。私は賠償を求めたいと思っています


東ティモールのイネス・マガリャンイス・ゴンサルベスさんの証言
 東ティモールは2002年にインドネシアの占領下から独立。イネスさんの証言の前に、東ティモール人権協会(HAK)のマリアさんが全体状況について説明。日本軍占領中に多くいの人が処刑されたり病死し、強制労働があり、女性は慰安婦とにさせられ、日本軍兵士の性奴隷とさせられたと解説。
 2005年から日本のグループと東ティモールで元慰安婦の調査開始。各地に元慰安婦が生存することを確認。20人の被害者を特定し、現在10人が存命と話す。インドネシアが受け入れたアジア女性基金については、東ティモールの場合は対象とされなかった。

「たった10人に対する支援がどうしてできないのか。これは正義を求める闘い。個人として若い世代の一人の人間として、正義と真実を勝ち取るために闘ってゆく」と誓った。

_yyy4209jpgsumijpgwebイネスさんは80代後半。

はるばる日本に来たのは、飛行機に乗りたいためでもなく、見物したいためでもなく、一人の被害者として来ました。日本軍占領時代はいろいろとひどいことをさせられました。牛や馬やブタなどを飼う家畜の小屋の脇に住まわせられました。昼間は労働させられ、夜は家に閉じ込められ、一晩に4人5人の相手をさせられ暴行されました。逃げたら殺されると脅されていました

 私の住むアッツアベではもう一人の被害者が存命です。私たち以外にたくさんの被害者がいると思いますが、ほとんとの人が亡くなってしまいました。犠牲者は二人だけでなく他の場所でも同胞が被害にあっています。私は妊娠し、女の子の赤ちゃんを産み、カイブティと名付けました。この赤ちゃんは家に帰る途中で日本軍に取り上げられてしまいました」

 当時私は慰安所で死んでしまってもおかしくなかったのですが何とか逃げ出しました。いま80歳をこえています。私の話をこうして聞いていただきたいと思って来ました。日本政府には正式に誤ってもらいたい補償してほしい。真実を正義を求めるために来たのです」

以下は、配布資料から要約し転載。
私は慰安所に約6ヶ月いました。妊娠し、慰安所で子どもを出産しました。女の子で「カイブティ」と名付けました。その子が生後3ヶ月になったころ、その子を連れて家に帰ろうとしたが、途中で日本軍に抱いていた子を取り上げられました。その後にその子がどうなったのかわかりません。
 兵士たちは傍若無人に私たちに乗り降りし、ひどく野蛮で、動物でさえ私たちよりましな扱いを受けていたと思います。私の経験を知るのは両親だけで、亡くなった夫にも話せませんでした


フィリピンのエステリータ・ディさんの証言
_yyy4283jpgsumijpgwebエステリータさんは86歳。
 
エステリータさんは、私が30年前に取材に通い始めたネグロス島の出身だ。日本軍に占領される前は、砂糖農園の労働者だったようだ。

_8ds7836jpgsumijpgweb2013年に来日して証言した時の写真。比べると、この3年で「老い」が一気に進行している印象を受ける。

「1943年~44年、山中で疎開生活していた頃、飛行場の整備工事についた。バコロド近くのバゴに日本軍は飛行場を整備していた。川の石を拾って運び上げる力仕事でした。男たちが穴だらけの飛行場を石で埋めていました。この作業に対し、日本軍はお金の代わりに500グラムほどの米をくれました。44年のある日、上空の飛行機から紙がまかれ、飛行場で働いてはいけない、何kがが起きるという警告でした。手伝うのは危ないと疎開先に帰り、米や作物を畑で作る生活に戻った。父親の判断でやめました。

 11月になって 家で作った野菜や卵を市場に売りにいくようになり、ある日、突然に日本軍のトラックがフィリピン人男性らを載せて市場に来ました。広場で男たちを井戸の近くに並ば、日本軍は一人一人首を斬った。ゲリラ容疑で男性たちが一人一人殺されていくところを柱の陰で観ていました。私に気づいた日本兵が私に近づいてきたので逃げたが転んでしまい、日本兵は私の髪の毛をつかんで引っ張りあげ、トラックに載せられ日本軍駐屯地に連れていかれました。
 駐屯地内にある建物の部屋に連れていかれ、部屋に入ってきた日本兵はいきなり抱きつきキスをしてきた。嫌がってもレイプされ、その後には別の日本兵がやってきてレイプされ、また別の日本兵がやってきたので抵抗したら、私の両耳を手でつかみ頭をテーブルに打ち付けられ、私は気を失いました
私は駐屯地で毎日、日本兵によりレイプされつづけ、3週間ほど続きました

「米軍が近づいているということで日本軍は狂暴になっていました。ゲリラにより日本兵が襲撃だれ殺される事件も起きていたので。日本兵は物を運び出し山へ逃げ出しました」

「戦後、小学校6年の教育を受け終わると、日本兵により私の身に起きたことが忘れられず、故郷に残っていることが辛くなりマニラに出稼ぎに出ることにしました」。

「私は日本政府に伝えたい。最近、韓国政府と合意したといいますが私たちは認められません。きちんと戦争犯罪の責任を取るべきです。被害国は11か国に及んでいます。全ての被害者に対して日韓合意は破棄してほしいと思っています。

 被害者が日本政府に求めているのは、正式な国会による謝罪。手紙によるおわびの文章では十分ではありまえん。二つ目は歴史教科書にきちんと慰安婦問題を載せること。三つ目はきちんと補償を支払うべきです」

韓国の李容洙(イ・ヨンス)さんの証言
_yyy4365jpgsumijpgwebイ・ヨンスさんは87歳。

(何度も来日して証言してきたイ・ヨンスさんの略歴は2008年の集会資料から:
1928年12月生まれ。1944年秋に日本軍人に連行されて汽車に乗せられテグから慶州、慶州から平城・安州へ、安州から大連へ。大連からは日本軍がたくさん乗船した船で台湾へ。船上で日本兵に強姦された。台湾の慰安所に入れられた。45年春、16歳の時、慰安所が爆撃に遭い、建物の下敷きに。二人の姉さんが死亡。8月の敗戦で解放され、収容所へ。46年春に帰還船で故郷に帰国。92年に被害者を名乗り出た。95年、国民基金は拒否した。2007年、米下院会議公聴会で証言

 イ・ヨンスさんは、2008年に今回と同ホールで開催された、「第9回 日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議~世界と連帯し、日本政府に即時解決を要求する!~」集会でも証言。翌日、国会議員会館前で実施されたスタンディング・デモにも、もう一人のハルモニの吉元玉(キル・ウオノク)さん、それに中国人元慰安婦の郭喜翠さんと共に参加した。8年前ともなるとずっと若く感じる。
Jpgsumijpgweb
このスタンディング・デモの最中、100名以上が抗議活動をするすぐ隣で、在特会の桜井誠が、日本軍の性奴隷とさせられた元「慰安婦」3名が聞こえるほどの拡声器の大音量で、元「慰安婦」を売春婦呼ばわりするヘイトスピーチをまき散らしていたことを私は録音している。その一部は以下の通りだ。

「慰安婦稼業を強姦だ、強制連行だと言ってますが、完全に商売です。従軍慰安婦はただの売春婦です」

 桜井誠とは、都知事選の候補者として立候補したあの桜井誠のことだ。新大久保界隈を、「朝鮮人は出ていけ」「朝鮮人は殺せ」と人種差別そのもののヘイトスピーチをした当人だ。立候補者としての資格が都の選管から与えられること自体が過ちだ

 元「慰安婦」の女性たちが、拡声器での桜井誠のヘイトスピーチをその場で聞き取ることになったら、腸が煮えくりかえるだけでなく、正気を保てないほどの口惜しさだったと思う。2008年の国会前で平然と「売春婦」呼ばわりする桜井誠が、今年7月の都知事選の候補者として街宣したことは、日本社会そのものが安倍自公政権下で、坂道を転げ落ちるように右傾化している象徴のようなものだ。


歴史の生き証人・イヨンスです。25年間、日本大使館の前でハルモニが求めてきたものがあります。日本は公式に謝罪し法的に賠償しなさいと言い続けてきました。この要求は千年万年変わることはありません。みなさん聞いてください。悔しくてやりきれなくて辛い話です。合意は仮ににするならば本人としなければなりません。しかし本人の私は知らされていませんでした合意はしたことも判を押したことも聞いたことありませんでした

 「私たちはひたすら公式謝罪と法的賠償を求めていただけです。10億円は汚らしいと思います。7月28日に和解癒し財団を作ったそうです。ここに来る前に議員とともにナヌムの家で記者会見をしました。10億円は日本に帰し、財団は中断しろとはっきりいいました」

 「被害者が初めて申告したときはまだ60代でした。日本に謝罪と賠償を求めることを明確にしました。私は日韓の取り決め「合意」は無視します

「歴史の生き証人のイ・ヨンスは平和を願う女性人権活動家として世界中を飛び回っています。必ず日本から謝罪と賠償を勝ち取って見せます。私に力をください。いま89歳です。この年は活動するのに運動するのにピッタリの年です

WAM(女たちの戦争と平和資料館」館長池田さんから脅迫状が届いた報告
 集会の終わりに、WAM館長の池田さんから、先月に届いた脅迫状についての報告があった。

10月5日、爆破予告の脅迫状が届きました。「爆破する、戦争展示を撤去せよ。朝日赤報隊」と書いてありました。WAMがオープンする前後からいやがらせとか、脅迫めいたメールとか、右翼団体が来たことかありましたが、このような爆破予告の脅迫状は初めてだったので緊張しました。警察に被害届を出したのですが、はがきの指紋鑑定もしたがまだ犯人は誰なのかわかっていません

 今年6月に、日本含め8ヵ国でリストを作ってユネスコの世界記憶遺産に被害者の声を登録申請し、その後に事務局的役割もしているWAMに対する攻撃が、事務局長を名指しで攻撃してくるとか目につくようになったという。
元議員の杉田水脈(みお。日本維新の会から次世代の党に党名変更)が変装して偵察に来たり、桜井よしこ氏がWAMを中傷する記事を産経新聞や正論に度々書いてきたことも指摘。

 「いまの安倍政権のように慰安婦問題をなきものにしようとしている政治の元で、メディアが率先してある種の攻撃目標を特定のところに書くということは、集中的な攻撃対象になりやすい。身の安全を守るために最大限警戒しながら仕事を続けていきたい。今日の被害者声を聞いても、このような声や資料をさらにもっと集めて保存公開していくことは日本人の責務だと改めて感じた。決してひるむことはない。励ましの声が届いたことはありがたい

梁澄子(全国行動共同代表ヤンチンジャ)さんの閉会あいさつと外務省への要請行動について
_yyy4410jpgsumijpgweb
 「サバイバー、家族、支援のみなさん全員そろって外務省に行くことになっていました。が、外務省が10人にしろと昨日言ってきたのです。日韓合意前は、私たちが要請書をもっていくとどうぞどうぞ、何人でも記者でも何時間でもどうぞと手厚い対応でした。これが本当に外務省かと驚いていたのですが、日韓合意後、被害者と家族が行くことに対し、10人にしろと手の平を返した態度です。サバイバーと通訳がいくとそれだけで10人です。間をとっていくれている議員さんが何を言ってもだめなんですね。受け入れる気がないことを示しています」

 「日韓合意の中では「責任を痛感しお詫びと反省を申し上げる」と言っているのですが、韓国国籍を持ち、「和解・癒やし財団」のお金、日韓合意を受け入れる被害者の人にだけ責任を感じてお詫びを申し上げ反省をするということでしょうか。

 子どもが考えても、誰が考えてもおかしい。常識ですよねということを去年12月いらいからずっと言ってきた。日本国内には、子どもが考えても非常識なことを受け入れ、何とかこれで政治的に外交的にこの問題を終わらせたい、二度と聞きたくないという人が意外に多い。メディアがまずそうでしょう

「日本のメディアが政府に対する批判精神を失っています。官僚が記事書いているように思えます。彼らからは私たちはいなくなってほしい存在なんでしょう。しかし、みなさんは被害者の声を聞きました。真実の究明と正義の回復を求める。公式謝罪と法的賠償を求める。歴史教科書に記述される記録されることを求めるとエステリータさんは言いました。
 日本政府がするべきことは、責任を負うべき対象に対し、何らの差別なくすべての被害者が受け入れられる案を提示すること。事実をありのままに認め、被害者が許すまで何度でも謝罪し、再発防止のための取り組みを続けていくことが日本政府に求められています
」。

市民がこの立場に立ち返らないといけません。市民が官僚でもないのに国と一緒になって被害者に対し政府との間で決着つけたんだから黙れよなどという情けない姿をさらさないように、隣の人に語りかけていくことが必要です。また一から始めましょう。それが日本の市民の使命だと改めて思いました。全国行動は今後も取り組みを続けていきますので一緒に続けていきましょう」


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月27日 (木)

あなたも行きたくなる、「そうだ!希望の牧場へ行こう!バスツアー」 第一回の報告

(写真はクリックすると拡大します)

Dsc_3701jpgjpgwebシン・ゴジラを宣伝する自衛隊の広報ウィンドーから始まったツアー。
シン・ゴジラと陸海空自衛官募集が合体したポスターと、陸上自衛隊福島駐屯地創立63周年記念行事のポスターが貼り出されていた。(福島駅の地下通路)
Dsc_3703jpgjpgweb_2

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月1日(土)、新幹線福島駅改札出口で集合した一行16名(参加者は関西圏や首都圏などからで、7割が女性)は、駅前で小型バスに乗り込み、浪江町と南相馬市との境に位置する希望の牧場へと向かった。全村避難となっている飯舘村を通り抜けるルートのため、フレコンバッグの仮置き場(吉澤さん流に表現すると、フレコンバッグの古墳地帯)を右に左に見て、真東の太平洋の方向へと向かった。飯舘村ではトイレ休憩後にバスを降り、ツアー参加者は黒い袋の山をまじかに体感した。

_n619329jpgsumijpgweb神戸から参加したご夫婦は、持参したガイガーカウンターで空間線量を計ってみた。希望の牧場の放射線量が相当に高いことを後で実感することになる。(飯舘村)

_n619337jpgsumijpgweb用意周到の希望の牧場スタッフ。針谷さんと柴田さんのコンビで、移動するバス車内で牧場や吉澤さんについて、参加者の知識を確かめるというか、笑えるクイズを出して、あきさせない努力をしていた。

Q:「吉澤さんはバツ3である?」というクイズもあった。正解は???

Dsc_3709jpgsumijpgweb用意周到な旅のしおりまで配布された。


 昼食は今年7月に避難解除されたばかりの南相馬市小高区で営業再開している「双葉食堂」。てんこ盛りのラーメンなどが特徴。昼食を済ませ、いよいよ「希望の牧場」に到着。入口でバスを降り、歩いて広い牧場の中ほどへ向かう。原発事故を生きのび、放射能汚染されながらも、天命を全うしようとしている300頭をこえる牛たちは、我関せずの態度で、牧草地で午睡を楽しんでいた。
 一見、何の変哲もない高原の、のどかな牧場に観光客の一団が到着したような風景だが。

_yyy0773jpgsumijpgweb


 数名の先客もいたため、吉澤節はすでに全開だった。
Dsc_3737jpgjpgweb


_yyy0846jpgjpgweb


_yyy0853jpgjpgweb両手には真っ赤な花火とも爆弾とも見えるものを持ち、道化師のごとくに熱弁をふるう吉沢さん。

「アベマリオといいます。北朝鮮ではありません。次の原発大事故はおそらく2020年。福島事故の次は、原発の無理やりの再稼働によって次の大きな原発事故が起きるでしょう。東京直下の大地震。東南海の大地震。2020年が危ない!」(10月28日、訂正しました)

代々木での吉澤さんのパフォーマンス動画。9月22日撮影

Dsc_3744jpgsumijpgweb吉澤さんがガイド役となり、バスで除染作業たけなわの浪江町の街中を抜け、請戸海岸に向かった。


_n619656jpgjpgweb二度と住むことのできないと判断された住宅などが解体され、除染が終了した更地があちこちに点在する希望の牧場に隣接する集落。


_yyy1223jpgjpgwen地震により傾き、倒壊は免れているものの、解体される運命にある国玉神社。除染は完了しているが、設置されたモニタリングポストは0.6マイクロシーベルト近くを示していた

 除染しても下がったとは言えない町に、住民のみなさんは帰っても大丈夫ですよと言っているかのように、浪江町の一部の避難解除は来年3月に実施されるようだ。
国が国民に示す「安心安全」の基準がこれ。


Dsc_3751jpgjpgweb請戸海岸で吉澤さんの解説を聞く参加者のみなさん。浪江町では津波などにより180名以上が亡くなったいる。津波の被害は請戸海岸一帯に集中した。津波で流された漁船は全て撤去され、住宅の基礎部分の撤去工事が始まっていた。それでも、イチエフの排気塔が目の前に見える請戸海岸は、津波の爪痕はいまでもあちらこちらに残されたままだ


File1009jpgsumijpgweb請戸海岸には、500億円の予算で、除染で出た可燃性の放射性廃棄物を焼却する仮設焼却炉が稼働している。三菱造船系のJVが請け負った、減容化という美名の、実際にはセシウムなどが濃縮された灰を生産する焼却炉だ。(この写真は今年3月に撮影)


101jpgwebツアー初日、夜は夕食と交流会で参加者と吉澤さん+牧場スタッフは親睦を深めた。南相馬市の居酒屋にて。

10月2日(日)ツアー二日目

_n619543jpgjpgweb気性の荒いといわれるホルスタインのガガちゃん。


_n619500jpgjpgweb
原発事故由来の放射能の被ばくにより、経済的価値のなくなった牛たちだが、早朝から日課のエサを食べる仕事が始まっていた。
Dsc_3789jpgsumijpgweb


                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

参加者の数名がボランティアで早朝からのエサやりに参加。やる気満々の面々だ。
誰もが牛だけでなく、生きとし生けるものの命をいたわる気持ちが強い人たちだ。

Dsc_3818jpgsumijpgweb

Dsc_3801jpgsumijpgweb


_yyy0940jpgsumijpgweb


Dsc_3837jpgjpgwebエサやりの途中の休憩タイムは、牧場でしか味わえない吉澤さんとの会話がはずむ。人生経験豊富な女性たち。遠慮なき質問も飛び交う
Dsc_3828jpgsumijpgweb


 午前中の買い物などを済ませ、エサやりに参加しなかった残りの一行が牧場に到着後は、原発事故後に死んでいった200頭余りの牛たちが葬られている場所で献花と焼香。牧場の奥に建つ吉澤さんのお姉さんの家での昼食と希望ミーティング、そして記念写真などを撮り終え、第一回ツアー一行は福島駅へ向かった。

Dsc_3844jpgsumijpgweb持参した線量計で空間線量を測定して驚く参加者。牧草地の一角だが、平均して1.9マイクロシーベルトある。牧場は原発から北西方向の一角だ。

_yyy0968jpgsumijpgsumijpgweb
原発事故から1~2年の牧場は、犠牲牛が続出。これまでに200頭近い牛が死んだとされる。大雨により、盛り土が流されたようで、牛の骨が露出していた

_yyy1004jpgsumijpgweb焼香し、冥福を祈る参加者。


_yyy1052jpgsumijpgweb空には不思議な雲がたなびいていた

Dsc_3861jpgjpgweb二代目の福ちゃんと記念写真を撮る参加者。

Dsc_3879jpgsumijpgweb昼食後の希望ミーティング。


                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

Kinenwebバスに乗り込む前のツアー参加者のみなさんと吉澤正巳代表+お姉さん&スタッフのみなさん。晴天にも恵まれた二日間だった。

_yyy1118jpgsumijpgweb普段は仲のよくない???吉澤姉弟が、福島駅へ向かうツアー参加者を仲良く見送った

Dsc_3885jpgsumijpgweb普段の静けさを取り戻した牧場の夕方。一見、平和としか見えない牧場の光景が広がっていた。


_yyy1205jpgsumijpgweb_2


_n619678jpgjpgweb除染が町内各地で進行し、そこらじゅうに汚染土の仮置き場が作られている浪江町。
全町避難で住民の生活する姿のない町は、確かに「フレコンバッグ古墳地帯」と呼ぶのが相応しい状況と化しつつある。
これでも浪江町の一部の避難解除は来年3月に予定されている。

Dsc_3890jpgsumijpgweb東京電力の原発事故から5年半。除染完了した場所に設置されたモニタリングポスト。除染しても、0.4マイクロシーベルトと高い数値

 1泊2日のツアーに参加するだけで、原発事故の深刻さや、故郷に帰りたくても帰ることのできない住民の心の内が、より一層身近に感じられること請け合いだ。次回はあなたも参加してみてはいかがですか。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年8月24日 (水)

夏を満喫する「佐渡へっついの家」保養キャンプの福島のこどもたち

(写真はクリックすると拡大します)
撮影はすべて8月11日から13日。

_n617174jpgsumijpgweb
自分たちで割った薪でお風呂を沸かす小学生たち。

 
 東京電力福島第一原発の過酷事故直後から、福島県に通い、国による強制的な避難を強いられた地域を中心に繰り返し取材してきたが、私の長野県の実家の隣町の小諸市での保養サマーキャンプのボランティアを少し手伝ってきたが、本格的に保養キャンプを取材しないままでいた。

 そこで、お盆の最中、ユニークさで評判の、「佐渡へっついの家」夏の保養キャンプを訪ねた。昨夏日程的に無理だったのでようやく現場を体験し、楽しむ子どもたちの気持ちと継続運営するスタッフのみなさんの大変さを痛感することができた。

_yyy7557jpgsumiweb_2


_n616674jpgjpgweb_2

_n616711jpgsumijpgweb


 「佐渡へっついの家」では、福島県の小学生たちが、思いっきり夏を満喫し、エネルギーが途切れることなく遊びまくっていた。小諸市の上げ膳供え膳のサマーキャンプとは大きく異なり、屋外で遊び、薪で五右衛門風呂を沸かし、へっつい(かまど)でご飯を炊いたり、年の差もものともせずに共同生活を送る知恵を学びながら、毎日を送っていた。

_n616599jpgjpgweb


_n616616jpgjpgweb


_n617136jpgsumijpgweb


_yyy7780jpgsumijpgweb
かまどでご飯を炊く小学生たち。
_yyy7802jpgsumijpgweb


 「佐渡へっついの家」は、詩人でNPOライフケア代表でもあり、原発事故後は福島の今を伝えるスタディツアーも実施する関久雄さん(65)が責任運営をしている。関さんとはこれまでも何度かお会いしているが、現場を訪ねるのは初めてで、ワクワクしながらの取材だった。

_yyy8142jpgsumijpgweb_2水田に囲まれたような古民家が保養所。

_yyy7735jpgsumiweb_2アブラゼミが地中から次々と湧いてくるような木々に囲まれた古民家。

_yyy7120jpgjpgweb_2関久雄さん(65)

 関さんの話っぷりは、肩にまったく力が入っていない。

_yyy7142jpgweb
ツリークライミングをすぐに身に着け、登ってゆく小学生。

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_yyy7638jpgsumitorimingujpgweb
ツリーハウスに登った子どもたちとスタッフ。


_n616892jpgsumijpgweb
「ジョニー」の愛称で子どもたちから慕われる関さんは、詩人であり音楽もやる。若い頃はヒマラヤにも登る登山家でもあった。

 関さんたちは原発事故の起きた2011年から、放射能に汚染されてしまった福島県で自然と共に外遊びする機会を奪われた子どもたちが、新潟県佐渡島の放射線量の低い地で子どもらしく外遊びでき、保養し免疫力の向上を図るキャンプを運営してきた。

 「福島県は、『福島安全宣言』を主張する政党まで現れ、反対意見が言いにくい状況に追いつめられている。原発事故による放射能汚染の「不安」に対してとやかくいうスタンスそのものがおかしい。子どもたちの保養だけは守りたい」と関さんは話す。


_n617325jpgsumijpgweb

佐渡で一番大きな加茂湖でのボート乗り体験。まずはオールこぐ練習。

_n617430jpgsumijpgweb

_yyy7971jpgsumiweb加茂湖は朱鷺も住み着いている森に囲まれている。


                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   


 関さんたちは、2015年から保養事業『佐渡へっついの家保養キャンプ』を主催。春と夏の保養キャンプ参加者はのべ400名になるという。

 福島県ではすでに172人が甲状腺がんまたは疑いと診断された。131人は手術を受けた。

 関さんは、単なる参加型ではなく、築100年のリフォームした古民家での、好き勝手ができない共同生活を送りながら、「一緒に創り上げる体験型」のエコロジースクールの役割を目指している。


_yyy7888jpgsumijpgweb
食事の前にはみんなで手をつないで、食事に感謝する独自のお祈りをしてから「いただきます」となる。

「太陽と大地と海のめぐみと私たちを守ってくれるすべての存在に感謝していただきます」

Dsc_3331jpgsumijpgweb

_n616574jpgsumijpgweb


_n616840jpgjpgweb食器洗いは自分たちで。


_yyy7513jpgjpgweb
その日の反省会を兼ねた夜のミーティング。
                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が好きな関久雄さんの詩の紹介

 「たとえれば」

なんで 逃げないのかと 言われ
なんで 帰ってこねえと 言われる
そこで育てるのは 子殺しと同じ と言われ
戻らねえのは 放射能は危険という
迷信に取りつかれてんだよって 言われる
なんて こたえたら いいだべか

チェルノブイリ法みたいに
食う 寝るところに 住むところ
生活の保障なかったら 簡単には出られね
20キロ圏内でも暮らせる
20ミリシーベルトならだいじょうぶだ と おっしゃる おめさんよ
まず あんたがそこさ 住んでみっせ

ミヤコさんがこう言った
たとえれば
わたしは 0度のところさ住んでいて いっつも寒い
おめさんは 26度のところに住んでいて いっつも暖かい
わたしは 10度のところさ行くと あったけえと感じるけんど
おめさんは 10度のところでは 寒い寒いと言う
つまりは そういうこと
そこで暮らさないと わからねえのです

ハローワークのとなり うず高く積まれたフレコンバック
隣の公園で子ども フツーに遊んでっから 驚きやしたか
街を歩くひと マスクもつけず
フツーに暮らしてっから 安心しやしたか

スーパーの壁 「ふくしまっ子復興祈念マラソン大会」のポスター
木枯らしにせつかれ 家路を急ぐ モノ言わぬひと
どこさ向かうのか 
どこさ行きたいのか

(2015年11月18日)
                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_n617140jpgsumijpgweb虹染でできあがったハンカチが風にたなびく。


_yyy8080jpgsumijpgwebそうめん流しの昼食。


_yyy7858jpgsumijpgweb庭先では子どもたちが飽きることのないかのように、卓球で遊んでいる。


_yyy7664jpgsumiwrb食事作りの責任者がボランティアを終えて新潟県の実家に帰っていくところを、走って跡を追うこどもたち。


                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・
  

 今年7月には、南相馬市小高区と葛尾村の避難指示が政府により解除された。「もう避難生活続けなくても大丈夫だからお帰りください」と住民に促しているわけだが、果たしてどれくらいの住民が帰還するだろうか。

 東電福島第一原発の事故は収束しただろうか。放射性物質が大気中に拡散しないように蓋がされただろうか。汚染水が魚や海産物の宝庫の海に流出することを止められただろうか。原発事故収束現場で働く作業員が被ばくしないで仕事ができる現場になっただろうか。低線量被ばくの不安を一体誰が払しょくすることができただろうか。放射性廃棄物を入れたフレコンバッグのピラミッドが、浜通りや中通りの仮置き場から、大熊町と双葉町の所定の置き場に移動させれらただろうか。

 3・11から5年半が経っても、答えは「NO」ではないか。

 残念ながら自主避難も、親子が遠く離れた生活を続ける母子避難も続いている。子どもたちや大人たちの保養や自主避難はもう必要ないなどという無責任な言説が出てくること自体、寛容さを失った非民主的な社会の始まりだ。クワバラクワバラ。

 
 関さんたちは佐渡の「へっついの家」での保養所を継続させていくため支援を募っている。目標額は100万円の「READYFOR」クラウドファンディングが9月7日まで実施されている。目標額までは後15万円足りない。

 「子供たちを放射能から守り、日常を過ごすための保養の費用として100万円が必要です。皆さま、ご支援よろしくお願いします!」

_yyy7655jpgsumijpgweb


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 4日 (木)

熊本の地震は大震災ではないのか第2弾(7月13~15日取材)

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy3065jpgjpgweb益城町中心部、7月14日撮影

 熊本の大地震の被災地を前回(4月29日~5月2日)に続いて歩いた。直下型地震のあまりの破壊力と、広範囲に及んだ被害に圧倒された熊本大震災。前回は大地震から二週間後。今回は雨季となる地震から三ヵ月後に取材しようと決めていた。三ヵ月もすれば、映像的には地震後とは異なる、何か大きな変化が感じられるかもしれないという淡い期待があったからでもある。

 果たしてどうだったろうか?以下の写真で見ていただけば一目瞭然。余計な説明は必要ないだろう。撮影は全て7月13日から15日にかけてである。

◯何が変わったのだろうか?
_yyy2864jpgsumijpgweb
熊本空港に着陸する直前の、飛行機から見たブルーシートが目立つ被災地。


_yyy3019jpgsumijpgweb益城町中心部。


_n614828jpgsumijpgweb二階建アパートの一階部分が倒壊した一角。益城町木山地区。

_yyy3130jpgsumijpgweb

_n614970jpgsumijpgweb6月の豪雨などで被災地は情け容赦なく雨季の長雨にさらされている。例年よりも雨量が多いと住民もいう。倒壊家屋の続く路地を歩くと、カメラを手にした露出部分を情け容赦なく蚊が襲ってくる。ボウフラのわく水たまりがそこら中にできているのだろう。異常発生しているに違いない。

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_n615020jpgsumijpgweb

_n614903jpgsumijpgweb降りやまない雨の中、つぶれた倉庫の肥料の上にブルーシートをかける農家のご夫婦。益城町寺迫地区。


_yyy3106jpgsumijpgweb

 大地震の被害が集中した益城町の中心部は、住宅が密集していることもあり、全壊、半壊家屋の解体作業がやっと始まったばかりで、歩けど歩けど、昨日や今日、大きな地震に襲われたようで、とても三ヵ月も経過しているとは思えない光景が広がっていた。

 いみじくも、益城町木山地区を拠点に、ボランティア活動を大地震直後から続けている女性が言った。
「ここは時間が止まったようです」

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_yyy3163jpgsumijpgsumijpgweb益城町の中心部から離れた小谷地区。


_yyy3141jpgsumijpgweb
益城町杉堂地区。解体作業はほとんど始まっていない。西原村とを結ぶ道路はさらなる土砂崩れなどのために通行止めは変わらずだった。

 益城町は解体作業そのものが遅れていた。その原因は6月の豪雨が地震の被害を拡大したこともあるだろうが、建物の損壊状況を調査する第二次調査の進行の遅れにより、住宅解体の公費負担や仮設住宅への入居資格に直接かかわる罹災証明書の発行が滞っているためだった。

ここまで写真を見ていただければわかることですが、全壊した建物にブルーシートはかかっていません。簡単なことですが、倒壊した家の中からまだ貴重品か何かを探し出す予定の場合は別として、解体撤去するので、シートをかけて雨水から守る必要がないためです。


◯南阿曽村
_yyy3470jpgweb_2
テレビが最も報道した阿蘇大橋入口。

_n615338jpgsumijpgweb_2多数の死傷者を出した東海大学の学生寮となる民間のアパートが集中する地区。周辺の二階建アパートは軒並み、一階部分がつぶれていた。完全に崩落した阿蘇大橋からは300mほどしか離れていない。

 大学生たちに多くの死傷者が出たこともあり、倒壊したアパートはほとんどそのままで残されていた。一つの区切りがつかないと、こうした現場の復興はスタート地点に立つことさえも難しいことを感じさせる。

_yyy3391jpgsumijpgweb犠牲者の出たアパートには簡易的な献花台が用意されていた。大震災から三ヵ月後の7月15日。この日は、南阿蘇村でボランティア活動を続ける若者ら10数名が、交代で献花し焼香する姿があった。


_yyy3430jpgjpgweb南阿蘇村内で重機を使ったボランティア作業中の男性が献花に訪れ、犠牲者を追悼していた。男性は益城町の木山地区を拠点に震災後から活動している危険な作業を請け負うベテランボランティアだ。
_yyy3434jpgsumijpgweb

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_yyy3439jpgjpgwebこのアパートにも小さな献花台が供えられていた


                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯西原村の変化
 西原村は益城町の中心部とは異なり、全体が農村地帯で集落は離れて点在している。そのためか、全国ネットで報道される機会は益城町と比べると極端に少なかった。しかし被害は甚大だった。
 農家や自営業の被災者は、自宅や農業用倉庫、店舗などが壊れて収入が断たれたため、生活再建のためには一刻も早く農業を再開し、同時に全半壊の建物を解体する必要に迫られていた。公費解体を役場に申し込んで順番を待っていると、いつ解体できるか目途が立たないために、自主的に役場が指定する業者と契約して解体工事を開始していた。
 ちなみに、全壊家屋の解体費用は国が支出することになっている。しかし、「半壊」認定では解体費用は自腹となるために、経済的に苦しい被災者が自主解体をするのは楽ではないし、家の修理費が相当な負担を考えると、全壊認定を受けて、公費解体を待つほかはない。

_n615299jpgjpgweb解体の終了した農家の敷地。西原村風当地区。

_yyy3339jpgsumijpgweb同じく風当地区の解体工事が始まった農家。公費解体は待ちきれないために自主解体だ。


_n615305jpgjpgweb
更地となった風当地区公民館跡。
_n619326jpgsumijpgweb4月30日に撮影した、倒壊した風当公民館。

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


西原村役場によると、全半壊は1327戸(棟)。7月14日の時点で解体申請は1250件。(第二次損壊調査の途中のため、増える可能性がある)自主解体は350件が解体中か終わっているとのことだ。全壊家屋の自主解体の場合は解体工事終了後に規定の予算内の費用は公費で支払われることになる。

_yyy3367jpgsumijpgweb
 西原村布田地区の自宅兼店舗を自主解体し、更地にしたばかりの緒方登志一さん(60歳)と奥さん。「味の山一」ののれんを掲げた。奥のブルーシートがかかった料亭の建物も全壊だが、ぐちゃぐちゃに壊れた内装をボランティアの力を借り、家族で一丸となってきれいにした。


_n615309jpgsumijpgweb
 天井板は床板、壁などを全部取り払った料亭の建物。緒方さんは東日本大震災後に数件の商店が一緒になって生活再建事業の補助金を申請するグループ補助金の申請を準備中だった。万が一、補助金が下りないときには、全壊状態の料亭を修理して商売を再開するつもりでいるという。自営業のため、事業を再開しない限り収入は
完全は断たれた。

 20代の未婚の娘さんが4人いる緒方さんは、将来を悲観し自殺を考えるところまで追いつめられたと話す。しかし、今は気持ちを切り替え、更地の跡を利用し、7月からビアガーデンを開業するつもりだとも話した。


                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯前回取材したシイタケ農家
1jpgweb_2シイタケ農家の荒木さん(64歳)。山中奥のゴルフ場に隣接する森の中にあるシイタケ栽培場。地震で数千本あるほだ木が倒れたままで手付かずの状態。


_n615251jpgsumijpgweb前回は空っぽだった風当地区にあるシイタケ用ハウスでは、シイタケ栽培が始まっていた。最盛期には程遠いが、毎朝、シイタケを収穫し、袋詰めして村内の農産物が集積され販売される「萌の里」に配達されていた。
「萌の里」は大切畑ダムの先にあり、道路はまだ復旧していないため、近いうちに村の中心部に臨時ショップが開設かれるとのことだ。

_n615278jpgsumijpgweb

 大きくて立派な自宅が全壊した荒木さん夫婦は、完成したばかりの仮設住宅に入居したばかり。自宅は再建することにしたと話す。「もし今75歳だったら家の再建はしないと思う。年金でアパート生活を選ぶよ」と話していた。
まずは大型のシイタケ乾燥機や冷蔵庫などを地盤が傾いた倉庫から運び出し、地盤の安定した場所に再建する倉庫に移す計画にしていた。

 荒木さんの姿から、農家の生活再建の道は予想以上に早いのかもしれないと感じられたのが、数少ない希望だった。

                          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◯完成したばかりの西原村仮設住宅
 西原村については触れたが、熊本大震災の被害の全体像を記しておきたい。全壊は8299棟。半壊は25932棟。一部損壊が120584棟。この数字だけでも、住まいを失った被災者の多さが想像できるのではないだろうか。

 7月14日の時点で、熊本県内14市町村の避難所で生活する被災者は約4700人。建設が予定されている応急仮設住宅は3631戸だが、完成したのは約4割の1429戸分だ。車中泊を続ける被災者さえもいまだにたくさんいる。西原村の場合は、避難所に292人が残り、車中泊は59人と役場の担当者が言った。


西原村の仮設住宅(300戸プラス)が完成したのは震災から3ヶ月が経過する直前。村の中心部、幹線道路に面した広大な村有地が利用された。村としてはここ一ヵ所のみなので、とにかく広い。

Dsc_3166jpgsumijpgweb
東日本大震災でおなじみとなったプレハブ式仮設住宅。残念なことに、熊本の被災地でもこれから最低2年間は活用される。

2jpgweb


Dsc_3162jpgweb


◯取材後記
 8月2日、安倍自公政権は総額28兆円の経済対策を閣議決定したという。このうち国と地方自治体が直接支出する7.5兆円は、見合った効果が期待されると指摘される。しかし、公共事業は10.7兆円で、不要でルートさえ決まっていない名古屋~大阪間のリニア中央新幹線の全線開通の前倒しなどの「絵に描いた餅」にばらまく内容だ。
 保育士や介護士の給料をアップし待遇改善することや、奨学金返済で苦しむ学生や社員になれない非正規労働者などの社会の弱者のための対策費は、微々たるものだ。

 同時に熊本大震災の被災者や東日本大震災被災者の生活再建に直接資するような予算措置は、「インフラの整備」はあっても疎かにされている。
 まさに安倍自公政権とはどんな政府かということがここからも見えてくる。

 今回の取材の詳細なルポ記事は月刊誌「自然と人間」8月号に書いているので、そちらをお読みください。

・前回の取材ブログ記事はこちらにあります。熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月30日 (土)

選択肢はひとつ!猪瀬、舛添の流れを断ち切るジャーナリストを!

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy4479jpgsumijpgweb

 東京都には「聞く耳を持つ」、「政治家上がりではない」人。
日本の人口の10人に一人が住む都市で、戦後民主主義を守るくさびを打つ人を!


「働いてよし」
「住んでよし」
「環境によし」
「学んでよし」

劣勢が伝えられている鳥越俊一郎候補しかいない。
_yyy4496jpgsumijpgweb

_yyy6469jpgsumijpgweb

_yyy6496jpgsumijpgweb

「鳥越俊太郎でよし」
最新のキャッチフレーズを付け加えると、
「女性によし」
である。
_n616062jpgsumijpgweb


_yyy6071jpgsumijpgweb
女性だけの応援弁士による渋谷ハチ公前の街頭宣伝。29日

 宇都宮健児さんが苦渋の決断で、出馬を辞退したときの、都政を変える「千載一遇のチャンス」を逃したら、安倍自公政権の「聞く耳を持たない」政治と同じ都知事に、三度四度苦しめられることになることを想像してから、投票してほしい。

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


前回都知事選で野党候補が真っ二つに割れた無残な結果を思い出してほしい。
前回選挙結果を参考に記しておこう。
・投票率は46.14%

1:舛添 要一    2112979
2:宇都宮 けんじ   982594
3:細川 護熙     956063
4:田母神 俊雄    610865

 前回と大きく違うのは、舛添氏を熱烈に応援した安倍自公与党から二人の候補者が出るという二分と、野党が参議院選で11の一人区で接戦を制する結果を出した野党共闘で候補者を鳥越候補に一本化したという点だ。
まさに「千載一遇」のチャンスが到来したのだ。

_n615476jpgsumijpgweb


_n615577jpgsumijpgweb

_yyy4175jpgsumijpgweb


_yyy3699jpgsumijpgweb


_yyy3752jpgsumijpgweb


_yyy4390jpgsumijpgweb


_yyy3947jpgsumijpgweb

鳥越俊太郎候補のWEB
http://shuntorigoe.com/

政策の詳細は以下のwebで。
http://www.shuntorigoe.com/pg_tochiji.html

_yyy5324jpgsumoijpgweb


_yyy5400jpgsum9jpgweb


_yyy5504jpgsumijpgweb


_yyy4848jpgsumijpgweb


_yyy4915jpgsumijpgweb


_yyy4938jpgsymijpgweb

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  

 選挙戦最終コーナーを回って、鳥越候補が街頭宣伝会で新たに掲げた「三つのゼロ」。
1:待機児童ゼロ
2:待機高齢者介護ゼロ
3:原発ゼロ

加えて、強調するのが「非核都市宣言をやりたい」という抱負だ。
そのために、東京から250キロ圏内にある原発の廃炉と再稼働をしないことを申し入れると約束している。

_yyy6318jpgsumijpgweb_2山本太郎議員の熱烈な応援スピーチとお願い。
「鳥越さんは汚染水はアンダーコントロールではないと公共放送に乗せてくれた。知事として海産物のストロンチウム検査を実施してほしい。東電社外取締役だった人にも、自民党を除名されず無党派のフリをしている人にもできない」

_yyy5098jpgsumijpgweb_2
奨学金返済問題について筑波大院生でSEALDsの諏訪原さんがリアルな現実について鳥越候補に訴えた。
「1650万円。来年から毎月68791円返済することになっているぼくの奨学金返済総額です。こんな話はみじめなので人前ではしたくなかった」
「都知事選は46億円かかるそうです。153万人分の奨学金がチャラになる金額。そんなことも想像できない今の政治っておかしくないですか。政治家にはもう期待していません。でも鳥越さんだったら1ミリは期待してもいいと思って来ました。私たちのためになる政治に責任をもってほしい。若者を見捨てずリーダーシップを発揮してください」

・「給付型奨学金を都としてやりたい」と宣言。

_yyy5009jpgsumijpgweb_2
 大学を出たら一人暮らしをしたいが、家賃が高すぎる。6万7万円するので家族から自立して暮らすことができない。「まず誰でも普通に住めるようにしてほしい。最低賃金を1,500円にしてほしい」と、応援弁士として訴える大学生。

_yyy6384jpgsumijpgweb_2
武蔵小金井駅前の街頭宣伝。辺りを埋め尽くした聴衆。29日。

_yyy6668jpgsumijpgweb
京都の瀬戸内寂聴さんは、作家の澤地久枝さんに鳥越さんを支持するメッセージを託した。29日ハチ公前。

_yyy6720jpgsumijpgweb加藤登紀子さんが鳥越さんを熱烈応援に参上。
自ら歌うと公選法違反になるとのことで、歌のうまい鳥越さんに一曲歌わせることに成功。

山田洋次監督も鳥越さんを応援とのこと。

_n616137jpgsumijpgweb
渋谷ハチ公前の街宣に集まった人たち。29日


ちなみに対立候補の二人の略歴を簡単に紹介します。
・小池百合子候補(第一次安倍政権防衛大臣。自由民主党広報本部長、党総務会長など歴任。2009年衆議院選では幸福実現党が選挙協力。幸福実現党は幸福の科学の政党部門。2009年の総選挙では核武装論者の田母神俊雄氏を党の広告塔に祀り上げたほどの危険な宗教政党。)。_yyy5832jpgsumijpgweb_2新小岩駅前。28日
小池候補は核武装の必要性にも言及するほどの、核を信奉する自民党議員。無所属を装うが、いまだに除名もされていない。


・増田寛也候補(第一次安倍政権、福田政権の総務大臣。東電社外取締役)。
_yyy5896jpgsumijpgweb_2高円寺駅前。28日
自民党と公明党が組織を挙げての応援。
                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

誰がどう見ても、二人はズブズブの自民党。
民進党や共産党支持者が、小池候補とか増田候補に支持先を変えるということが、ヘイトスピーチでおなじみのドナルド・トランプ共和党大統領候補に投票するようなものだということを自覚したほうがいいだろう。
最後まであきらめなかったバーニー・サンダース氏が、支持者の反発覚悟の上でクリントン支持を訴えた。
「ヒラリーを支持せよ、でなければ民主党は破滅だ」

「鳥越を支持せよ。さもなくば民主主義は破滅だ」と置き換えたらわかりやすい。それほどに、今回の都知事選挙はある意味で国政選挙以上の影響を様々な分野に及ぼすということだ。

安倍自公政権による戦後政治の暴走を見て見ぬふりをしたくないのならば、今回の都知事選で最悪の結果になることを回避したいのならば、答えは火を見るよりも明らか。

_yyy5164jpgsumijpgweb

_yyy6623jpgsumijpgweb

_yyy6824jpgsumijpgweb
鳥越俊太郎と「みんなで都政を取り戻そう!」のコールに、拳を突き上げるハチ公前街宣参加者のみなさん。


男は黙ってジャーナリスト名を書く。
女も黙ってジャーナリスト名を書く。
間違っても「トランプ」と書いてはならない日本の命運がかかっている選挙なのだ。

7月30日、選挙戦ラストデイat新宿バスタ前。

_yyy6914jpgsumijpgweb

鳥越!鳥越!鳥越!コールが歓声のように続いた。

_n616238jpgsumijpgweb


_n616212jpgsumijpgweb
深く、長く頭をたれて選挙戦を応援してくれたみなさんに感謝する鳥越俊太郎候補。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください
←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月10日 (火)

インド・ジャイタプール原発建設に反対する住民:「日印原子力協定締結に反対」

(写真はクリックすると拡大します)

 インド西部、アラビア海に面したジャイタプール原発建設予定地(マハーラシュトラ州)は、三陸海岸のように入り江が幾重にも入り組んだ自然環境が特徴的。

 大小の漁村と農村が重なり合い、この地方の特有の天候と自然環境に適した漁業と、アルフォンソマンゴというマンゴの中でも最高級マンゴが主体の農業が確立されていることを実感した。現地はムンバイから南に直線で約270キロ。東京と福島第一原発の距離よりも若干遠いという位置関係だ。

ジャイタプール原発建設予定地周辺の自然環境 
_yyy9257jpgsumijpgwebアラビア海に面するジャイタプール原発建設予定地に隣り合う入り江からの夕景。


_yyy9335jpgsumijpgwebジャイタプール原発建設予定地周辺は、入り江ごとに漁村や農村折り重なり、風光明媚で自然環境は豊かなままだ。

_n614272jpgsumijpgwebマンゴの最高級品として取引されるアルフォンソマンゴ。


_yyy9342jpgsumijpgweb高台に整備されたアルフォンソマンゴのプランテーション。赤土の大地は乾燥して痩せているような印象を受けるが、マンゴの成育には適しているようだ。

_n614286jpgjpgweb

重量感もあるアルフォンソマンゴ。出荷が近い。


                ・・・・・・・・・・・・・・・・・
                  
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

インドの原発立地地図(取材現場)
Jpgwebインドの原発立地地図。大雑把に手書きしてみた。

 原発事故が生む目に見えない放射能汚染は、地震や津波などの天災とはまったく異なる怖さがあることを、福島第一原発の水素爆発で日本人は経験した。

 原発推進のインドでは、人々は福島のような原発事故は未経験だが、チェルノブイリ原発事故から学び、福島第一原発事故が反対運動を一気に盛り上げた。

_n614432jpgsumijpgwebジャイタプール原発建設予定地に近い中心都市はラトナギリ。4月は酷暑の入り口。昼間の活動を控え、夜になると住民は一気に活動的になる。


ジャイタプール原発建設に一貫して反対してきた漁村、サカリナテ村

 ジャイタプール原発(マハーラシュトラ州コンカーン地方。2008年にインドとフランスの合意が成立。インド原子力公社は2005年から2009年にかけて土地を取得した。仏のアレバ社が一基160万キロワット6基、合計990万キロワットの原発を建設予定。建設費用が高額で問題の多いヨーロッパ加圧水型。アレバ社の原発部門は事実上倒産で、建設計画はストップしている)。建設予定地に最も近い漁村のひとつがサカリナテ村。1500戸、人口は約10000人。歴史の古い大きな漁村で、住民の大半はイスラム教徒。放射能汚染や高温排水の影響を最も受けやすく、住民は一丸となっている。


_yyy9095jpgsumijpgwebjpgwebアラビア海から内陸に少しだけ入った漁村としての適地。ジャイタプール原発の建設が予定されているのは、この入り江を挟んだ反対側の高台となる。

 サカリナテ村は原発建設予定地一帯では大きな漁村。港から入り江を抜け、アラビア海に出る高台にある灯台は、原発建設予定地の先端となる。


_yyy9105jpgsumijpgweb大型の漁船が大量に繋留され、漁業資源が豊かだということも実感できる。


_n614138jpgsumijpgwebモスクを中心とした大きな漁村だ。家も密集している。

_n614185jpgsumijpgweb


_yyy9233jpgsumijpgweb


_n614194jpgsumijpgweb

_yyy9199jpgsumijpgwebサカリナテ港から漁に出かける漁船。灯台のある高台が原発建設予定地の一角となっている。どこか福島第一原発に似たような立地条件。原発が建設されれば、入り江の半分が法律上は立ち入り禁止となり、漁船の自由な航行も阻害される。


_yyy9181jpgsumijpgweb原発建設予定地に建てられたばかりの建物が見える。現在のところ、動きはストップしているという。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_n614166jpgsumijpgweb

_yyy9400jpgsumijpgweb2011年4月18日。原発に反対するデモ隊に対する警察と準軍隊の弾圧により、イスラム教徒の漁民、タブレス・サエカーさん(31歳)が銃弾を胸に受け死亡。負傷者約16人。父親のアブドゥル・サッター・サエカーさん(60歳)は一人息子を失い悲しみにくれる。警察からは何の詫びも補償もなく、発砲について警察は「法と秩序を守るためだった」とコメントしただけだという

_n614349jpgsumijpgweb原発推進する権力側の銃弾に倒れ、殉教者となった息子さんの死を忘れないように現場に建てられた看板。

_yyy9384jpgsumijpgwebサカリナテ村のイスラム教徒のモイド・カドゥさん(45歳)は反対運動活動家で本業は運送業と漁業。2006年から反対運動に参加してきた。

「もし原発が稼働すれば、漁業には完璧なダメージとなる。日本が原発を止め、ドイツが原発を辞めることにしたので、さらに危険だと感じた。補償など要らない。原発を辞めろ!」

_yyy9623jpgsumijpgweb2015年12月の安倍首相のインドを訪問の際に貼られたポスターが村のあちこちに残っていた。ポスターに書かれたスローガンは以下の通り。

「日印原子力協定締結に反対する」「みんなで核は要らないと叫ぼう!」
「ジャイタプール原発建設を辞めろ!」「コンカーン地方を救え!」


真っ赤なラテライトの大地
_yyy9434jpgsumijpgwebラテライトの岩石きり出し場。

 切り出された岩石は、レンガの代わりに建物や家の床や壁材として多用されている。土地の境界線としてのフェンスにも多用されている。

_yyy9208jpgsumijpgweb昔の城の資材もラテライトの岩石だ。
 

原発立地予定地となり、強制的に土地収用されたマドバン村
_yyy9581jpgsumijpgwebバッパル・ガワンカルさん(52歳)。マドバン村の反対運動の闘士。ヒンドゥー教徒の農民。逮捕投獄歴6回。

 原発建設予定地はマドバン村だが、予定地から外れているジャイタプール村の名前が原発名となっている。マドバン村はヒンドゥー教徒の多い村で、原発の南側の入り江に港が面し、高台の牛を放牧する台地700ヘクタールが政府によって強制的に収容されている。30頭ほどの牛を飼うバッパルさんも放牧地を奪われた


「2004年から反対し始めた。ここが最初にデモした村だ。土地収用後に反対運動は高まった。補償金をもらった住民もいるが、私は拒否した。原発は危険だと触れ回ってきて、お金を受け取るということは倫理的に正しくないからだ」


_yyy9585jpgsumijpgweb父親の反対運動を全面的に支えるバッパルさんの家族。

 
_n614207jpgsumijpgweb

村の家家は、ココナッツの森に囲まれている。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

_yyy9490jpgsumijpgweb
入り江の干潟では、女性たちが貝をとっていた。
マングロープの生い茂る干潟は牛たちのエサ場にもなっていた。


原発建設に反対する住民組織、「住民権利委員会(ジャナ・ハッカ・セバ・サミティ)」の活動
 住民たちはムンバイの活動家と協力し、住民組織をつくり、地道な反対運動を続けている。(会長はムンバイの活動家サティヤジットさん。一人NGOのような活動。事務局長は地元政治家のディパック・ナグレ氏)。

_n614384jpgsumijpgweb


_yyy9589jpgsumijpgweb

 周辺の村から原発建設反対の活動家らが、マドバン村にあるヒンドゥー教寺院に集まり、反対行動の計画を話し合った。インド各地では衝突の多いイスラム教徒とヒンドゥー教徒が、宗教対立やカースト差別もまったく存在しないような雰囲気の中で意見をぶつけあい、計画を練る姿が新鮮だった。特筆すべき光景だった。反対する現場には、保守革新の違いも信仰の違いもないことを強く実感した。

 サティヤジットさんの各集落を回っての根回しの結果、原発事故の怖さを周知する写真展を各村を巡回して実施することに合意した

_n614233jpgsumijpgweb_2


殉教者の追悼と、原発反対写真展村落巡回キャンペーンの報告(4月18日)
 帰国後にサカリナテ村のイスラム教徒から最新の動きを写真で送っていただいたので以下に転載します。前述のとおり、5年前の4月18日、銃弾で殺害されたタブレス・サエカーさんを追悼する記念日から、原発事故の怖さを学ぶ写真展が各村を巡回し始めた。これはムンバイの活動家サティヤジットさんの事前の根回しの結果だ。

 原発建設反対の住民運動は10年前から始まり、イスラム教徒の漁民も、ヒンドゥー教徒の農民も、いまでも協力し合い、生計が根こそぎ奪われかねない原発建設に抗議し続けている。住民は原発事故の怖さをしっかりと学んでいる。福島原発事故が、彼らの反対運動をさらに力強くさせたことは確かだ。

13000353_936637653121750_1942670807


13062458_936637986455050_2303428337


13000367_936637463121769_4240387662


12986951_936637519788430_2161172873タブレス・サエカーさんが銃弾に倒れた現場に建てられた看板が新調されたようだ。


                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・アンボルガッド村(砂浜の広い小さな漁村の対岸には立地予定地の高台と灯台が見える。戸数は約200戸、住民数は約1000人。反対運動の中心的役割を果たす40代の男性は言った。
「原発?そんなものはいらない。必要なのは自然と調和した持続可能な開発だけだ」


_yyy9050jpgsumijpgwebもし原発が建設されたら、自然の豊かな中でゆったりしたリズムで生活できる景色は一変する。原発事故による放射能汚染は取り返しのつかない環境破壊を引き起こす。地元の住民たちが拒否するのは当然だが、インドでは原発推進路線の政府による弾圧もまた普通であるかのように実施される。

クーダンクラム原発反対運動
_8ds1344jpgweb
クーダンクラム原発に隣あう漁村、イディンタカライ村の人口は12000人。カトリック教徒の村だ。一貫して原発に反対している。

 2年前に現地取材したインド最南端のタミルナド州にあるクーダンクラム原発(インド原子力発電公社)の反対運動については、「自然と人間」(2014年8月号)に詳しく報告したのでご覧ください。クーダンクラム原発は、80年代に建設計画が持ち上がり、2011年に完成。ロシア製加圧水型軽水炉原発で、一基の最大出力は100万キロワット。2011年に完成し商業運転を始めることになっていたが、東電福島原発事故により反対運動が盛り上がった。政府権力側の弾圧が激しく、反対派住民の4人がすでに殉教者となっている。

_8ds0707jpgwebクーダンクラム原発反対運動の指導者、ウダヤ・クマールさん。ウダヤさんは根拠のない誹謗中傷により、国に対する反逆罪を含む385件の罪状で告発された。自宅は家宅捜索され、銀行口座は差し押さえられ預金を引き出すこともできなくなった。パスポートは無効にされ、夫婦で経営している私設学校は何者かによる襲撃で壊された。

「核爆弾と原発はつながっています。日本は原発技術も原発も、インドだけでなく世界のどの国にも売らないでください」

◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年5月 8日 (日)

「くじけず あきらめず」(信濃毎日新聞掲載 上中下)

(写真はクリックすると拡大します)

 東電福島原発事故から5年、信濃毎日新聞に掲載した(3月21日、22日、23日)記事3本を公開します。

上:「宗派超えて犠牲者追悼 住職・田中徳雲さん(41)」:生きる覚悟が問われている

Jpgweb

中:「議員の力活用し脱原発訴え 町議・木幡ますみさん(60)」:泣き寝入りしない生き方を

Jpgweb_2


下:「権力へ抵抗 各地で連帯 畜産農家・吉沢正巳さん(62)」:「考える国民」育てるしかない

Jpgweb_3

注:以下のブログ記事も参考にどうぞ。
大熊町・双葉町・浪江町 帰還困難区域の現状とは?(2015年11月27日 (金))


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 5日 (木)

熊本の地震は大震災ではないのか?熊本大震災フォトルポ(4月29日~5月2日)

(写真はクリックすると拡大します)

_yyy5166jpgsumijpgweb(益城町寺迫地区)

 最大震度7の地震は二度とも夜に起きた。14日の前震で倒壊の兆候さえなかった住宅が、16日未明の本震により完全に倒壊したと多くの住民は話した。前震が警告の役割を果たし、多くの住民は本震の際は車の中や屋外に避難していて、命を拾ったといえる。被害の規模の割に死傷者が多くはないのはそのためだろう。


 熊本県と大分県で大きな被害を出し、いまだに収束の兆しが見えない熊本「大震災」。熊本県内だけでも、大きな被害は50キロ以上の幅で生じている。

 震度7の前震と本震が発生した14日と16日は、インドで取材中だったので、現地入りしたのは、発生から2週間後の4月29日から5月2日まで。写真による現地報告はTwitterとfaceboookに載せたが、ブログにして主な被害状況をいつでも振り返ることができるようにします。

 死者行方不明者は50人と多くはないが、大地震による被害はきわめて深刻で、大分県まで及ぶなど広範囲だ。取材したのは一部に過ぎないが、被害状況の一端をしっかりと認識してください。

文科省地震調査研究推進本部のホームページによると、東日本大震災と原発事故後の2012年に、九州地方での地震や津波発生の可能性についての報告が掲載されています。その報告書によると、今回の大きな地震は想定していたことがうかがわれます。以下の部分が重要です。

「最大値をとると、布田川区間は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属する」

「布田川区間では、マグニチュード(M)が7.0程度の地震が発生すると推定され、その際に右横ずれを主体として2m程度のずれを生じる可能性」

 実に正確な予想ではないか。「右横ずれ」「2m程度のずれ」。いづれも当たっている。

2016_kumamoto_earthquake_focal_area((文科省地震調査研究推進本部、熊本地震の震源断層モデル)

益城町惣領地区
_n618844jpgsumijpgweb

_n618938jpgsumijpgweb古くからの農家の家は、長く大きくて瓦屋根が大半で、のきなみ倒壊していた。


_yyy5127jpgsumijpgwev


_n618740jpgsumijpgweb一階部分がつぶれたアパート。同じような二階建アパートが三棟あり、同じようにつぶれていた。駐車場だった場所には、裂け目が幾筋もできていた。


_n618892jpgsumijpgweb一階部分が押しつぶされた二階建ての民家。


_n618914jpgsumijpgwev


_n618691jpgsumijpgweb住民のスマホ写真は、4月14日の前震後に撮影したもので、二度目の本震により、玄関部分が完全に倒壊したことを示している。


              ・・・・・・・・・・・・・・・・・

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

_n618943jpgsumijpgwebアパートの駐車場の地割れ。

_yyy5085jpgsujpgsumi倒壊した家の辺りから、ネコが出てきて、遊んでほしがっていた。痩せてはいなかったので、飼い主が定期的にエサやりをしていると思われた。

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・


_n618847jpgsumijpgweb


_n618870jpgsumijpgeeeb専業農家の鎌田さん(80歳)。前震でタンスの隙間にはさまれたのを助け出された。本震で住居部分は完全倒壊した。犬なども飼っているので、避難所には行かずに自宅の庭で息子一家らと避難生活。トラックの荷台が寝室代わりとなっている。
「もう涙もでませんよ。一軒だけじゃないから、笑わんといられないです。ここから木山地区の方まで、被害がひどいようですから」


益城町木山地区

 木山地区は惣領地区の東側。益城町役場や益城町文化会館があり、より壊滅的な被害を被っている。国道28号線の南側一帯がとりわけ目を覆うばかりの状況だ。

_n619007jpgsumijpgweb


_n619014jpgsumijpgweb


_n619151jpgsumijpgweb


_n619138jpgsumijpgweb


_n618971jpgsumijpgsumijpgweb


_n619876jpgsumijpgweb建物そのものの大きな被害は免れたように見える益城町文化会館の駐車場が、ボランティアのベテランが集う「木山サテライト」となり、社会福祉協議会とは指揮系統が別のボランティア活動をしている。朝はラジオ体操ではじまる。個人、グループ、日本に在住する外国人ボランティア部隊などが集まっている。


_n619396jpgsumijpgweb屋根にかけるブルーシートが静岡県のボランティアから届けられた。


_n619393jpgsumijpgwebその日の活動の分担表が書き込まれて、午前8時前後から活動開始となる。

_n619888jpgsumijpgweb5月1日、終わってみれば、30件あまりの依頼が完了したことがわかる。この日、私が取材した外国人ボランティア部隊は、東隣の寺迫地区で、ペシャンコとなった住宅から貴重品を持ち出し、瓦などの瓦礫撤去の活動をした。写真は寺迫地区で紹介しています。


_n619098jpgsumijpgweb_2益城町文化会館はバブル時代の箱物とのことだが、建物自体の損傷は少ないというものの、外壁の崩れ方は無残だ。


_yyy5933jpgsumijpgweb木山サテライトのボランティアの手をかり、一階がつぶれた家から貴重品を持ち出した女性が二階の窓から出てきた。

益城町寺迫地区
 木山地区の東隣になる寺迫地区も壊滅的なダメージを受けている印象だ。

_yyy5330jpgsumijpgweb


_yyy5298jpgsumijpgweb


_n619067jpgsumijpgweb


_n619437jpgsumijpgwec外国人ボランティアチームが請け負った依頼は、ペシャンコになった二階建ての徳永邸の外回りの片付け。瓦などの撤去に取り掛かったチーム。


_n619463jpgsumijpgweb徳永邸は玄関の屋根が二階部分の完全倒壊を防いでいるように見える。60代の徳永夫妻は、本震の際は庭先の車に避難していて、倒壊を免れたという。徳永邸は木山城跡公園の脇にあり、周囲の被害も甚大だ。


_n619614jpgsumijpgsdv徳永さんは、つぶれた家から大切にしている着物だけは持ち出したかったようで、救出できると判断した外国人ボランティアさんたちにより、着物ダンスや仏壇などが手際よく運びだされた。

「日本人のボランティアさんたちよりも機敏ですばらしい」と徳永さんのご主人はべたぼめだった。

_n619568jpgsumijpgeerv東京在住30年のシーラさんは連休を利用して5日間のボランティア活動中。東日本大震災後の石巻でもボランティア活動をした。

「着物は一枚一枚心がこもっていて、人とのつながりが深い。今日は着物を救出できてとても嬉しかった」と話した。


_n619585jpgsumijpgwevつぶれた玄関の隙間から靴類を運び出すマークさんとクエンティンさん。マークさんはイギリス人。大阪在住10年以上。(マークさんは、ボランティア活動初体験と思えないほど機敏に動いていた)クエンティンさんはアメリカ人で京都在住30年以上。クエンティンさんは東日本大震災後、石巻でボランティア活動を長期間やった経験がある。

 外国人ボランティア部隊として活動している彼らの多くが、東日本大震災後の津波被災地でのボランティア活動の経験を積んでいた。彼らは個人的なネットワークと二つのグループのネットワークで駆けつけていた。
「IDRO」(イドロ・ジャパン/国際災害支援機構日本。ロバートさんが代表。クエンティンさんは理事)と、「INJM」(It's Not Just Mud、泥だけじゃないよ)。facebookで二つのグループの活動をフォローできる。
IDRO代表の京都在住のロバートさんのfacebookはこちら。

「重いね。神戸と変わらないほどヒドイ。人と人との心のつながりは目に見えないものですね。捨ててしまうことがわかっていても、わざわざ救出した。持ち主の心が落ち着くんじゃないかな。日本人じゃないからこそ、勇気を与えることができるのかも。結果として自分が元気になる」(阪神淡路大震災で奥さんの母親を失った体験もあるクエンティンさんの話)(5月13日追記)


_n619702jpgsumijpgweb外国人チームに混ざって活動する地元の高校生、山田響己くん(16歳)。「地元のために役立つなら」と活動を始めた。瓦礫の撤去などできれいになると、「心身ともにすがすがしい気持ちになる」とも話した。
高1の夏にアイルランドに3週間、語学を学びに行ったという山田くんは英語が達者だ。


益城町杉堂地区
 杉堂地区は益城町中心部からは離れ、東端にあり、西原村に隣接している集落。西原村とを結ぶ道路は土砂崩れなどのために通行止めになっていた。
_yyy5373jpgsumijpgweb


_yyy5407jpgsumijpgweb家の土台とともに崩れ落ちそうな住宅には、柱の間から恵比寿様の掛け物が見えた。


_yyy5411jpgsumijpgweb

_yyy5381jpgsumijpgweb道路の陥没はいたるところに生じている。


_yyy5378jpgsumijpgweb土砂崩れも半端ではない。

NHKの災害報道によると、熊本県内の自治体が地震で壊れた建物の危険性を調べた結果、4月29日までに1万2000棟を超える建物が倒壊のおそれがある「危険」と判定された。

 つまり、12000棟をこえる住宅で生活していた住民は、安全に寝泊りし日常生活を送る住まいを失い、生活再建できるまで、当面の間の住居が緊急に必要だということを意味する。


西原村風当地区
 風当(かざて)地区は西原村と南阿蘇村とを結ぶ幹線道路の国道28号線に面していて、大切畑ダムの手前にある小さな集落。国道の陥没が尋常ではなく、通行止めとなっている。大切畑橋と道路の段差は1mはあり、さらに横に1mほどずれている。

_yyy5545jpgsumijpgweb国道28号線、大切畑橋手前の陥没。

_n619271jpgsumijpgweb大切畑大橋と道路の段差と横ズレ。

_yyy5533jpgsumijpgweb大切畑大橋からは、眼下に大切畑集落の壊滅ぶりが見える。

_yyy5948jpgsumijpgweb大きな民家。倒壊したに等しく、家財道具を運び出すのが危険な住宅には、ブルーシートはかけられていない。背景に見えるのが小森集落。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

_n619326jpgsumijpgweb倒壊した風当公民館。


_yyy5455jpgdumijpgwen
シイタケ専業農家、Bさんの大きな住宅。阪神淡路大震災前に建てたという住宅は、柱や梁に太い材木を使い、屋根瓦は高級で重い焼き物瓦を使っていたが、二度の地震で中二階部分がつぶれ、ペシャンコになる寸前だ。
キッチン、居間、広間など、どの部屋も大きな揺れで家具などがひっくりかえっている。
_yyy5464jpgsumijpgweb

_yyy5473jpgdumijpgweb


_n619219jpgsumijpgwev瓦は剥げ落ちた。

「家を見てもガッカリ。山ん中の(シイタケの)ほだ木がバラバラに倒れているのを見てもガッカリ。もう涙も出ない。あきらめて笑うほかない」
と、Bさんは自嘲気味に話した。


_yyy5527jpgdiojpgernBさん宅の外観。土台もかなりずれてしまった。家の裏手の壁は土手とともに崩落した。

 Bさんの奥さんは、断層についての古くからの言い伝えがあったと思い出したように話した。

_n619230jpgsumijpgweb自宅裏にあるシイタケ用ハウス。ホダ木はあちこちの方向に倒れている。地震の刺激で成長したシイタケが腐ったり、収穫されずに伸び放題だったりしていた。(5月13日写真追加)

_n619294jpgsumijpgweb集落入口に近い国道沿いにあるBさんのシイタケ栽培用ハウス。

 ゴールデンウィークはシイタケ出荷のピークで稼ぎ時というが、今回の地震により春先の収入は途絶えた。夏場のシイタケの原木は水につけてから使う必要があるというが、上流のダムからの潤沢な農業用水は、用水路がずたずたで、復旧は時間がかかるだろうと話す


「熊本市周辺ではこれ以外に、1625年、1723年、1848年、1907年にもM5〜6程度の被害地震」(冒頭で紹介した文科省の地震調査研究推進本部が公開している資料にも、過去の大きな地震の記述がある)


西原村星田地区
 星田地区は西原村役場の南方の集落。集落入口に自宅のある酪農家、大川充洋さん(60代)の牛舎は、地震による地割れと陥没で使い物にならなくなっていた。
_n619339jpgsumijpgweb


_n619988jpgsumijpgweb酪農一筋で48年という大川さん。国や県からの全面的な支援抜きには廃業せざるを得ないところまで追いつめられるほどに被害は甚大
地震後に牛の一部は処分し、残りは熊本市内の施設に預け、朝晩と搾乳に通っているが、このまま続けるのは困難と話す。未経産牛も近いうちに手放し、北海道に預けることにしたとも話す。


_n619998jpgsumijpgweb
「西原村の酪農家は9軒。6件がダメになった。5軒は私の被害よりひどい。一人の牛舎はペシャンコ。牛10頭が死んだ酪農家もいる。一人は移転することを決めた。好きではじめた酪農だから続けたいのだが・・・」


_n619362jpgsumijpgweb

阿蘇市狩尾地区、的石地区
 噴煙をいつもあげる雄大な阿蘇山の眺めがすばらしい阿蘇市の狩尾、的石地区は今回の地震で甚大な被害が生じた。地震による壊滅的な被害が集中した益城町木山地区からは、直線で25キロ以上も東に離れている一帯だ。

 阿蘇山北側の外輪山の麓という立地条件は、畜産業を含めた農業にうってつけの自然環境でもある。盆地部分は農業用水路も含めて区画整備され40年以上が経っている。

 しかし、活断層が走っているためなのかは定かではないが、帯上の陥没が他よりも顕著で著しい。言葉で説明するよりも写真が雄弁に物語っている。

_yyy5822jpgsumijpgweb


_n619742jpgwumijpgweb阿蘇市狩尾1区の本田博文さんの自宅前が、二度目の本震により垂直に1.5m~2mほど陥没した。本田さん宅は、地震による大きなひび割れはなく、生活は可能だと話す。もちろん、余震が続くので夜は近くの駐車場を使っての寝泊りが続くという。

本田さん宅の前が、50m幅でストンと陥没したために、玄関の前に建つ隣家は倒壊を免れている。

_n619736jpgsumijpgweb


_n619753jpgsumijpgweb本田さん宅の玄関の土台がストンと陥没していることがよくわかる。「笑うしかない」と本田さん。

_yyy5776jpgsumijpgweb本田さんの家の裏手の路地も、1.5mほど垂直に陥没している。


_yyy5757jpgsumijpgweb本田さん宅から帯状の陥没帯が伸びている。300mほど離れた水田地帯にある畜産農家、中川利美さん(60代後半)の広い倉庫用敷地の真ん中を、陥没した割れ目が続いている。コンクリート製の倉庫の壁は割れ、端の方が30センチほど傾いている。整備された用水路も50m前後の幅で陥没し、水が淀んでいる。陥没帯は南の方向に長く続いているのが手に取るようにわかった。

_yyy5703jpgsumijpgweb農業用水路の陥没場所がはっきりとわかる。(5月13日追加)

 中川さんと話していて、若いころにアメリカで畜産牧場のあり方を学んだことがあるということだった。福島の原発事故後に警戒区域で多数の牛などの家畜が餓死したり殺処分された話題にもなった。中川さんは餓死した牛の写真を見たことがあるようだった。
「生き物だから助けてあげないといけない。オレだったら鎌持っていって自由にしてあげる」
狩尾地区では、地震で牛舎がつぶれて牛が何頭か死んだ農家も、救出した農家もあると話した。
「起きてしまったことは仕方がない。肝心なのはその後にどう行動するかだ。助けられる可能性があるなら、何としても助けないといけない」(5月12日追記)


_yyy5781jpgsumijpgweb2m近い段差が顕著だ。


_n619839jpgsumijpgweb


_yyy5819jpgsumijpgweb


_yyy5803jpgsumijpgweb陥没帯をたどっていいくと、2~3年前に敷設されたばかりの橋と道路の段差も著しい。

狩尾地区から的石地区まで続く陥没帯
狩尾地区の本田さん宅前の陥没帯は、さらに南へ2~3キロ延び、的石地区でも陥没が確認できる。

_n619968jpgsumijpgweb阿蘇市的石地区の酪農家、山本清澄さんの畑に積まれていたエサのロールが、地震によりひっくりかえっていた。


_yyy5978jpgsumijpgweb畑脇の黒川の土手も崩れた。


_n619961jpgsumijpgweb山本さんの畑から黒川の土手にかけて、地盤沈下が顕著だ。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


_n619951jpgsumijpgweb山本さんの牛舎。鉄骨の牛舎は「危険」認定されたが、すぐに倒壊する危険性はなく牛たちは元気だ。ただ、5ヘクタールの水田で米作りもやっている山本さんは、用水路やポンプが使えるかどうかを心配していた。(5月12日、写真追加と追記)
_yyy5961jpgsumijpgweb
     

震災ゴミの仮置場(益城町)
 津波や地震は、一瞬にして人々の暮らしと共にあった家も身の回り品でも何でも、「災害ごみ」に変えてしまう。
一言で「ゴミ」「瓦礫」というのは簡単だが。

_n619937jpgsumijpgweb


_n619906jpgsumijpgweb


_yyy5863jpgsumijpgweb


_n619912jpgsumijpgweb


_yyy5874jpgsumijpgweb

_yyy5886jpgsumijpgweb仮置場の近くを散歩していた吉村陸太郎さん(75歳)。自宅の損壊は免れたが、8軒隣の民家が地震でつぶれ、女性が亡くなったという。

 吉村さんは震災前から断層に関心があり、壊滅的な被害を出した益城町の下を走る断層は、正確には「布田川断層」ではなく、「木山断層」と呼ぶと話した。全国からの寄付金やボランティアに深く感謝し、その気持ちをメッセージにしていた。

「全国の皆さん ご支援ありがとう」
「くじけるな熊本 へこたれるな益城 安永」

取材後記

 原発事故後の福島県の被災地に通っている。人災と地震や津波などの天災による被災地の復興の大きなギャップを実感してきた。熊本県から大分県にかけての大地震による被害が広範囲で、地割れを伴う被害が尋常ではないことは一目瞭然だ。住まいを失った住民が多く、当面は仮設住宅などで日常生活を取り戻すしかないことや、農業再開にも時間がかかることもよくわかる。「大震災」と表現したほうがより正確だ。それでも地震や津波被災者の生活再建は、多少の時間がかかっても元の場所で可能だ。

 今回の取材で、阿蘇山のもたらす豊かな自然の恵みを受けて生きてきた住民は、自宅がペシャンコになりながらも、くじけない気持ちを持っていることを強く実感した。国が本気で被災者支援をすれば生活再建の道は開けるだろう。

 原発事故から5年。福島県の国による強制的避難指示が出された区域は、収束作業中の福島第一原発に近くても、30キロ以上離れていたとしても、自宅が壊れていなくとも、目に見えない放射能汚染のため、10万人近い住民はまだ自分の故郷に帰ることができない。原発事故という人災の怖ろしさと、地震という目に見える人の力では防ぎようのない災害の違いはそこにある。 

 熊本県では震度4クラスの余震が止む気配はまだない。5月4日までに震度4以上の地震が103回も起きている。地下に張り巡らされた活断層が、熊本大震災による活断層の動きで、いつどこでどの程度の断層のズレを生じさせるかは専門家でさえも予測できないという。

 熊本大震災の被害の原因となっている断層帯から90キロ~100キロ程度しか離れていない九州電力の川内原発。電力会社、原子力規制(本質は推進か?)委員会、安倍自公政権によって、稼働が続けられたままだ。川内原発近くの断層が突然悪さをしたらどうなるのだろうかという防災意識はないのだろうか?ここは最悪の事態を想定し、福島第一原発事故が再び起きないような賢明な判断を下すのが最大の防災ではないのだろうか。


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年12月17日 (木)

2015年の最もPV(Page View)された拙ブログ記事順位

 2015年は安倍晋三(首相)と自民党・公明党(創価学会)の暴走、憲法無視、民意無視、戦前回帰路線の年だったと言い切ってもいい。戦後日本のターニングポイントとなったことは間違いないことに、近い将来、気づくことになるだろう。

(注:1000回をこえるページビューされたブログ記事を、PVが多い順番に並べました
これまでは、「RT」の数字が出たのですが、最近は数字は出ないシステムとなってしまいました。
よって、PVの多い順番に並べてみました。必ずしも、「RT」の多い順番とはならないようですが、
どんなテーマが読者に最も関心を持たれているのが一目瞭然
です。

「()」でくくった記事は今年の記事ではないことを示しています。

7gatu_15nichi戦争法案が衆議院で強行採決された日の国会前

「自民党は死にましたね!」
「公明党は魂を売ったの?」


1:ゴーマンな安倍晋三(首相)による、民意無視、独裁と「違憲政党政治」の終わりの始まり(5,032PV  注:以下同)
7_gatu18_5

2:戦後70年、大本営の狂気を物語る戦争遺跡:松代地下壕大本営跡(4,861)
_8ds9062jpg
 

(鎮魂の読経~生きた仏教)(4,451)  

3:安倍政権は後藤さん、湯川さんの解放に本気だったのか?(4,250)

_8ds1033jpg渋谷ハチ公前で後藤さんと湯川さんの死を追悼する集まり。 

ビルマ(ミャンマー)の民主化のために闘うアウンサンスーチーさんのこと)(3,316)  

(獄死した尹東柱(ユン・ドンジュ) その詩と治安維持法)(2,638)  

4:福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part1(2,451)
_8ds4069jpgjpgweb

(死線を彷徨い、生還した佐々井秀嶺師(インド・ムンバイにて))(2,084)  

5:シンポジウム「朝日新聞問題を通して考える「慰安婦」問題と日本社会・メディア」報告(2,079)
_8ds6274jpgjpgweb「私は慰安婦捏造記者ではない」と説得力ある説明をする植村隆さん。

6:追悼:反骨の報道写真家・福島菊次郎さんが亡くなった。私たちにいま問われているものは何か(1,895)
005

7:始まりました、京都での長期写真展。戦後70年平和企画 山本宗補写真展 「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(1,878)

Photo_1

(原爆資料館(広島平和記念資料館)を見て考える) (1,878)  

(パパラギの里(石雲禅寺)) (1,838)

8:大熊町・双葉町・浪江町 帰還困難区域の現状とは?(1,822)
_aaa4601jpgjpgweb原発から7キロの距離にある大熊町の自宅に一時帰宅した木幡夫妻。

9:「戦争法案廃案!」「安倍政権退陣!」のコールが渦巻いた、小雨の中の10万人超国会前抗議フォトルポ.(1,580)
_aaa3657jpgsumijpgweb

10:SASPL(サスプル)からSEALDs(シールズ)へ。反安倍政権の協力な磁石(1,388)

Sep1818jpgweb9月19日、参議院で戦争法案が強行採決された夜中の国会前。

「凶行採決 亜米内閣」

11:2015年写真展「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」巡回途中経過・開催希望者募集中(1,266)
Dsc_0971jpgsumi姫路展から。

12:福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part2(1,242)
_8ds0684jpgweb棄民再びの大内孝夫さん。


13:安倍政権にレッドカードを!さまざまな「赤」で7000人が国会大包囲!(1,101)

_8ds9534jpgsumi民意無視の象徴となった国会を包囲する「赤」。

(日本軍幹部の責任を肩代わりさせられたBC級戦犯裁判の不条理(韓国・朝鮮人元BC級戦犯と遺書)(1,001)

(中略)昨年までの記事は省略し、以下はPVの多い順の今年の記事

14:辺野古新基地反対国会ヒューマン・チェーンと増殖する「「I am not Abe !」の意思表示

_aaa1127jpg

15:世論を無視した安倍自民公明政権による「川内原発再稼動!」を阻止するためのゲート前座り込み(8月9~11日)フォトルポ
Sendai_npp_gate_7川内原発ゲート前の再稼動反対座り込み。
 

16:「安倍政権NO! 3・22大行動」フォトルポ
_8ds5272jpgweb_2_1

17:「経産省前テントひろば」仕事始め脱原発記者会見から
_8ds8600jpg

18:新刊(反核)、コラボ(反戦)、沖縄(反米軍基地・反原発)をまとめて紹介

_aaa3620jpgsumi_2窪島誠一郎さんとの新刊共著「「父・水上勉をあるく」(彩流社)

19:『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎 上(信濃毎日新聞2007年掲載)
Photo

7ggatu_17_2_1安倍首相がポツダム宣言をよく読んでいないと、恥ずかしくもなく国会答弁した日の国会前抗議(7月17日)

「憲法をつまびらかに読んでみろよ!」

◯PS
参考までに、2014年の最も読まれた拙ブログ記事リツイート順位はここをクリックしてください


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください!←←支援方法(郵便振替、城南信金銀行振込)など詳細があります。
よろしくお願いします。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月27日 (金)

大熊町・双葉町・浪江町 帰還困難区域の現状とは?

(写真はクリックすると拡大します)

大熊町(10月31日撮影)
 原発から西に7キロの野上地区(帰還困難区域)に自宅のある木幡仁・ますみ夫妻の一時帰宅に同行した。事故年12月に同行していらい恒例となった。

Yyy_3354jpgsumijpgweb大熊町復興拠点として除染した大川原地区。渡辺利綱町長の自宅もある地区だが、「かえろう」と「はばたけ新大熊町開幕」のどでかいメッセージボードが建っていた。
Yyy_3355jpgsumijpgweb_2

Yyy_3336jpgweb一時帰宅に同行した木幡仁さんのいとこの自宅が大川原地区にあり、柿の実を放射線量測定のために採集した。大川原地区全体が徹底した除染がされたはずだが、いとこの自宅の裏手で空間線量を図ると、1マイクロシーベルトを軽くこえた。道路上で測定すると0.20マイクロシーベルトと、大熊町とは思えないほど低い数値を示したのは事実だが、木幡さんのいとこの自宅裏手は除染した形跡はなかった。

Yyy_3371jpgweb事故原発から西7キロの地点にある自宅(野上地区)は、網戸が壊され窓が開いたままの状態だった。前回の一時帰宅は8月中とのことなので、その後にどろぼうが侵入したままだった。

居間は足の踏み場もないほどに、物が散乱していた。(下の写真)
Yyy_3395jpgsumijpgweb

 木幡さんは自宅裏手の柿を放射能測定のために採集した。原発事故のあった年の12月に初めて一時帰宅に同行した際、柿を採集して測定に出したことがあるので、線量の変化を知ることができるので、測定データは貴重だ。

野上地区の自宅裏手にある柿の木の柿を専門機関に測定してもらった結果
セシウム137が739ベクレル。セシウム134が189ベクレル検出。合計928ベクレル。
2011年12月の測定値は、セシウム137は666ベクレル。セシウム134が902ベクレルだった。

比較していえるのは、セシウム134は減少したが、137は逆に増えたことだ。
事故後も放射性物質が拡散し、柿に取り込まれていることを意味するのか、土壌からセシウムを吸い上げ続けているのかのどちらか、もしくは両方ではないかという推測が成り立つ。


_aaa4601jpgjpgweb


Yyy_3450jpgsumijpgweb毎回、一時帰宅に同行した時に、自宅を背景に木幡夫妻の写真を撮る。定点観測のようなもので、雑草や雑木の繁茂ぶりが比較できる。

_aaa4636jpgweb文科省が大熊町に設置してあるモニタリングポストの中で常に最大値を示す夫沢第三集会所。昨年12月の時は、18.59マイクロシーベルトだった。今回は14、44マイクロシーベルト。どこのモニタリングポストも同じことだが、2~3m離れて測定すると数値は必ずといっていいくらいに跳ね上がる。3m離れた道路上で測定すると19マイクロシーベルト前後を示した

_aaa4698jpgsumijpgwebイチエフの南側に隣接する場所には、温排水を利用したヒラメなどの養魚場(正式名称は福島県栽培漁業センター)がある。大津波で壊滅したが、ここで亡くなった知人の冥福を祈って手を合わせる木幡ますみさん。

Yyy_3609jpgsumijpgweb熊川の河口近くには、津波で壊れたままの住宅が手つかずで残されていた。3・11からは4年半が経過しているものの、住民が帰ることもできない土地にそのまま建っている姿こそが、原発事故の深刻さを象徴しているのではないか。

Yyy_3575jpgsumijpgweb海側に近い高台には大熊町の工業団地があるが、現在は中間貯蔵施設として利用されはじめている。
Yyy_3608jpgwebこの敷地の外側の道路上で測定すると、15マイクロシーベルトと高いままだ。

Yyy_3530jpgsumijpgweb熊町児童館。

 国道6号線の海側の大半が中間貯蔵施設となる予定だが、地権者の同意がほとんど得られていない現状では、手つかずのままだ。予定地には、工場団地、学校、児童館、新興住宅街、水田地帯などがある。秋はセイタカアワダチソウとススキが繁茂する原野のような光景が広がっている。

Yyy_3536jpgsumijpgweb熊町小学校。駐車場に設置されたモニタリングポストは約7.5マイクロシーベルトを示している。

Yyy_3540jpgsumijpgwebイノシシのふん。銀杏の実が200個ほど見える。

 ゴーストタウンと化した帰還困難区域で、天敵のいないイノシシが繁殖し続けている。ふんはなぜか舗装道路上のあちらこちらで散見する。
_aaa4652jpgsumijpgweb電車の走ることのない常磐線。大きなイノシシが一頭、線路上に突然現れ、辺りをうかがって走りさった。

木幡ますみさんは、11月15日に投開票された大熊町の町議選で二位で当選した。議員12人中、たった一人の女性議員である。原発事故が起きたとき、夫の仁さんは町議を務めていた。2011年秋の町長選に夫の仁さんが脱原発で集団移住を公約に掲げて立候補したが、現職で「除染して早く帰ろう」をスローガンにした渡辺利綱町長に敗れた経緯もある

 全国各地の原発反対運動に駆けつけ、避難民の現状や原発周辺の実情を話してきた木幡ますみさんのスタンスははっきりしている。
「除染に復興予算を使わず、大熊町民の新天地での生活再建の為に使うべきです」


双葉町(11月13日撮影)
 南相馬市小高区の同慶寺住職・田中徳雲師に同行し、徳雲さんが住職を兼ねる双葉町寺沢地区にある仲禅寺の現状を見に行った。

_aaa5632jpgsumijpgwev国道6号線から山側に入るとすぐに、双葉町中心部の地震による被害が手つかずなのが目に飛び込んできた。中心部を離れても、地割れがそのままな光景からも、復興とは無縁なことを実感する。
_aaa5928jpgsumi

_aaa5648jpgsumi地割れに落ちた自動車も放置されたままだ。


・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・

_aaa5789jpgsumijpgweb中心部から離れると、双葉町の里山風景は浪江町とよく似ている。水田地帯はどこもセイタカアワダチソウで覆われている。


_aaa5768jpgsumijpgweb仲禅寺は奥山の中という感じ。紅葉の季節だが、寺の本堂の前庭が4年半で森に戻りつつある。


_aaa5696jpgsumi本堂は地震の被害が一目瞭然。土台から傾いている。


Yyy_4362jpgweb本堂の内部は、獣が住みついているようだと徳雲さん。

Yyy_4345jpgdumijpgweb3・11後の余震の繰り返しにより、地震による被害は拡大しているという。

 井戸川克隆元町長は仲禅寺の檀家の一人だという。徳雲さんは、原発事故前から環境問題や原発に反対する生き方を模索していたので、井戸川町長(当時)とは原発の問題、とりわけ問題になっていたプルサーマルの導入は止めたほうが良いと町長には何度も話したという。

 残念ながら、井戸川町長は双葉町の財政上、原発は欠かせないとの立場からプルサーマル導入を容認し、佐藤雄平知事(当時)が、過酷事故を起こした東京電力福島第一原発3号機のプルサーマル運転に最終的なゴーサインを出した(2010年)

(追記:今年、徳雲さんと井戸川元町長はネパールを訪ねる旅を共にし、その際、二人はいろんな話ができ、事故前のわだかまりはだいぶ解消されたと徳雲さんは話していた)

_aaa5676jpgweb徳雲さんは、ディーゼル車に変えてからは、燃料を天ぷら油の廃油をフィルターでろ過したものにしたほどに、省エネとエコロジーに拘った生き方を実践しているお坊さん。反原発の意思は固い


_aaa5795jpgjpgweb
寺から遠くない地区にある墓地での檀家さんの納骨に立ち会う徳雲さん。

_aaa5824jpgjpgjpgweb_270歳で病死し、震災関連死として認定された男性の家族のみによる納骨式

原発事故から5年近くが経過しても、帰還困難区域のお墓参りは防護服を着用しないといけないほど、原発の周辺は政府のいう「復興」の二文字とは無縁なことがわかるだろう。

 震災前は家族が同居していたが、震災後に母、息子、娘の生活はバラバラになったことも原発事故による目に見えない深刻な問題となっている。


_aaa5849jpgjpgjpgweb_2

 ちなみに、徳雲さんが住職を務める南相馬市小高区は、震災後は警戒区域となり、現在は「避難指示解除準備区域」となり、日中の立入は自由だが、いまだに泊まることは許可されていない地域だ。とはいえ、地震の被害は残り、放射線量は低くなり、日常の一こまが戻ってきたかのような風景は、双葉町の仲禅寺とは対極にある。

 ただ、住民の心は、「帰りたい 帰りたくない どうする」の間を行ったりきたりして、決断できない心情のようだ。

Dsc_1622jpgweb小高区の同慶寺。相馬藩の菩提寺でもある。


浪江町(10月23、24日、31日撮影)
Yyy_2129jpgjpgweb_2
 
 3ヶ月ぶりの希望の牧場。牧場と吉沢正巳さんにとっての大きな変化は、何といっても県外の自治体が無償で汚染牧草を提供するようになった事実だろう。(牧場のある一帯は帰還困難区域ではないが、実質的には準帰還困難区域といえるだろう)

 10月末から11月半ばにかけ、牧場から90キロ離れた宮城県白石市が、市の予算1400万円で農家が処理に困っている汚染牧草(国の基準値の1キログラム当たり100ベクレルを超え飼料として使えない)を「希望の牧場」に無償提供した。大型トラックで業者が牧場に運び込んだロールは約1100個

Yyy_3260jpgsumijpgweb_2白石市から運び込まれた牧草ロールを矢継ぎ早に荷下ろしする吉沢さん。

_aaa4252jpgsumi_2

Yyy_3264jpgsumijpgweb_2


 白石市幹部「われわれは困っている畜産農家の代弁者。互いの課題も一気に解決できる」(河北新報10月30日)_aaa4205jpgsumijpgweb

_aaa4296jpgsumijpgweb_2

 国、環境省、農水省にとっては都合の悪い動き。河北新報やNHK東北が取材しきっちりと報道した。朝日新聞も記事にした。意気軒昂な吉沢さん。
「これが330頭の牛を生かしてきた俺たち流の復興スタイルだ。
第二第三の白石市が出てくるかもしれない。他の自治体がいまじっと様子見をしている」

 白石市のこの動きに対し、11月15日の町長選挙で再選された馬場有浪江町長は、20日、「町民の帰還意欲の低下を招き、町や福島県全体への風評など深刻な影響が懸念される」(河北新報21日)などの理由で、白石市に抗議に乗り込んだ。この正式な抗議に対応した佐々木徹副市長のコメントに、国や県から放置されてきた汚染牧草の処理に困り果てた自治体の、抗議の思いが感じられる。結果的に希望の牧場の闘いに協力する英断だ。
「われわれの行動は違法ではない。人道的、動物愛護の観点から決断した」(河北新報21日)

_aaa3212jpgweb_2いわき市から毎朝トラック一台分の野菜くずが届けられる。牛たちは大喜びだ。

 原発事故前も事故後も牛たちの仕事はひたすら食べることだ。300頭をこえる牛のエサの量は半端ではない。相馬市の工場で仕入れるモヤシかすにも助けられきた。
 常に枯渇気味の牛の牧草を入手するために、希望の牧場の裏方さんたちの実行力には頭が下がる。針谷さんや木野村さんは遠方に出かけ、農家や自治体をくどいてまわってきた。宮城県や栃木県の農家から汚染牧草を無償に提供してもらってきた。自らの肉体を酷使して、トラックを走らせ、牧場に運んできた実績はすごい。以下は宮城県北部の栗原市で、畜産農家から汚染牧草ロールをもらい受け、トラックに積み込んでいる光景だ。

Yyy_1719jpgjpgweb_2


_aaa2918jpgjpgweb_2


_aaa2941jpgweb

「俺たちのように実力闘争で切り開いてゆく。沖縄のみなさんがあれだけ踏ん張っているんだ。もっと見習わないといけない」(吉沢正巳)

Sousin3jpgweb「無敵」なトライアングル!?

Yyy_3306jpgsumijpgsumijpgweb吉沢さんの背中が踊っているように見える。


富岡町・楢葉町(10月、11月)
Yyy_3003jpgsumijpgweb楢葉町のフレコンバッグの仮置き場。雑草がバッグを突き破って伸びている。


Yyy_3329jpgsumijpgweb放射性廃棄物の減容化のため、原発周辺の各自治体に一ヶ所づつ建設されている仮設焼却炉。すでに20数ヶ所で建設され稼働中。総額は2000億円を軽くこす。写真は富岡駅の海側の広大な敷地を使った仮設焼却炉。三菱重工系のJVが600億円以上で受注。2~3年焼却し、解体撤去の予定。

注:なお、各仮設焼却場で焼却された可燃性の放射性廃棄物は、濃縮した焼却灰となり、「10万Bq/kg以下の放射能濃度の焼却灰等は、富岡町の民間管理型処分場(フクシマエコテッククリーンセンター)において最終処分」し、10万ベクレルを超えるものは中間貯蔵施設で保管することになっている。(環境省の資料による)

Yyy_4475jpgweb_2富岡町の除染が終わったと思われる地域。

 地権者の理解を得られず、中間貯蔵施設の建設の目処がまったく立たない中、3000万袋といわれるフレコンバッグの行き場はあるのだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

追記(極めて重要):11月25日の河北新報によると、福島県は富岡町と楢葉町の2町に対し、それぞれ100億円を交付するという内堀県知事の決定を伝えた。これは中間貯蔵施設建設の目処が立たないことを見越した、代替施設を受け入れてもらうことを意味するのではないだろうか。(以下は河北新報の記事と地図)

(福島県富岡町に計画されている東京電力福島第1原発事故に伴う指定廃棄物などの最終処分場をめぐり、内堀雅雄知事は24日の定例記者会見で、富岡町と廃棄物の搬入路がある楢葉町に対し、県が計100億円の交付金を拠出すると発表した。両町との協議を経て施設受け入れを正式決定する。

 計画では富岡町にある既存の産廃処分場「フクシマエコテッククリーンセンター」を国有化し、県内で出た放射性セシウム濃度が1キログラム当たり10万ベクレル以下の指定廃棄物などを最終処分する。楢葉町には搬入路を新たに整備し、関連施設の汚染焼却灰のセメント固形化施設を設置する。)

001_size3_2

 
鎌倉市での写真展案内(12月12日と13日
会場:鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)地下ギャラリー
・12日:午前11時~午後19時。対談:午後15時~。吉沢正巳希望の牧場代表と対談、スライド上映あり。
・13日:午前10時~午後17時。
・入場無料
 写真点数約90点。希望の牧場の吉沢正巳さんの活動密着を中心に、原発難民となった旧警戒区域出身者の抗う人生模様を紹介したい。

_aaa7159jpgsumijpgweb

◯参考ブログ記事:
福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part1(2015年4月 5日)
福島県浪江町津島~原発から20キロ以遠の帰還困難区域と開拓入植者~Part2(2015年4月23日)
どこを計っても高い大熊町内(警戒区域)の放射線量(2011年12月29日)


◯取材活動支援のお願い
フォトジャーナリスト 山本宗補 プロジェクト支援
ジャーナリストの活動を支えてください←←支援方法など詳細があります。よろしくお願いします。


ニュース, 文化・芸術, 旅行・地域, 日記・コラム・つぶやき, 東日本大震災(原発事故・放射能汚染), 経済・政治・国際 | | コメント (2) | トラックバック (0)

«SASPL(サスプル)からSEALDs(シールズ)へ。反安倍政権の協力な磁石!